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不登校からの脱出

2月、普通に通っていると思っていた学校にまた行けなくなった。コロナ騒動でまた学校が2日閉鎖になり、少しでも風邪症状があったら何を言われるかわからない嫌がられるかもしれないと10日も休んでもうそこから行けなくなってしまった。誰よりもたくさん休んで、次に学校言ったら何言われるかわからない、怖くて行けない。3学期、結局数日しか通えなかった。そんなとき、仕事の同僚から息子たちへアドバイスをいただいた。褒め続けたところで子供の自己肯定感は上がりきらないと。

学校で多少何かあっても行ける子はいる。嫌なことがあったら家で話して嫌だったねと伝えてあげられる。そしたらまた行ける。彼の器となるものがあれば行けるはずだけれども、その器ができていない、もしくは持ち合わせていないのかもしれないと。褒められ自信を持ち、明るくなることはある。ではどうしてその器を作っていくのか。それは彼が失敗をしたときの対応が鍵を握っていた。褒める子育てが流行ったが、子供が失敗したとき、どうしていたか。大きな悲鳴をあげて水をかぶせるように怒鳴り散らすこともあった。失敗したとき、どんな対応をしたらいいのかを考えるだけでも違っていたのではないか。どんな自分でも受け入れてくれる、認めてくれる、そうした器を彼の中に作ってあげる努力を怠ってきた。仕事の同僚は、子供が失敗したとき、すごく考えると言っていた。もし何かをこぼしたとしたら、黙ってふいてあげるのがいいのか、自分でふかせるのがいいのか、一緒に吹いてあげたほうがいいのか。途中までやって最後自分でやらせるのがいいのかという選択肢に悩むと。褒めることより、子供が失敗しても怒らないで冷静に対応することの方が難しい。そんな努力や意識することを私は本当に怠ってきたのだ。その結果、息子は自分を認めてもらえない恐怖に怯えることになったというからくりであった。今からでも諦めない、絶対に。見捨てない、絶対に。

今日、修了式。息子はいつもなら行かせようとしたら暴れるので、暴れたら試合終了。「きみが何ができなくてもいい、どれだけ失敗してもいい、君はなんでもできる子だよ。」気持ちを伝える。祖母が半ば強引に車まで連れてきた。でも暴れない、拒否っているが暴れない。なんとか車に乗せることができた。友達が会いたがっている、と前日に家庭訪問して伝えてくれた担任。自分よりも友達のことを大切に思う気持ちが勝った時、息子は車に乗れた。そして、玄関前の車に同級生が迎えにきてくれた。息子は飛び出して行き、1日楽しく過ごした。放課後、友達と下校時刻まで外遊びしていた。帰宅した顔は朝とは打って変わってとても素直な小さな子どものような顔つきいなっていた。学校へ行くのは気が進まなかっただろう、でも君は祖母が喜ぶからと、友達が喜んでくれるかもしれないからと、自分がどう思われるかよりも、他人の気持ちを優先させて行動することができた、君は将来必ず成功する、なんでもできる、大丈夫と励まして1日が過ぎた。小5の息子だが、今からでも遅くはない、それを証明するべくやってみる。希望を持ち続けて愛情を注ぎ続けていくと覚悟を決めた日となった。

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優しい気持ちで目覚める、幸せな日々をおくるために。

主に育児、珍道中日記です。因果があると感じたら、読んでみて下さい。どこかに希望のかけらを見つけられることを祈っています。

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