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映画館と場所についての論考(仮題)①:東日本大震災と「おおかみこどもの雨と雪」

 2011年3月11日、東日本をマグニチュード9.0の地震が襲った。東北の沿岸部は津波により建物は流され、多くの命が奪われた。私は当時、東京の実家にいた。主だった被害は棚の食器が1〜2枚割れた程度で、近しい人にも怪我人はいないのは幸運だった。直後の4月に私は大学に入学する。そして1年経った大学2年生の夏の休暇期間に、あの大震災の被害のあった町をこの目で見ておきたいという気持ちを抱き、大学の友人と共に石巻へ向かった。

 とはいえ学生の身分、金はない。前日の深夜にバスに乗り込み、早朝の仙台の町へ到着し、そのままバスで石巻へ。宿泊する余裕もないので、現地で一泊することもなく再び夜行バスで東京へ帰宅…という今考えると、あの頃は若かったな…と思うほどの無理のある強行スケジュールだった。というわけで旅と言っても、観光地を回るわけではなくひたすらに友人と石巻を練り歩いた。文字通り津波に全てを流された町を見るのはとても辛いものがあった。地形によって津波の被害が別れている箇所、仮設住宅地などを見て回ったが、テレビやインターネットからは得られない生の情報をこの目で経験することが出来た。途中、現地のおじさんに話しかけられ、小一時間ほど震災時の話や今何をしているかなどを聞いた。お店を営んでいたが建物の基礎を残して全てを失ったこと、家族や知人を亡くしたことなど当時の人生経験の浅い僕にとって衝撃を受けたことを今でも覚えている。

 早朝から歩いていた私たちは午後2時過ぎには一通り町の全てを歩き終えた。7月の猛暑であった為歩き疲れ、これ以上は無理だということでどこか涼しいところに行こうと友人と話した。本当は東北の観光地や別の被災地に行けばいいものの、お金もなければ免許も持っていなかったのでレンタカーで遠出はできない。なので20分ほど歩いたところにあるイオンモールに行くことにした(他にお店はなく、石巻は郊外化された街だということが分かった)。疲れた身体を休める、涼を取るだけでなく「帰りの夜行バスまでの空いた時間の暇つぶしする」というミッションも含まれていた。今日歩いた街の感想は歩きながら二人でしていたので、ある程度その場でできる話も特になかった。暇な時間ができたのでどうするか悩んでいると、ちょうどイオンモールに入っているワーナー・マイカル・シネマズ(現在のイオンシネマ)の映画のポスターが目に入った。僕らは「おおかみこどもの雨と雪」を観ることにした。

 細田守監督による「おおかみこどもの雨と雪」は狼人間との間にできた2人の子供たちの成長とそれを見守る母親の話だ。映画の詳細や感想はここでは省くが、登場人物たちの揺れ動く感情とそれに呼応する描写がとても綺麗で好きな作品だ。

 わざわざ石巻へ行き、時間潰しとはいえ、どこの街にでもあるイオンモールへ行き、どこでも観ることができる映画を観たのは、今考えるととても不思議なことをしたものだと自分でも思う。せっかくだから現地のものを食べようとか、現地にしかない景色を楽しもうとかそういった観光的理屈はこの時なかった。それは被災地という特異性、それを目にしないといけないという学生時代の焦り(当時の僕はそんなアンビバレントな気持ちがあった)、単純にお金がないことなどが重なっていた。しかし、ここで見た「おおかみこどもの雨と雪」はより強く自分の中で残る映画になった。もちろん、映画の内容が震災や石巻とリンクしているわけでもない。しかし、その不思議で強烈な経験がより映画の経験に強度を持たせているように感じる。もし「おおかみこどもの雨と雪」を東京でいつも行く映画館で観ていたら、もしくはロードショーが終わって家でサブスクやDVDなどで観ていたら、またその映画に対する後に残る経験は異なるものであろう。

 とても個人的な経験で今となっては自分でも再現性のない話だが、これは「映画館で映画を観ること」または「映画を観る場所」について、示唆に富むものではないか。映画自体の評価は絶対的なもの(観るデバイスでストーリーやセリフが変わるわけではない)なので、映画を「観る」という経験は、その「観る場所」が関係しているのではないか。映画をどこで観るか(だれと観るか、いつ観るか)は映画鑑賞に対する経験に大きく作用しているのではないか。それはまたインターネットやDVDで観る映画とはまた違う経験を有しているのではないか。という仮説を立てたい。

 拙noteではその一連のつながりのメモとして「映画館と場所についての論考(仮題)」を記していく。




※石巻での写真データがPC内で見つからなかった。


キーワード
映画館 映画史 観客 場所論 経験 空間 都市

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