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【ピアノ日記】年末年始に訪れた心境の変化(2024新年編)

前回の投稿で、2023年末に訪れたピアノに関する心境の変化について書いたが、年明けてさらにまたその心境がトランスフォームしたwので、書いてみます。

年末にようやく、自分で自分に高い理想を要求してピアノを楽しめなくなっていたことに気付き、憑き物が落ちたようにさっぱりとして、お正月期間は楽しいと思える範囲での練習しかしなかった私。この時点での私にとっての楽しい練習とは、頭を使わずにできるハノンやブラームス練習曲でゆっくり一音一音、力の抜けたいい音を出せるかやってみる地味な練習(どうも元々こういう単純作業的なことが苦にならない性格らしい…)。
また難しい曲に関しては、一応来月に本番が控えているのでそうは言っても練習しないわけにはいかないのだけど、折悪しく(良く?)昨秋から患っている四十肩の激痛期間と重なったこともあり、力を入れずゆっくりピアニッシモでさらうというさらい方をするのみ(これだと絶対弾けるので心が傷つかない)。

そんな感じでゆるくお正月を過ごしつつ、これまでの自分を見つめ直してみた…。

どうも自分の中に二種類の自分がいるような気がする。
一人は、誰からも聞かれなくてもいいから、マイペースに日々の精進を楽しんでいる自分。もう一人は、人前で憧れの難しい曲を上手に弾いて、すごいねと賞賛されたいと思っている自分。恐らく本来の自分は、前者ののんびりした方。後者は妄想の中の理想像だ。

今まではなんとか、後者の自分が前者の自分のお尻を叩いて牽引してきたけど、もう私のピアノの能力ではここが限界だ、と思った。余裕を持って弾ける能力もないのに難しい曲にチャレンジしてるから、達成するまでの努力の量も半端無いし、途中の過程も苦しい。あと以前の投稿でも書いたのだが、若い頃の自分とすら比べてしまい、二重に苦しい…。
(ここで冷静になれば分かるのだけど、これって全て考え方一つ変えれば気にならなくなる問題なのですが、渦中にいるとどうしてもそういう風に思えないんですね…)

で、二人の自分のからくりに気付いて随分心が楽になったものの、年明け早々にミニ発表みたいな予定が入っていたので、そのことを考えるとまた重い気持ちに陥ってしまう自分。このミニ発表は、2月にいよいよその難しい曲の発表があり、それの予行演習として以前に申し込んでいたもの。弦楽器とのアンサンブルなので、相手に迷惑がかかることもあり、気が乗らないからと言ってキャンセルしたり曲を変えたりはできないのです。

当日の朝、四十肩の痛み & 上記のような気持ちのダブルパンチで練習する気も起きず、午後の発表が恐くて憂うつな気持ちでふとんにくるまり、気を紛らせるためにYoutubeを見ていると。最近よく表示される哲学系の動画がふと目に止まった。「仕事が嫌にならないコツ」というタイトルで、何の気無しに見てみたらこれがまた、とっても響いたんですね…。下に内容を要約してみます。

"仕事が不快と感じる理由は、未来の、今この瞬間には起きていない問題(ミスなど)を予測しているため。また期限に間に合わないかもと想像して、嫌な気持ちを味わっている。これらの、未来由来のストレスに苛まれながら今を生きているから苦しい(=エア不幸)。
実は、ミスをしたり期限に間に合わなかったりして上司やお客さんに怒られるのが嫌なのではなく、未来の自分に嫌われるのがイヤなのである(=ミスをする自分なんて嫌い、そんな自分は認めたくない)。その証拠に、ミスしたって全然気にしない人もいる。

対策1 時間内にあれこれこなさないといけないと考えることがストレスを生むので、今目の前にある作業に集中する
対策2 単に未来の自分に嫌われるのが恐いだけ、と自覚すること。自分が自分を嫌わなければ問題ない"

以上、要約終わり。

……。これって……。
私が現在進行形で絶賛悩み中の、「ピアノの発表」に置き換えたって通じる内容やん……。

ピアノの発表に置き換えて同じ内容を書いてみます。

"発表が不快と感じる理由は、未来の、今この瞬間には起きていないミスタッチ、大崩壊、合奏が止まる、などなど、ありとあらゆる本番中の不測の事態を予測しているため。また発表までに準備が間に合わず弾けるようにならないかもと想像して、嫌な気持ちを味わっている。これら未来由来のストレスに苛まれながら今を生きているから苦しい(=エア不幸)。
実は、演奏が失敗してお客さんに下手だなーと思われるのが嫌なのではなく、未来の自分に嫌われるのがイヤなのである(演奏失敗する自分なんて嫌い、そんな自分は認めたくない)。その証拠に、うまく弾けなくても全然気にしない人もいる。

対策1 期限までに弾けるようにならないといけないと考えることがストレスを生むので、今目の前にある練習に集中する
対策2 演奏がうまくいかなくて単に未来の自分に嫌われるのが恐いだけ、と自覚すること。自分が自分を嫌わなければ問題ない"

演奏に置き換えてものすごく納得した…。その日の午後の発表なんて、そもそも気軽な発表なのに、また自分で自分のハードルを上げたり、一緒に演奏する弦楽器の人に迷惑をかけないか心配したり、先回りして事前に恐怖を感じているだけなのである。同席する方々だって温かい人たちだし、共演者だって恐い人じゃないんだし、別にミスしたってとって食われるわけじゃないんだからいいのである。

な~んだ。他でもない、未来の自分に嫌われるのが嫌なだけだったんだ。。

またまた憑き物が落ち、すごく楽な気持ちになって、あっけらかんとして会場に向かったのでした。

会場にて。素敵なレストランを借り切って和やかに行われた会。なんと私は朝見た動画のおかげか、全く緊張せず(笑、Youtubeありがとう!)、驚くほどの平常心で演奏(弦楽器の人と一緒だと安心感があり、独奏の緊張感とは全然違うというのもありますが)。
そして、飲食が本業で音楽専門のお店ではないので、古くて調律もされていないヤマハのグランドピアノだったけど、出したい音が結構素直に出てくれる楽器で、弾いてる間中「うわっ! いい音が出る! 楽しい!」と感じられたのです(涙)。
同席者の方々が温かく聞いてくれたこともあり、拙いなりに演奏の高揚感を味わえました。
もちろんだめなところはたくさんあるんだけど、だからといってもう私は私を嫌わないぞっ。肩も痛いのによくがんばったぞっ!

夜帰宅して、昼間の、自分が鳴らした音がレストラン中に響いた喜び、いい音を発見した喜びを思い出し、「早く家のピアノでもあのいい音を鳴らしたい!! 色んな音色の研究したい!! 早く明日にならないかな」などと、あろうことか明日の練習を楽しみに就寝(!)。自分でもこの変わり身の早さに驚きである。

翌日、自宅のサイレントピアノのヘッドホン練習ですら楽しく、午前も午後も楽しく練習して、「あ~楽しかった!」と心から満足して練習を終えた。なんなら、今度の本番でみんなに聞いてもらえるのが楽しみ、早く聞いて欲しいとすら思えた。ピアノの本番が楽しみだなんて、子供の頃以来だよ…。なんだかすごくホッとした。これなら苦しくなく練習できる。

そんな感じで、Youtubeとミニ発表のおかげで、恐いと思っていた発表に対して一日で180度真逆の考え方をするようになり、年末の気付きと併せると、ずいぶんピアノに対する思いが軽やかで楽しいものへと変わっていった。

そして年末の時点では「上手く弾けないならもう難しい曲は弾かない」などと思っていたが、別に上手く弾けなくていいんだから難しくても弾きたい曲弾けばいいやんか、と思い直し、2月の本番終わったら次は何を練習しようかな~、などと難しい曲の楽譜を物色し始める始末。そうなんです、難しいけれども弾きたい曲達は、そうは言ってもやっぱり弾かずに死んでしまうには惜しい、魅力ある名曲達なのです。。
それに年末の時は、もう今後は気楽な弾き合い会にしか出たくないと思ったけど、やっぱりやっぱり聞いてくれる方がいる状態で曲の世界を分かち合えるのは特別な瞬間で、やみつきになってしまう素晴らしい体験なんですよね。だからまた人前で発表できる機会があれば、ありがたく参加したいと思いました。

この年末年始を挟んだわずか10日間ぐらいで、なんとゆーか道を端から端まで行って帰って来たが、帰ってきた時に見える景色は初めとまるで違っている、といった心持ち。私個人の条件は何も変わっていないのに、考え方一つ変えて一気に楽になった。
多分私のことだからこの後も一筋縄では行かず、二転三転、また悩んだり落ち込んだりするかもしれないけど、結局は気の持ちようでなんとでもなるという貴重な体験をしたので、この状態に戻って来れれば自分は大丈夫と思える。なんだかすごく安心する境地なのです。
たかが趣味のピアノのことで、そんな大げさな! と思われるかもしれませんが、一事が万事。自分にとっては、ピアノに対する取り組みも他のことに対する取り組みも、根底でつながっていて同じ思考回路でやってるんだな。だからこの心境に至れたってことは、今後はもっと他の色んなことでも肩の力を抜いて、人生そのものを楽に生きられるんじゃないかと期待している。

以上、年末年始に訪れた、パラダイムシフトの記録でした〜😆

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