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仕事と病気と出会いと別れ

前回の記事を書いてから、初めて直接の友人達も見てくれているSNSなどにこのnoteをご紹介させていただきました。
とても勇気がいりました。

わざわざ話すことでもないのだけど、聞かれても隠そうとしてしまうことがしんどかった。
自分の育ち、学歴のことを知ってもらっただけで、わたしはわたしのままで生きていていいんだ、と許されたような気持ちです。
まだまだ人から認められたいという思いが強い。そんな私も私。

きっと今
生きてるの辛いな
あいつ許せないな
子育てつらいな
この場所から逃げたいな
って感じてる方がたくさんいるはず。
私も数ヶ月前までそうだったから。

そんな方が読んでくださって、ふーん、変われるやつもいるんだーって面白がってもらえたら嬉しいです。

今回は第5回目。

1.社会人生活スタートと食道アカラシア発症

20歳で高校を卒業後、自動車免許を取得、ようやく一人で動き出せる環境が整いました。

学歴はなくても国家資格があったら、それで食べていけるかな?まずは専門知識を身につけたいと思いハローワークで見つけたのは「社会保険労務士事務所」。

事務員募集の求人に早速応募し面接していただきました。所長には通信で高校を卒業したことを評価していただき、採用となりました。

世間知らずの私を採用し、一から教育して育てて下さった事務所に感謝の気持ちでいっぱいです。迷惑ばかりかけてしまったけど、本当に暖かい会社でした。

勤めさせて頂いた4年間の間にいろんなことがありました。

ある時突然、それまで食欲旺盛でぽっちゃりだった私が、急に食べられなくなったのです。食べること大好きなのに、胃に入って行かなくて、胸が苦しくなって、吐いてしまうことの繰り返し。3ヶ月で10キロ以上やせました。吐いてしまえばすっきりするけどお腹に入ってないからまた食べてしまう。はた目から見ればたくさん食べてるのに食事中トイレに行くようになったな、と思われていたはず。原因不明の飲み込めないつらさ、そして時折夜中に胸が締め付けられるような痛みが起きるのがつらかった。

親しくしていた知人が摂食障害じゃないかと心配して精神科を紹介してくれて受診したこともあります。話を聞いてもらって、消化剤をもらうだけでした。自分の中でも、精神的なものではないような気がしていて行くのをやめてしまった。

内科もたくさん受診しました。行く病院すべてで胃カメラをして、何も異常は見つからずガスター出してくれるだけ。でも、全くよくならなかった。

そんな症状を抱えながら2年ほど経った23歳の冬、友人が韓国に住んでいて、その友達に会いに韓国へ遊びに行きました。韓国で楽しい時間を過ごし、ショッピングなど楽しんで帰国。
その数日後、突然夜中にまた胸の痛みが起きたのです。いつもと違う激痛で、泣き叫ぶほど痛かった。あまりの痛がりように、親が救急車を呼び、そのまま入院することに。

病名は「水疱瘡」でした。

どうも私が小さいころ、母は今でいう「自然派」に傾いていたのでしょう。予防接種を私に受けさせていなかったようでした。母子手帳も捨てていたようではっきりしたことは不明でしたが、とにかく抗体がない私はどこかでウイルスをもらってきてしまったようです。大人になってからの水ぼうそうは体内に発疹ができるんだそうで、私はその体内の発疹が弱い粘膜の部分で炎症を起こし痛みが起きたのではないかということでした。

退院前にどこかに炎症があるはずだから調べようということで初のバリウム検査をしました。検査液を飲み、機械につかまってぐるんぐるん回り撮影。その後診察室で見せられた私のバリウム写真は、2年間原因不明だった「飲み込めない原因」が一目でわかる症状をうつしていました。

食道が、フラスコのような形に膨らんでいて、胃につながる部分が異常に狭くなっているのです。

「食道アカラシア」という、10万人に1人という珍しい病気であるという診断でした。

以下、メディカルノートより抜粋↓

食道アカラシアとは、食道から胃への食物の流れがスムーズに行われなくなってしまう病気です。食物が慢性的に食道に溜まることになるため、食べ物が口に逆流してきます。このことが誘因となり、咳や胸の痛みなどが現れます。また、飲み込みにくさを自覚することもあります。

水ぼうそうはつらかったけど、2年間私を苦しめた食べられない原因にきちんと病名があった!それが判明したことはとても大きな収穫でした。その後診断をして下さった病院で内視鏡によりバルーン術という治療を受けたものの、激痛が走っただけで全く症状は改善されなかったというオチ。

激やせした原因がはっきりしたけどなかなか食べられないでいる私に、とても見立てがいい先生がいるから話だけでもしに行ってみたら?と所長の奥様が病院を紹介して下さり、さっそく受診しました。

すると、一度だけアカラシアの患者さんを診たことがあるという貴重なお医者さんで、親身に私の体と心に寄り添って下さいました。食前に飲む液体のお薬と、食後に飲む逆流性食道炎の治療薬の併用のおかげで症状が悪化することなく、痛みが出た時には漢方の頓服薬でしのげるようになりました。結婚前だし、栄養失調になってはいないから手術はしない。薬でコントロールしていこうね、と優しく言って下さった先生のことは一生忘れません。

アカラシアと20年近く共存していますが、私の人生には必要な経験だったなと感謝の気持ちで自分の病気を受け止めています。

病名が分かった私は一気に自分の人生を生きることに集中しました。

親の反対を押し切ってバイクの免許を取ったり、実家を出て一人暮らしもスタート。古いアパートだったけど、一人で暮らし、友達が遊びに来たり、自由気ままに過ごせる毎日がとても楽しかった。

2.恋愛も仕事も長続きしない

社会人になってから、仕事はものすごく頑張りました。仕事できるという評価が何より大事だった。でも、一人の女性としての内面も、外見も、全然自信がなかった私。恋愛事情にも大きな影響を及ぼしました。

社交的な性格なので、一度友達になるとその友達とも友達になり…と、どんどん友達は増えていきました。バイト先で知り合った高校生と遊んだり、その友達と知り合い…彼氏もいたりいなかったり。

遊ぶ男友達はたくさんいたんだけど、距離がうまくとれなかった。

若かったという一言で思い出をひとまとめにするには、たくさんの事がありすぎてぽろぽろとこぼれ落ちてきてしまう思いがあります。一緒にいたかっただけ、傷つけてしまったこと、私も傷ついたこと、たくさん思いがあふれます。

ただ、今振り返って思うのは、自分の気持ちを出すのが怖くて、一度躓くとそこで踏ん張れなくて、逃げる事しかできなかった。自分がどう思われてるかばかり気になって、自分の気持ちからいつも逃げてしまいました。

4年間務めた会社を退職後は、教育訓練給付金を受給しながら3カ月間専門学校で簿記の勉強をさせていただきました。失業給付を受給しながら短期の専門学校生をやらせていただけるという素晴らしい制度!簿記3級まで無事取得しました。一緒に勉強していた仲間もみんな一度社会人経験をしている人たちで面白いメンバーでした。懐かしい。

簿記3級を取って就職につなげるというのが目的だったのですが、実際世の中の求人は簿記2級以上が条件の求人が非常に多くて、数名の有志で簿記2級まで教えて頂けるよう講師の方に交渉し、特別に講座を設けて頂くことになりました。2級取得に向け必死に頑張りました。一発合格して当たり前と自分に言い聞かせながら、就職活動も同時進行。簿記2級取得予定ということで会計事務所に就職。昼休みも勉強、夜は講師の方や仲間と集まって勉強し、無事その年の11月に2級合格を果たしました。

会計事務所の仕事は非常にやりがいがあり、毎日が勉強でとても楽しかった。直属上司はとても仕事のできる方で、上司から仕事を教わることが本当に楽しかった。上司にも気に入ってもらい、私をどこに出しても恥ずかしくない一人前の人間に育てると言って、顧問先にも連れて行ってくださり、仕事のイロハを教えて頂きました。
そんな大好きな上司と一緒に仕事したのは丸2年ほど。病に侵されていることが判明、瞬く間に休職。その数ヶ月後、帰らぬ人となりました。
その時の無力感たるや、思い出すだけでも辛い。
お客さまに会うたび一緒に泣きました。愛され、絶大な信頼を得ていた上司があっという間にいなくなった絶望感。
師匠がいなくなって張り詰めていた気持ちが切れてしまい、仕事を続ける自信をなくし退職。

もっともっとあなたから教わりたいことがたくさんあったのに。一人前に仕上げてもらいたかったのに。半人前のまま逃げ出してしまったこと、ごめんなさい。

次に転職した会社で、今の主人と出会いました。

やっと、やっと、私が私らしく、一緒にいて自分らしくいられると思えた運命の人。楽しい時だけでなく辛い時にもこの人となら一緒にいられると思えた人に出会えたことは、私の人生で一番幸せなことだと思う。

主人はものすごく自分軸を持っている人で、自分は自分。というスタイルを素で貫いている。主人は私と一緒にいると自分の意志で決めたから、私がものすごく不安定になったり、子供に対して怒鳴り散らしたりイライラが止まらない時も、彼のスタンスは全くぶれることなく、いつも私に対してフラットな状態で接し、私に何かを強制することもなく接してくれます。

結婚して今年で10年。ここまで来たのは主人のおかげ。

やっと私が自分で自分に向き合うようになって、私は私、と思えるようになってきたときに、実は一番のお手本が一番近くにいたんじゃん!という新たな発見をしました(遅)

ノートに本心を吐き出すようになってから、やっと自分で自分を認めてありのままで受け入れることができるようになったのに、素でできるのはうらやましいです(笑)

そんな主人との間に授かった子供は、自分の心のゴミを取り除くために私の子供として生まれてきてくれた存在。

次回は子どものことを書こうと思います。

わたしがわたしで生きるために、恋愛の経験も、転職の経験も、病気になったことも、主人と結婚したことも、子供を授かったことも、すべて必要だったと心から思えます。

こんな変わった体験談からの気づきが、誰かのお役に立てれば、それが私が私として生きている大切な理由になります。

読んでくださり本当にありがとうございます。

#アダルトチルドレン

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