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ポル・ウナ・カベーサ ~ ガルデーニア

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https://note.com/autumn_deer/n/nb34ec3d760a7
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蛍  :けい
恵利子:えりこ


ポル・ウナ・カベーサ ~ ガルデーニア

蛍  :少し遅れて待ち合わせの店に着くと
    その女性(ひと)はやはりもう着いていて
    カウンターに頬杖をついて、グラスを眺めていた。
 
    眉を顰(ひそ)めてみたり、唇を窄(つぼ)めてみたり
    まるでグラスの中の泡と会話をしているかと思えるほど、
    表情がころころと変わる。
 
    その景色を見るのは私の小さな楽しみで
    そのためにいつも、少し遅れて来てしまう。
    賑やかな店を指定するのは気付かれるまで、
    少し眺めていたいからなのだ。
 
    胸元が深めに空いた、シンプルな白いタイトワンピースは、
    彼女の鎖骨から胸元の陰影と映えて
    艶(なま)めかしい気がして目をそらしてしまう。
 
    無造作に放り出している、脚のふくらはぎから足首まで
    どんなに美しい曲線を描いているのか、
    全く分かっているんだろうか。

    その稜線を指でつぅとなぞってみたい
    と、目を細めた瞬間に目が合った。

恵利子:「けいちゃん、ここよ」
蛍  :私に気づいて、花が咲いたような笑顔で
    片手を軽く上げて名を呼ばれ
    途端に、自分が今、どんな顔をしていたか気になってしまう。
    「少し遅れちゃった。ごめんなさい」
恵利子:「大丈夫、さっき来たところだから」

蛍  :隣に腰かけると、甘いクチナシの香りがふわりと香って
    そのとたんに彼女の空気に囚われる。

蛍  :「恵利子さん、今日も素敵」
恵利子:「新しい服、着て出かけたかったの」

蛍  :生演奏をしていたピアノ奏者が、
    こちらをちらりと見て曲を奏で始める。
    私でも知っている、有名なタンゴ曲

    「あ、これ」
恵利子:「ふふっ、私がリクエストしたの」
蛍  :「セント・オブ・ウーマンの」
恵利子:「そう、ポル・ウナ・カベーサ。
    あの映画、アル・パシーノも素敵だけど、
    ガブリエル・アンウォーがかわいくて綺麗でいいのよねぇ
    けいちゃんに、少し雰囲気似てるな、
    と思ってリクエストしちゃった」

蛍  :こうやって私を嬉しがらせて、ドキっとさせるのがずるいんだ。
    歳上なのに、圧倒的にかわいくて綺麗なのは
    この女性(ひと)なのに。

恵利子:「ねぇ、ちょっと踊らない?」
蛍  :「えっ、私、踊れない」
恵利子:「そんなきちんとじゃなくていいじゃない、
    そういう気分なんだもの。
    ね、ちょっと付き合って」

蛍  :笑顔に勝てず、促されるままスツールから滑り降りる。
    差し出された手を取り、大きく息を吸うと
    弾むピアノと彼女のリードに合わせてタンゴウォークを踏む。
    美しいゆるやかな諧調(かいちょう)で。

    「間違えてもいい?」
恵利子:「タンゴに間違いなんてないの。
    人生とは違って、とても単純なのが素敵なところじゃない?
    もし間違ったって、足がもつれたって、
    ただ踊り続ければいいのよ」
蛍  :「人生には…間違いはあるのかしら」
恵利子:「間違いしかない人生でも
    それを正解と思って過ごしていくのがいいのかな」
蛍  :「女同士でこんな風にくっついて踊るのって、、、
    それは間違いじゃないの?」
恵利子:「この服で、この曲よ?踊りたいじゃない」

蛍  :聞けない「何故?」を飲み込んで、ナチュラルツイストターン。

恵利子:「タンゴではね、コモンセンターっていって
    二人の軸を合わせて動くの」
蛍  :「それもアル・パシーノ?」
恵利子:「これは…違うけど」

蛍  :顔を動かさず、眼を合わせないまま繰り返すステップと言葉

    「二人の軸を、」
恵利子:「そう、合わせないとダメなの」
蛍  :「……」

    曲調が変わって短調に差しかかる旋律。
    問い詰めるような低いピアノに合わせて
    激しく動作を止める、プログレッシブリンク。

    「…今日、この後、誰かに会うんでしょ」
恵利子:「…え?」
蛍  :「最近、気に入ってる男の子がいるって言ってたし。
    夜は予定がある、って言ってたから、
    そいつと今日この後会うのかなって」
恵利子:「でも、久しぶりに会いたかったし。
    けいちゃん、上手じゃない」
蛍  :「…どんな、やつなのかなと思って」
恵利子:「え?」
蛍  :「恵利子さんが、同じ男の子と長く遊ぶなんてなかなかないから。
    どんなやつなのかくらい聞かせてくれてもいいじゃない。
    そう、この曲が終わるまででいいから」

恵利子:「そんな…話すほどでもないのよ
    ちょっと気にいってて、ちょっとかわいいだけで。
    普通の子よ、ちょっと生意気かな…そんな話聞きたいの?」
蛍  :「私が聞きたいっていうより、惠利子さんが話したいかなって」

    軽口をたたいて、男の話でも聞いていないと熱が冷えない。
    こんな距離で触れ合っていたら
    香りに溺れて、気持ちを吐露してしまいそうになる。
    知られたくない、私の恋心を。

恵利子:「失礼ねぇ、そんなくすぐったい関係じゃないのよ。
    たまに会って…楽しくしてるだけ」
蛍  :「こんな素敵な年上のお姉さんに玩(もてあそ)ばれて、
    かわいそうに」
恵利子:「玩(もてあそ)んでなんかないけど…
    まぁちょっと、勘のいい子、では、あるかな」
蛍  :「何の勘?」
恵利子:「うーん、色々かな。もちろん。ふふふ」
蛍  :「いけ好かないクソガキですこと」
恵利子:「いいの!私は今楽しく過ごせればいいの、
    面倒な恋愛事はもうご馳走さま」
蛍  :「…」

    いつの間にか曲は終わり、次の曲が始まっていた。
    知ってるような知らないような甘ったるい映画のテーマ曲。

恵利子:「でも最近少し、私も変わってきたのかな。
    使い捨てで遊んだほうが、情も入らないし楽って思ってたけど
    情が湧くのもちょっと嫌じゃないかも」
蛍  :「そうなの?」
恵利子:「昔は、そういう人もいたけどね。
    そうね、いろんな事が上手な人だった。
    別に彼はタンゴを踊れたわけじゃなかったけど。
    彼を軸に綺麗に踊ることに一生懸命だったのよ、あの頃は。
    距離なんかないくらい身体を寄せて、二人の軸を合わせて
    目線は合わせないで、頬と頬をつけて、同じ方向を見て」

蛍  :過去なのか、「今」なのか
    いったい彼女はどこを見て踊ってるんだろう
    今、この瞬間、身体の軸は私に合わせていても、
    凛と見すえた目線の先には誰がいるんだろう
    そんなことに気を取られて、リードに合わせる足元が狂った。

    「あっ、ごめんなさい」
恵利子:「大丈夫。ちょっとお酒まわったよね。お席に戻ろうか」
蛍  :「うん…」

    席に戻ろうとすると彼女が遅れ、振り向くと
    私の知らない言葉で、
    欧米人の男二人に声をかけられて返事をしている。
    かっとなった私は急いで彼女のところに行き、
    後ろから彼女の腰を抱いて、日本語で語気を荒げてしまう。
    「なんか用ですか?!」
    その瞬間、彼女が私の方に重心を寄せて
    ほんの少し後ろに反り、私の耳元で囁く。

恵利子:「…ねえ、そのまま聞いてて?」
蛍  :踊っていた時より、更に近い距離で彼女の声が響き、
    また頭に熱がのぼる。
    「あ、う、うん」
恵利子:「女同士で踊ってないで、僕らと飲まないかって言うから
    私達、カップルだからって言ったの。
    そういう事にして追い払いましょうよ、ふふっ」
蛍  :「え」
    品定めをするような顔で私たちを見ている男たちを、
    横目で見ながら私の首に手を回す。
    「え、りこ、さん」
恵利子:「ほら、ね。こっち見てなきゃだめ」

蛍  :彼女が私の首に手を回した拍子に
    腕の時計の金具に首のチェーンが引っ掛かった。

恵利子:「あ」
蛍  :「あれ?」
恵利子:「そのままにしてて」
蛍  :腕は私の首においたまま、向き直って
    右手を逆から回して引っかかったチェーンを外そうとする。
    まるで抱きつかれているような体勢で
    踊ったせいか、近すぎるせいか
    少し湿気を帯びた彼女の香りが纏(まと)わりつき
    上気した白い頬と、唇から少し覗く舌先から目が離せなくなって
    ガムシロップの中に閉じ込められたかのように
    すべてが歪んで溶けて、呼吸もできなくなっていく。

恵利子:「ほら、取れた」

蛍  :「…取れたなら、腕も外してください」
恵利子:「だーめ、まだあの人たち見てるもの。
    もう少しこのままね。
    あ、近くで見るとけいちゃん、睫毛長い。
    髪も柔らかくて気持ちいい…
 
    ねぇ、こうしてると本当にカップルみたいじゃない?
    今にもキスしちゃいそうな…ほら…」
蛍  :「そんな顔されたら、ちょっと私、理性が飛びそうです」
恵利子:「…このまま、してみる?」

蛍  :彼女の蠢く唇から目が動かせなくなってしまって
    音が消えて何を話しているのかもよくわからなくて
    かろうじて言葉を絞り出す。

    「もう…からかわないでください。
    …どうせ私のことなんか、
    男の子と会う隙間に呼んだら来る暇つぶし、
    くらいにしか思ってないでしょ」
    いつのまにか、
    男たちがあきれ顔で立ち去ったのにも気づかなかった。
    それを確認した彼女は、カウンターのスツールに座り
    新しいグラスを注文する。
    トニックで割った甘めのオールド・トム・ジン。
恵利子:「そんなことないわよ。
    けいちゃんと会うのは、いつも楽しいもの。
    かわいい後輩と会うのと、男の子と会うのは別物じゃない。
    でもあれかな、さっきのけいちゃんがかわいくて
    次は女の子でもいいのかもって、今のは、思っちゃった」
蛍  :「…はいはい…そんなわけないでしょ。
    そいつと離れたら、また『寂しいから一緒にのんで』
    って言って呼び出すくせに。
    …まあ、それで私はまた、のこのこ出てくるんですけどね」

    そうやって男と離れる度に私のところに戻ってくればいい。
    ここにいる限り、彼女は私のところに戻ってくる。
    「今」の男はいつも使い捨てなんだから。
    私はずっとここにいれればいい。
    いつか、彼女に、呼び出されて、
    何人目かわからないけれど、つまらなかった男の話を聞かされて
    慰めて、抱きしめて、キスをしたら
    …貴女の一番になれるのかしら。

    「とりあえず今日は、
    そのいけ好かないクソガキと会ってきてください。
    面白くなくて戻ってきたら、いくらでも優しくしてあげます」
恵利子:「えーけいちゃんが拗ねてたら、楽しく遊びに行けないじゃない」
蛍  :「そうやって、愚図る恵利子さんかわいいですけど、
    あーあ、どうせ、可愛い後輩より男なんだから」
恵利子:「…優しくないじゃん」
蛍  :「からかうからですっ
    それに、置いていかれたら、
    あとは一人で飲んだくれるしかありませんからね」
恵利子:「…ごめん」
蛍  :「…お会計はして行ってくださいね、拗ねてないですよ」
恵利子:「…ごめん」
蛍  :「もういいです、綺麗な服の恵利子さん見れたし。
    初めてのタンゴも楽しかったし」

恵利子:「いつかね、けいちゃんが私の事を忘れたらどう思うかなって、
    私がいろんな人を忘れてきたように、
    私もけいちゃんにそうされるのかなって思ったら、
    ちょっと切なくなっちゃった。
    これからいろんな人と出会っていって、
    忘れられちゃうよね、きっと」
蛍  :「こんな何するかわからない人、
    一生忘れない自信ありますけどね。
    …ていうか、恵利子さんが思ってるより
    私は、恵利子さんの事好きなんですよ?」
恵利子:「知ってる。私も大好きよ?妹みたいなかわいい後輩ちゃん。
    私ね、間違った人生に見えても、
    楽しい一日を積み重ねて生きたいの」
蛍  :「妹…ね。うん、いいです、それで」

蛍  :席を立った彼女は迎えに来た男に足早に近づき、
    男が彼女の腰に手を回す。
    彼女の髪に優しく唇をつける。
 
    さっきまでその場所にいたのは私だったのに。
 
    私に纏(まと)っていた彼女の香りが急に消えた気がして 
    目をそらすと置かれたボトルの、
    黒猫のラベルが私を見てにやりと笑う。
    行っちゃったね、と言われたようで
    毒でも飲むようにグラスを飲み干す。
    「オールド・トム・ジン、ください」
 
    彼女が私を忘れてもいい。
 
    そいつが何回、貴女といっしょにいても、もういい。
    私が、百万回目に貴女に会う猫ならばそれでいい。
 
    黒豹みたいな貴女は、私のかわいい白猫なのだ。
    私より先に死んでしまうとしても、
    最後の楽しい一日を一緒に過ごせればいい。
    そうしたら私は
    貴女の傍で泣いて泣いて二度と生き返らない猫であろう。




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