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伝統的な田舎の結婚式

元夫の実家の街は、派手な結婚式で有名な街でした。
その街の女性は余程の事情がない限り、外で働かないのが普通。カフェやレストランには入らない、外出は夫や男性家族の許可を得てから、週に一回のハマムとたまの親戚訪問だけ。
大家族暮らしの日常のスパイス、というか唯一に近い楽しみが、結婚式などのお祝い事でした。

どれくらい派手かというと、私がモロッコで暮らし始めた2000年頃、結婚式は、7日間かけて行うのが普通でした。
「今日は新婦の嫁入り道具を披露する日」「今日は新婦が女性たちとハマムに行く日」「今日は新郎が髪を切る日」「最終的なお祝いの日」などと毎日行事があり、家族や近所の人が集まります。

その後縮小されて、3日が多くなりました。
私は大抵、一番大事な日、1日だけ参加していましたが、本来家族は全日程顔を出さなくてはなりません。

結婚の準備

2000年ごろ、この街ではモロッコ人同士の恋愛結婚はご法度で、女子は10歳前後で家事を習い始め、15,16歳くらいで学校をやめ、20歳までに家族同士が決めた結婚することが一般的でした。
結婚は家族と家族のむすび付きというイメージが強く、まず、双方の母親が会い、非公式に話をします。うまく行きそうな場合、父親同士が具体的な話をし、新郎家族が新婦の家を訪問します。
食卓につくのは、大抵の場合男性家族のみ。新婦になるかもしれない女性は、食後、お茶のトレイを持って一瞬現れるだけで、会話もしません。(これが、結婚前の唯一の顔合わせになる場合も)

その後、双方の親が何度か会い、新郎から新婦家族に贈る婚資金の額、里帰りの頻度、嫁入り道具の詳細、衣装の詳細、離婚した場合の慰謝料額など細かく話し合い、全て書類にまとめます。
この段階でまとまらず、破談になった話もよく聞きました。例えば、うちに来ていたお手伝いさんの場合、サロンモロカンという家具を新婦の側が用意して欲しいと言われていたけれど、用意できないので破談になりました。
この街では、イトコ婚が盛んでしたが、その理由の一つに、結婚する二人の関係が近ければ近いほど、嫁入りの準備が軽くてすむ、土地などの財産が分割しないということがありました。また、新婦にとっては、子供時代に知っている人、家族なら安心という理由も。モロッコ人男性が、外国人女性と結婚する場合も、モロッコ人女性と結婚する場合に比べてお金がかからない、婚資金が少なくていい(または払わない)という事があり、資金不足でモロッコ人女性と結婚できない男性が、外国人女性と結婚するという話もたまに聞きました。

結婚式シーズン

話がまとまった場合、数ヶ月かけて準備をします。
結婚式はラマダンや犠牲祭などの宗教的行事は避けて行われます。また、モロッコ人の家族には、海外に出稼ぎに行っている人や、留学している人が多く、彼らのご祝儀が重要なので、夏休みやイースター休みに合わせて行われることが多いです。

結婚式の衣装とアクセサリー

数ヶ月の準備。何にそこまで時間がかかるかというと、まずはドレス。女性はタクシータ(タキシータ)と言う民族衣装ドレスを着ますが、花嫁本人は5回くらいお色直しします。大抵、色物数枚と、イスラムの色であるグリーンのドレス、ヨーロッパから入ってきたウェディングドレスのイメージである白を着ます。
結婚式で使うようなタクシータは、オーダーメイド。余裕のない家族の場合は、その後も使えるように多少地味目に作りますが、都市部の余裕のある家の場合は、イタリアから取り寄せた高級生地に手縫いで貴石を縫いつけたり、全面に手刺繍を施したりとかなり費用をかけます。着物と同じで際限ない世界です。
新郎新婦の家族の女性のタクシータも新しく作るのが普通です。家具を作ってもらったり、普通は新郎の家に同居ですが、部屋を直したりします。


マラケシュのゴールドスーク。
この写真のゴールドは都会の「おとなしめ、地味目」アクセサリー。


純金のアクセサリーも重要です。
都市部では、ひけらかすのはみっともない、という感覚で、大きすぎるアクセサリーは敬遠される傾向がありましたが(彼らの"控えめなアクセサリーは、日本人の目には十分大きいですが )、私が結婚式に出席していた頃のその街では、アクセサリーはこれでもか、というくらいたっぷりつけるのが普通でした。

18金はゴールドと見なされません。ゴールドと言えば、24金。24金は、現金と同じ、財産としての価値に意味があるので、細かい細工やデザインが美しいことよりも、とにかく重くて大きいことが大事です。(ちなみにこの街では、誰も宝石には興味がありません。現金化が難しいので、ゴールド一択です)

アクセサリーを競い合うのは花嫁ではなく、出席者の既婚女性たち。腕には、幅10センチ近いクレオパトラがつけていそうなブレスレット、ボクシングのチャンピオンベルトのような金のベルト(これは、さすがに中が空洞になっているけれど、かなり高い)首には、ずっしりと重そうな大きなコインがたくさんついたネックレス、中にはゴールドの太いチェーンのような装身具をたすき掛けのようにしている人も。花嫁のアクセサリーは、新郎や実家から送られたものの他、実家の親戚から借りたものです。

これらのゴールドは、女親から受け継いだものの他、婚約時、結婚時、第一子出産、第二子出産・・・と人生の節目節目で父親、男兄弟、夫からプレゼントされたもの。
現金収入が無い彼女たちにとっては、ゴールドのアクセサリーは、「愛情の印」というよりは、何かあった時のための保険です。
なので、デザインより大事なのは、重さであり、大きさなのです。
モロッコの街には、どこの街にもゴールドスークがあり、ゴールドアクセサリーは、重量で売買されます。なので、例えば夫が不慮の事故で亡くなった、子どもの医療費が突然必要・・・などのまとまった現金が必要になった時は、ゴールドを売りに行くのです。

なぜその「保険」を全身に身につけて結婚式に現れるのかは謎ですが、とにかく当時の田舎の結婚式に招かれると、もう、すごい量のゴールドに圧倒されるのが常でした。

結婚式の食事

その街の結婚式は、家庭で行われるのが一般的。冠婚葬祭で使えるように、地上階(日本の一階)は開け放して使える用に作られていて、50人から100人の女性たちが集まります。家が狭い場合は、貸し家を使ったり、外にテントを張ったりします。室内のパーティーに参加するのは、新郎新婦と女性と小さな子供のみ。(なぜか生音楽のバンドは男性のことが多い)
男性は、外かテントの折りたたみ椅子です。(都市部では、当時から男女ミックスのパーティーが行われることもありました)

パーティーは、大抵「19時、20時スタートなので、それくらいにきてください」と呼ばれますが、実際のスタートは22時ごろ。
この時間帯は、壁際に置かれたサロンモロカンというソファにずらりと着飾った女性たちが座り、ミントティーと手作りのお菓子をいただきながらおしゃべりです。
お茶をついで回るのは、未婚の女子たち。
一見、優雅な感じですが、ここで誰がどんなドレスを着ていたとか、どんな新しいネックレスをしていた、なんとか家の娘はそろそろうちの息子にどうか・・・などと観察され、結婚式が終わった後の格好の話題となります。

お茶も飲み飽きた、24時過ぎにやっと食事が始まりますが、食事の際には暗黙の了解が色々とありました。
人数が多いので、テーブルは3回転くらいするのですが、

1回転目は、ハッジャと呼ばれる長老格。50代から上は、80,90代の女性たちです。
2回転目は、30代から40代くらいの、既婚子持ち、上の子供はそろそろ結婚するか、という年代の主婦たち。
3回転目は、小さな子供がいる既婚女性たち。ここがたぶん一番気楽な席です。
未婚女性、既婚だけどまだ子供がいない若い女性にはテーブルが無いことも。彼女たちは、上の世代のテーブルの給仕をしたり、お茶を運んだりしながら、キッチンでつまんだり、後で急いで残り物を食べます。

ある結婚式に呼ばれた時のこと、私は2回転目か3回転目のテーブルに属していたはずなのですが、外国人嫁枠で、一番目のテーブルに呼ばれました。外国人だから「優遇」されたのか、もしくはその長老女性たちが私のことを観察してみたかったのか理由はわかりませんが、とにかく長老テーブルの中でも一番怖そうなおばあさんたちが集まるテーブルに、私と当時1歳の息子が参加することになりました。

モロッコの(この街の)食事は、普段から

  • 大皿の、自分の目の前の部分以外手をつけてはならない。

  • 同席の最も偉い人/年長者が手をつけるまで手をつけてはならない。

  • 煮込み料理は、まずパンをスープの部分につけて食べる→野菜→肉という順番で食べる。いきなり肉に手をつけない。

  • 年長者のペースに合わせて食べる。食べ終わったら自分も終わる。

  • 左手は補助の役割のみ。右手の親指から中指までの三本をうまく使って食べる。

  • 勧められたら何度か断る。

など色々ルールがあるのですが、

この年長者のテーブルを観察してみると、最年長のおばあさんが何かを食べる、次に年長のおばあさんが続く、一呼吸置いてからみんなが続く・・・という感じのルールに沿った動きが、流れる様にスムーズに行われています。最年長の手元を観察している風でもなく、渋い落ち着いた雰囲気の中、伝統舞踊のような完成された所作で食事が進んで行きます。

私は色々な意味で部外者なので、できるだけ空気を乱さないで食事をすることくらいしかできなかったのですが、腕の中には1歳の息子。彼にそんな事情がわかるわけもなく、おばあさん達の前でパンをビリビリに破ったり、奇声を発したり。すると、彼女達の動きが一瞬止まり、外国人嫁の私がどのように息子を叱るのか、収めるのか興味津々な顔をして観察されるのでした。(ちなみにこの街の小さな子供の躾はかなり厳し目でした)

料理は、モロッコ風のサラダ(前菜)数種類→鳥の丸焼き→肉料理→果物。
お祝いの時の鶏は、一羽で2人分か4人分カウントだったと思います。田舎の場合、仕出しサービスなどは使いません。給食サイズの大鍋などを業者から借りて来て、その家の女性たちと近所の主婦の手伝い、10人から20人が集まり料理します。
料理を仕切るのは、大抵30代の主婦達で、彼女達は10代の頃から、結婚式料理を何度も経験しているので、レストランのキッチン並みの仕事ができます。
50羽、100羽の鶏の下処理をし、洗う係、ハーブ類を刻む係、玉ねぎの皮を剥く係(私が参加した場合はここ)、玉ねぎをみじん切りする係。分業で楽しそうに話をしながら、どんどん手を動かして行きます。

ダンス

さて、食事が終わりました。
そろそろ、深夜の2時。さすがに疲れたので帰りたい気分ですが、パーティーはこれから。パーティーの始まりから、生演奏のバンドが入り、結婚式っぽい曲を演奏しているのですが、食事が終わると、音量を上げ、踊りやすいノリノリの曲に。女性達は、時々ザカリートと呼ばれるレレレレレレ〜というお祝いの歓声をあげながら、朝まで踊ります。朝からレストランシェフ並みの料理をして、その後朝まで踊る、という驚異の体力。大音響の生演奏も、明け方まで続きます。

ちなみにその間、男性たちは何をしているか、というと、外に並べられたパイプ椅子に座り、お茶を飲み、食事をし、またお茶を飲み・・・ひたすら女性のパーティーが終わるのを待つのでした。

彼らは夜中中、ただ楽しんでいるだけではありません。
結婚式の翌朝、招待客に血のついたシーツを見せる、という重要な儀式があったため、パーティーは朝まで続くのでした・・・。(今も行われているかどうかは知りません)


さて、ここまで読んで、モロッコの田舎の暮らしや物価をご存知の方は、収入の割に、えらくお金がかかりそうだな、と思われるかもしれません。
ものすごくかかります。ドレスにゴールドのアクセサリーに、大量の食事に・・・嫁入り道具に・・・
この費用を誰が負担するかというと、新郎新婦の家族なのですが、モロッコは大家族助け合い社会。持っているものが負担するのが当たり前、ということで、海外で働いている従兄弟であったり、兄弟であったりが、期待されることになります。
以前、私がまだモロッコで暮らし始める前に、日本在住のモロッコ人のご主人、日本人の奥さんのご夫婦に食事に呼ばれたことがあります。
彼らに「どのくらいの頻度で里帰りするのですか?」と聞いたところ、2年に一回とのお返事。学生だった私は、「航空券代安いのに、どうして毎年帰らないんですか?」と聞いたところ、奥さんが微笑みながら、一回帰ると150万円は必要なのよ。とおっしゃって驚きました。
当時のモロッコの物価は今よりも安かったし、大学生で貧乏旅行しかしたことがなかった私には、ご実家に滞在するのに、どうやって150万円も必要なのかがわかりませんでした。
今ならわかります。冠婚葬祭費に家屋の修繕、改装費、新しいテレビ、新しい冷蔵庫、新しい携帯、誰かの医療費、誰かの旅費・・・そしてもちろん、現地に住んでいる友達と外で食べたり飲んだりする場合の支払いは外国在住組。150万円なんてあっという間に飛ぶでしょう。

*このお話は、2000年ごろのモロッコの某アラブ系の街の結婚・結婚事情です。当時から都市部では違いましたし、現在では女子の就学率も上がり、結婚に関する法律が改正されたので、時代とともに変化していると思われます。また、嫁という言葉を使っていますが、この地方の結婚、家族の形態にふさわしい日本語は「嫁」であり「妻」ではないので、あえて使いました。

*実際にその街で行われた結婚式の写真は使えないので、トップの写真はマラケシュの結婚式に呼ばれた際に撮影した、生演奏バンドの写真です。

*ベルベル系、都市部では異なることが多数あります。昔から女性も外で農作業を行っていたベルベル系と、「良い女性は、結婚するときと死んだとき以外家の敷居を跨がない」と言う言葉があった、アラブ系では、女性の自由度にかなり違いがあります。読む人が読めばどこの街の話かわかると思いますが、個人情報保護のため、あえて街の名前は伏せてあります。

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