手術中に倒れないための全て

私はとても虚弱だ。
どのくらい虚弱かというと、学生時代、帝王切開の見学・採卵の見学ともに開始10分で床に崩れ落ち、以後の手術は椅子に座って見学させていただいていた程である。

しかし研修医という立場上、外科手技を全く必要としない科を志望している場合でも手術には入らねばならない。
さらに大抵の病院では、研修医にもなんらかの(カメラ持ちや器具出しなど、患者の容態に直接関わる部分では無いとはいえ)役割を課されることが多い。
ということは…手術中に倒れると迷惑がかかるではないか。

一抹どころか、血の気が引くほど不安である。
なんとかせねばならん。

ここでの「倒れる」は、医学的には「迷走神経反射」と「疲労の極致にあり、身体を支えることが不可能になること」と言い換えることができる。
迷走神経反射の心因性・外因性要因と、疲れやすさについて探っていこう。


原因①共感能力の高さ

「血が苦手」という多くの方はこれではないだろうか。
創部を見た瞬間、実際に自分の体で同じことが起きていることを反射的に想像してしまい、「痛過ぎ…こんなん無理…」と感じて自分の意思に反して血圧が下がってしまう(心因性の迷走神経反射)。

研修医がこれを克服する方法は、創部を痛みや感情を持つ人の体ではなく「我々に治してもらえるのを待っている臓器の集合体」として捉え直す訓練をすることだ。
つまり、意識のピントを当てる場所を、臓器の向こうに見える患者の人格ではなく臓器そのものに意識して限定させるのである。

思考訓練

術野が視界に入った時、雑念の入る余地もないほど継続して「わー、臓器の集合体だ!面白いね!」と無理やり考え続ければ良い。

ルート確保練習

もう一段階、日常でもできそうなことにランクを下げてみよう。
ルート確保を練習することである。

患者さんの腕でとるのでも、同期の腕で相互に練習しあうのでもよい。
「自分が与えることになる苦痛はとんでもなく大きなものでは無い」「目の前の患者さんを幸せにするために現時点で自分にできることは、迅速かつ正確に侵襲を加えることだ」という実感と、手技の間だけ目の前の人間を対象物として切り離す感覚を身体に覚え込ませることだ。

私はルート確保もとんでもなく苦手で、入職時点では血管が良く見える人相手に1時間以上かけて(時間かけすぎ)、3箇所も刺して(刺しすぎ)、それでも確保できずに患者さんと上の先生に半泣きで謝るというダメレジムーブをかましていた。
今は脂汗こそ流すものの、ルート確保でもたつくことはない。

私にとって力になったのは、下手な同期と相互にルート確保の練習をした経験である。
上手い人と練習しても、上手すぎて一瞬で終了してしまい学びの余地がほとんどない。
逆に下手な人だと、「うわ…思い切りよく入れてもらったらそうでもないのに、気遣ってじわじわ入れられたらこんなに嫌な痛みがあるんだ…」「ああああ違う!その角度で入れたら血管内皮に引っかかって痛い痛い痛い!」など、試行ごとに患者さんの気持ちを身をもって知ることができるのだ。
結果として成功率がぐっと上がり、手早くルート確保ができるようになった。

話が逸れてしまったが、とにかく、共感性の高さに対しては、侵襲行為を加える間だけ、患者の人格ではなく患部に意識を集中させる訓練を積むことが肝要である。

原因②そもそも疲れやすい

登山などで3時間歩くことはさほど苦ではないが、ただじっと立位を保ち続けるのが尋常でなく苦痛だ。40分くらいで限界が来る。
おそらくふくらはぎのポンプ機能がもともと弱いのだろう。

これに関しては訓練でどうなることでもなさそうなので、サポートウェアの力を借りる。
そう、努力での解決が厳しいなら金を積めばよい。

CW-X 下半身フルサポート

天下のワコール様が製造・販売しているサポートウェアである。
実感としてとても良い。日常の中では特に劇的な変化を感じないのだが、立位でいられる制限時間が3倍くらいに伸びる。
価格はとても高いが、それに見合うだけの価値はある。

リンクを貼るために調べたら、上半身用のサポートウェアも見つけた。購入した。

UGG マリンメガレース

可愛さと高い機能性が両立している珍しい例。

愛用していた3000円の運動靴だと、長時間立っていると足裏に手術室の床の固さを感じてつらかった。
しかしこれは靴底がふかふかなので、長時間立位でもなかなか足裏が痛くならない。とてもよい。

メンズの靴は存じ上げません。ごめんなさい。

原因③肉体のコンディション

そもそも迷走神経反射とは何だろうか。
救急医学会の定義を見てみよう。

迷走神経反射

ストレス,強い疼痛,排泄,腹部内臓疾患などによる刺激が迷走神経求心枝を介して,脳幹血管運動中枢を刺激し,心拍数の低下や血管拡張による血圧低下などをきたす生理的反応。脳幹血管運動中枢からの刺激は末梢各臓器の運動枝を介して,伝えられる。運動枝は骨盤内臓器を除く全臓器に分岐し,気管喉頭や消化管機能に影響を与える。本反射は生命維持のための防衛反応であるが,過剰反応をきたして身体異常を生ずることがある。排尿時の迷走神経反射により血圧低下をきたしたり(排尿時失神),迷走神経の過緊張により一過性の心停止をきたし失神することもある(迷走神経性発作vagal attack)。

日本救急医学会・医学用語解説集より引用

難しげな言葉が並んでいるが、要するに「迷走神経反射とはストレスによって血圧低下をきたす反応」ということだ。

ストレス

ストレスを引き起こすもののうち、調節可能な要因は
・睡眠不足
・空腹
・蓄積された疲労
くらいか。

血圧低下

また、血圧低下を引き起こすもののうち、調節可能な要因は
・循環血液量の減少(=水分不足)
くらいであろう。

つまり、よく寝てよく食べよく飲んでおけば、迷走神経反射は肉体側から予防できるのではないかと推察される。

以上が、わたしのかんがえたさいきょうの手術対策となる。

実践!帝王切開助手

さて。
先日、帝王切開のメンバーの一員として午後からの手術に入るようにとお達しがあった。

私はここまでの知見を踏まえ、

・前日はたっぷりのお湯に浸かった後9時間ぐっすり眠り、
・当日朝は山盛りの米と味噌汁と漬物を腹におさめ、
・CW-XとUGGの靴を装備して下半身を優しく支え、
・昼休みはしっかり1時間取らせてもらい、職員食堂の弁当に加えスープを作って飲みさらにたっぷり水を摂取し、
・ダメ押しとして昼休みの残り時間30分は全て昼寝に費やしたうえ、
・麻酔待ちの時間は許可を得て座位で過ごさせてもらう

という、なりふりかまわぬ万全の対手術準備を行い、結果として一切滞りなく第二助手をつとめることができた。気分が悪くなることもなかった。素晴らしい。

知は力なり、と言ったのはベーコンであったか。
能力が足りないとき、バフを盛ればなんとかなることもある。

虚弱研修医のみなさまにはこの一部でも参考にして、実りある研修の一助としていただければ幸いです。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?