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私と開発履歴

始めまして。現在、38歳で首都圏で花屋(とは言っても、メインの仕事はルート営業)をしているサラリーマンです。

なかなか上手くいかない人生を振り返る場所として、noteに書いていきたいと思います。私は本業はサラリーマンで忙しい傍ら(あまり儲からない会社なので、労働時間は多い)スマホアプリやWebサイトの開発をしてます。今回はなぜ私が、アプリ開発をやるようになったのか?振り返ってみたいと思います。

2007年ぐらいに、サイバーエージェントの藤田晋社長の著書「渋谷ではたらく社長の告白」を読んで、漠然と将来に不安を抱えながら、何をすれば良いのか悩んでいた、当時25歳ぐらいの青年の私は、藤田社長の起業ストーリーにまんまと憧れてしまいました。

当然、藤田社長の様に、行動力は無いし、ただ漠然と花屋でルート営業をしていた自分では、とても起業をするなんてできないし、どうすればいいのか?何をすればいいのか?半年ぐらい悩んでいたと思います。

当時2007年はスマートフォンも無く、ガラゲー全盛期でDeNAが運営する「モバゲー」の流行っており、DeNAの決算も凄くなり始めたところでした。何故かパソコンを使って、クリエイティブな仕事をにする的なこと、憧れていた私は(今も当然ある)半年悩んで、Webサイトを作って、起業しよう!Web2.0だ!(当時流行っていた)と心の中で、叫んでいました。

今、振り返ればWebサイトを作って、起業って・・・・・半年も悩むことでは無いぐらい、ポピュラーなことですよね。

Webサイトを作ると言っても、どうすれば分からなかったので、本屋行ったり、家電量販店に行って「サーバ機ください」とか、恥ずかしいことを言ってました。紆余曲折をへて、プログラミングを使って、Webサイトができることを知り、私のプログラミング生活が始まるのです。

2008年〜2009年。当時、mixiやGREEも株式上場しており、SNSが流行り始めたときでした。それなら私もSNSを作ろう!と考えたのですが、それでは芸が無いと思い、当時、認知され始めたWikiを作ろうと考えました。因みにWikipediaのWikiはここから、来ているですよ(みんな知っているか)

アットウィキと言うWebサービスがあり、こんな感じで作ろうとコンセプトは決まったのですが、当時の私は、悪魔のFXにハマっており、しかも2008年〜2009年は、リーマンショック後の荒波相場で恐怖のロスカットをくらい、お金もなくなり、不安定になり、実際プログラミングを勉強してみたら、想像以上の難しさにモチベーションを失ってました。ちなみにアットウィキの運営者は同じ学年なので、同学年が立派にWebサービスを運営しているを見て、ちょっとショックを受けました。

2009年のゴールデンウィークが過ぎた頃、mixiがPlatformの開放するとネット界の人たちが、「ビジネスチャンスだ」と騒いでいるのを見て、私の失っていたモチベーションが戻ってくるのでした。

少し疲れたのと、まだまだ長くなるので、また次回に続きます。

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