焚火を囲む
焚火に当たる、そんな夜を過ごした。
焚火を囲って語るイベントに参加した。
テーマは「人の目を気にする」である。
テーマ設定について
最初このテーマを見たときはなんと陳腐なと思った。
下の表を見てもらいたい。
この表は、以前話題になったHSP、いわゆる繊細さんの検索数の推移である。これを見てわかる通り、ブームは2020年の9月頃に瞬間的に生まれたのみであった。そのときABEMAで取り上げられていたのを覚えている。コロナ禍が始まったばかりであった。
人の目を気にする代表のHSPさんたちが取り上げられていたのは、いまから約4年前。前過ぎず、近すぎない絶妙な時代遅れ感。逆にすがすがしささえ感じる。
最初に見たときはそう感じた。
では、「人の目」ではどうか。
医者の卵や渋川剛気にも検索されているワードでもあるが、多くの場合「他人の目」として検索されるだろう。
これに関しては、ほぼ横ばい、むしろ最近増える傾向にあるといえるだろう。HSPが流行った2020年9月頃にはむしろ下火であるから、単に時代錯誤とは言えないテーマ設定であることが分かった。
最近生き方や社会とどう接していくべきか考えていたからこれは、自分の思考にいいヒントがあるかもしれないという理由で参加してみることにした。
いざ参加
参加してみると、こんな暑い日に10人程度参加していて驚いた。
もしかしたら、主催とサシかもしれないと思っていた。
序盤は、主催とえらい先生のトークを聞く。
人の目というよりは、社会構造の差や変化によってどう人間の意識や社会性が変化するかというお話であった。
たいへん火がきれいで落ち着いた。ただ熱い。
後半は、参加者同士のお話会。
人の話を聞くのはやはり大変面白い。
一方的に聞かされるよりも質問していくのが楽しい。
意識と無意識の話が大変興味深かった。
一人は、人の目を気にして「本当にやりたいこと」が意識上に現れないことがあるのではないか。そして、それは由々しき事態であり改善すべきで改善可能であるという論調。
それに対して、一方は意識上に現れないのだからどうしようもないのではないか。そしてもし「本当にやりたいこと」があるとしてもそれを意識上に上らせるのは不可能ではないかという論調。
面白い。
私は後者派である。
私は無意識というものをあまり信じられないからである。特に深層心理の類は、科学的に確かめようもない主張のため非科学的である。
ただ前者の言い分もわからなくはない。
我々にはそのポテンシャルを持っていてほしいという希望はある。
真の希望や真の願いが存在して、ただそれは社会の外圧で押しつぶされている。そんなお話があってほしいと願う気持ちは理解できる。
彼は、最近の経験からこの結論を出した。
自分のキャリアは、今までのロールモデルのようにやらなくてもいいと肌で感じたらしい。
結局その話は、決着をつけずに終了。
あえて答えを出す必要もない。と表面上は思いつつももっとバトルを見たかったのも事実。
私の話
そのあとは、私がなぜこのイベントに参加したのかという話題になった。
先述の通り、最近生き方を考える。
どのようなスタンスがいいのだろうか。
私は、もがき苦しんで生きたい。これがいい。人間的美しさを感じる。
一見苦しむことを望んでいるが、そうではない。
苦しみからは当然解放されたい。そんなもの味わいたくもない。
だが人間、迷わずにはいられない。矛盾を抱えずにはいられない。
苦しまずにはいられない。
だからこそ美しいのだ。苦しみを超越したものなどなんの価値も感じない。
苦しみ、死を歌い、もがくからからこそグッとくるのだ。
前向きに苦しみたい。美しく沈みたい。そう思う。
だが刹那主義にも憧れる。
これを言ったら引かれた。おしまい。
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