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揮発する記憶と、揮発しない記憶

意識しないと短期記憶が数十秒から一分ほどで揮発してしまう。シャンプーしたのか思い出せない。ついさっきまで持っていたものをどこに置いたかわからない。何か大切なことを指示されたけど、何を指示されたのか思い出せない。財布をなくして数万円と保険証と学生証とクレジットカードを失う。スマートフォンを最寄り駅と家の間で失くす。これらはすべて私の身の回りで日常的に起きることで、根本的に回避する方法はないが、自分なりに対処する術をいくつか持ち合わせている。ワイヤレスイヤホンをなくしたくらいでは、動揺しない。掌より小さくて頻繁に収納から出し入れするものは、なくなって当たり前だからだ。なにより自分しか迷惑しないものなんて、失くしてなんぼ。もっと重篤な紛失をした揮発してくれない記憶たちが、目の前の矮小な紛失を肯定してくれる。のんびりと構えておけば、そのうち姿を見せてくれるさ。

シャンプーしたのか思い出せないときは、シャンプーの容器の噴出口を眺めて、新鮮なシャンプーの雫ができていたらもう洗ったと判断する。カピカピだったらまだ洗っていない。財布を失くしたときは、まず部屋にあると信じて一生懸命探す。皮肉なことに物を探索する能力も著しく低いので、「物を探すコツ」を唱えながら探す。
・全体をさーっとみる。一か所にこだわらない
・ないと思う場所ほど探す
・直前の行動をトレースすると身体的運動に紐づけられていた記憶を呼び起こせることがある
・周りに人がいれば、人に協力してもらう(残念ながら自分の記憶家族の方がはるかに)

財布はリュックに付属したメッシュ製のサイドポケットに入れている。人が見るとだいたい、えっそんな丸出しだと危ないよと言ってくれるのだが、すられるリスクを見失うリスクが遥かに上回っているので、こと安全な日本社会においてはこれが最善手なのだ。ズボンのポケットも、触覚で常に財布の圧をチェックできるので悪くない。リュックの奥深くなんかにしまってしまうと、頻繁な確認が難しいので紛失時の発見が遅れてよくない。置き忘れることは前提として、その時にいかに早く気づけるか、ということを最重視している。

ここまで書いて放置していたのだが、noteの下書き欄にタイトルを見つけてこの記事の存在を思い出した。存在こそ思い出したが、内容は思い出せなかったので、このnoteの内容は僕の海馬から揮発してしまったらしい(でも多分これは普通のこと、だよね?) ぱーーーっとかきあげて、投稿してしまおう。

逆に、強い情動と深く結びついた記憶、忘れないように何度も日単位で反復した記憶なんかは忘れにくい。ただし、見聞きした瞬間に忘れまいと意識してもあまり役に立たない。これは流石に忘れないだろうと思ったことなんかは呆気なくすぐに忘れる。自分を信じないなんていうのは我々にとっては当たり前だ。
不思議と何度も思い出すのは、大して嫌じゃないはずなのになんとなく引っかかった知り合いの発言とか。脳裏にこびりついてるチューインガムみたいな感じで数日間にわたって最悪のフレーバーを日常に付加してくれる。嬉しかったことも忘れられない。ちょっと好きな子が褒めてくれたこととか、1日の何十回も脳裏に浮かんで何も手につかなかったりする。

勉強する時、どうしても暗記が必要な時はあるから、こうした特性と向き合わなければならない。というかだいたい常にそうだ。一つの工夫は覚える量を減らすことだ。なるべく普遍的な理解を試みたり、要素間の繋がりを理解することで記憶の要求量を減らすことができる。
自分の場合は好きな事については覚えられるので、覚えるべき対象を好きになる努力をする、というのもよいかもしれない。歴史の年号を覚えるなら、歴史楽しい!面白い!って叫んでみたり、歴史の面白さを語るネット記事を読んでみたりとか。

と、まあこれらのメソッドを駆使してとりあえず院試がんばります。同じように記憶が揮発する人いたら教えてください。逆に、これくらい普通だろ!変人アピールすんな!て思った人は対処法を教えてください。

なかなか忙しいけど、せめてこれくらいの文字数の記事をちょくちょく投稿していかねば。
思想を文字にすることは、自分にとって揮発を防ぐ唯一の手段だから。

がんばれのスキまってます!


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