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【ピアノ日記(?)】ヨガとの共通点

私はヨガは日常的にやっていないものの(本当はやりたいけど他の趣味が忙しすぎて)、ヨガの精神には何か深く惹かれるものを感じている。やるなら単なるフィットネス感覚ではなく、体と精神の向上を目指してやりたい。なーんてことを、ちゃんとやってもいないくせに生意気にも思うのです。

ヨガの本もなぜか愛読していて、ケン・ハラクマ先生の本、沖正弘先生の本、千能千恵美先生の本などなど(勝手に先生と呼んでいる)。ポーズの図解や解説は割とどうでもよく、ヨガの精神性について書かれた読み物を読むのが大好き→そしてやってもないのにやった気持ちになるという。

中でもケン・ハラクマ先生の本は、親しみの持てる語り口調に、書いてあることも「本当にそうだなあ」と思うことが多く、「ヨガから始まる」(朝日出版社)は何度も読み返し、付箋もたくさん。先生が北極点を目指して北極大陸の上を歩いていた時に気付いたことについてのくだりなど、何度読み返しても感動!

ケン・ハラクマ先生の本で最近また読み返しているのが、「ヨガを伝える」(春秋社)という本。以前のnoteの投稿にも書いたように(外向き=内向き?)、ピアノの練習とヨガって実は同じことだなと気付いてから久しぶりに読み返すと、もうまさにその通りとしか言いようがない文章がたくさんあったので、下に抜粋して紹介したいと思います。



(「ヨガを伝える」…「はじめに」より抜粋)

”何かに真剣に取り組んでいる人はみな「ヨガをすでに行っている人」です。仕事でも、ボランティア活動でも、子育てでも、あるいは忙しい日々のなかで熱心に趣味を続けようとすることも、何かに向かって試行錯誤しようとする人はみな、自分なりの実践の知恵を持っています。その意味で、多くの人たちはすでに人生において「ヨガ」をしています。マットの上に立っていてもいなくても、すでにヨガをする人の一人なのです。”

”私は、インストラクターと生徒さんは、ヨガという同じ山を登る仲間だと考えています。そして頂上へ至るルートは人の数だけあると思います。難しいアサナ(ポーズ)を軽々こなせるインストラクターは素敵ですが、体の硬い人は「体が硬い」ことに関する専門家。思うようにならない体と会話して、どうやって無理なく体を伸ばすのかの経験値は、後者の方が勝っているかもしれません。できていてもできなくても、こうありたいという方向を目指すその過程に、その人らしいヨガのあり方があります。
 あなたがヨガに関心を持っているのは、ダイエットしたいから? ストレスから解放されたいから? それとも新しい人生を歩みたいから?
 そのすべてが正解だと私には思えます。人それぞれにゴールがあるということがヨガ。つまりヨガは生き方なのです。ですから、アサナとの向き合い方と、日々の生活、そして未来のあなたは同じ地平でつながります。ヨガがないと幸せになれない生活はヨガ的ではありません。活き活きと生活するために日々やっていることが見方を変えたらまぎれもなくヨガだったという発想こそが、理に適っているのではないでしょうか。”
(抜粋終わり)


二つ目に紹介した文章なんて、まんま楽器の演奏(に限らず何でも)にも置き換えられるのではないかなー。

曲を弾けるようになるのが嬉しいのはもちろんだけど、ピアノの練習を通して新しい自分を発見したり、凹んだり喜んだり、何かを学んで少しずつでも進歩している充実感を得られたり、そういうのも嬉しくて今日も練習するんですよね。きっとヨガでも何でも、同じだと思います😄

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