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私たちは二元論に陥りがち

みなさん,こんにちは.
コンテンツとしてはおおよそ初投稿となる記事です.稚拙なところもあると思いますがご容赦くださいね.
今回は二元論について考えてみました.はじめに断っておきますがこれは二元論の批判ではありません.「こういう考え方もある」ぐらいでお願いします.
では少しだけお付き合いください.

作用マトリクスという概念

さて,理工系の学生のマストリードともいうべき,「物理数学の直観的方法」長沼伸一郎著 ですが,最後のほうのコラムに”作用マトリクス”というツールが導入されるんですね.ネタバレにならない程度に説明しますと,

  • あらゆる事象を並べてベクトルのように表現する

  • それに作用する行列のようなもの”作用マトリクス”を設定する

  • 作用マトリクスをN乗することであらゆる事象を追うことができる

  • ただし対角成分以外も存在するので一般的には解析不可

こんな感じでしょうか.まあ本題からそれるのでこれ以上深堀しませんが気になる方は手に取ってみてはいかがでしょう?

簡単にまとめちゃうと,数学でなんでも解析できるんじゃないのっていう幻想はたまたま解析可能だったこの太陽系の天体力学が大きく影響してるよねっていうのが一つの主張なわけです.
ある意味西洋の思想では天を作ったのは神だと思ってるわけですから,その天をニュートン方程式で記述できてしまうのです.数学があらゆることを解析できると考えてしまうのも納得できます.

遠回りしたけど本題

私が上の例で重要だと思ったのは自然界の単純な構造を他のことにも単純に当てはめてしまうということなのです.アナロジーとか敷衍ともいえるでしょうか.
このような”構造の当てはめ”は実にわかりやすく例えば説得や主張を補うときに強力な手法なんですね.一方で発想を飛躍させるので論理的な危うさもあるんじゃないかと思います.

分かりやすい二元論

さて二元論が今回の本題なわけですがどうでしょう.身の回りには2つの反する概念があふれています.
例えば,空と大地,雄と雌,善と悪,白と黒,前と後ろ,人間と動物,肉体と精神
他にも形容詞はそのオンパレードです.
大きい小さい,長い短い,強い弱い

実は上に挙げた例は少し間違っているかもしれません.空と大地ってどうなんでしょう?よく考えたら反する概念っていえるんですかね?
人間と動物っていうのも植物とか他の物を無視してるんじゃないかなというわけです.
他にもコップに200mLの水が入ってたら多いでしょうか?少ないでしょうか?コップの大きさとの割合で判断するかもしれないですし,のどが渇いてたら少ないと思うかもしれません.

二元論の(たぶん?)本質

ローランドさんのようなこと言いますが,自分とそれ以外をひとまず分けます.これが一番わかりやすい二元化です.
次に世の中には自分と同じトイレを使う人とそうじゃない方の人がいるということを知るでしょう.これが性別という二元化だといえます.
さらに人間以外にも動き回る生き物がいると知ります.これが人間と動物という二元化だといえるでしょう.
このように,自分が含まれる概念とそれ以外を分けて考えると自然と二元化していくわけです.

さて,形容詞のほうはどうでしょうか.コップの中の水の例を使うとすると,仮に水が”少ない”と思ったとしましょう.その時に自分の判断と違うほうが”多い”ということです.

他にも前と後ろなら,今向いてる方が前です.そうじゃない方が後ろです.何を当たり前なという感じですが,そうなんです.当たり前なんですね.

何かを区別するためにどこかで線を引くと必ずそれとそれじゃないほうという二元論的な話ができるわけです.ごく自然な発想なんですね.

二元論の当てはめ

そのようなごく自然な発想は他の物事にも当てはめたときとても納得しやすいです.悪いことをしたら黒,そうでないなら白.正義なのか悪なのか.
少し立ち止まって考えてみる.曖昧なときグレーだなんて言いますが別に色は他にもありますし,正義のヒーローが支持されるのはそのコミュニティの道徳観にマッチしているからです.よく正義の反対は別の正義だと言いますがまさにこのことです.ある意味では自分のコミュニティの正義”じゃないほう”という線引きでは的を射てるのかもしれませんが.

二元論が使えない例

ところで,二元論にどうしてもあてはまらないこともあります.それは"種類"が出てきたときですね.物事を見る解像度が上がるとそれに伴って種類を考慮する必要が出てきます.
一番いい例は性別です.おおよその方は男性か女性かという2種類に収まるわけですが,近年はLGBTQという区別も出てきたわけです.今までは2種類という区別しかしてなかったので二元化していたわけですが,これが社会の目の解像度が上がり,いろんな性別があるよねっていう認識になりました.実際の是非については抜きにさせてください.

結論?

だいぶ話が散らかってしまったので簡単にまとめますと,

  • 世の中のものは基本的に反する二つの概念に分けれることが多い

  • そのようなことから過剰な二元論の当てはめをしてしまうこともある

  • 解像度が上がり”種類”が分かると途端に二元化ができなくなる

ここで強調したいのは二元論自体は間違ってないということです(と思う).二つに分ければある意味すべて二つの要素ですから.
大切なのはそれ以外の要素を見つけたとき,知ったときに切り捨ててしまわずに受け入れて認めることかもしれません.

あとがき

長くなってすみません.本当はもうちょっとコンパクトになるはずだったんですが...
哲学は勉強中で言葉の使い方ももしかしたら違うかも?と思いながら,詳しい方からお叱りを受ければそのときは改めさせてください.
作用マトリクスの話は蛇足だったかもしれないなぁ.でもせっかく書いたのでそのままにしておきます.

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