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【ジャイアンの暴力の是非】

こんにちは。バナナ星です。

ジャイアンと聞いて、何をイメージしますか?

ガキ大将、「お前のものは俺のもの」、ジャイアンリサイタル、母親が天敵、ジャイ子に激甘、映画ではいいヤツ…など、数多の関連ワードが浮かびますをもっています。実に人間臭いキャラクターですね。

原作漫画を読み返していると、ジャイアンの暴力シーンの多さに気付かされます。「むしゃくしゃしてたところだ。なぐらせろ。」という台詞は衝撃的でした(私は振り切っていて面白いと思いますが)。

子どもの頃は暴力シーンを見ても気にならなかったのですが、大人になってからは「倫理的にどうなんだ?」と思うようになりました。

近年はドラマでの喫煙シーンが少なくなり、表現の自主規制が強まっています。
2014年には台湾の教育団体がジャイアンの暴力について批判したというニュースがあり、世界的にも見過ごせない問題だと言えます。
ジャイアンの暴力性も、時代と共に規制されていくのでしょうか。

そこで本稿では、ジャイアンの暴力について肯定・否定双方の意見を検討します。

それでは本文へどうぞ。


事実:ジャイアンは暴力的

そもそも本当にジャイアンは暴力的なのか、どのくらい暴力をふるっているのか説明する。

コミックスからわかる情報をまとめた。出典はこちら

暴力の回数

  • コミックス1~44巻でのび太に暴力をふるった回数:174回(45巻を含めると175回)

  • スネ夫などのび太以外の友人にも暴力をふるう

  • 暴力をちらつかせて自分の要求を呑ませることも多々ある

ドラえもんはバトル漫画ではないため、ジャイアンだけが異様に暴行・脅迫回数の多いキャラクターとして描かれていることがわかる。

暴力の形態

一つひとつの事例から暴力の内容を検討する。

軽い事例だと、首根っこを掴むといった身体的な痛みを伴わないものがある。ただし、被害者側に精神的苦痛を与えている。

重い事例だと、「めり込みパンチ」(ジャイアンパンチ)が有名だろう。
文字通り、のび太の顔にジャイアンの拳がめり込むほどの威力をもつ。絶対にメガネが割れると思う。

めり込みパンチ

めり込みパンチの回数は10回未満と数自体は少ないが、基本的に暴力をふるう際は相手をボコボコに(再起不能に)している。
よって、平均的な暴力の形態は過激だと考えられる。


以上、暴力の回数(量)・形態(質)を総合すると、
本作のなかでジャイアンは極めて暴力的なキャラクターだと言える。

ジャイアン肯定派

まず、ジャイアンの暴力は容認されるという意見を述べる。主張は3つある。

必要悪

物語を作るうえで、必要悪というものが存在する。

乱暴者のジャイアンがいることで、物語に起伏が生まれている。
例えば、「ジャイアンにいじめられたから見返したい」というきっかけで始まる話は多い。
のび太が乗り越えるべき壁・悪役を担っていると言える。

また、最終的にはのび太に報復されたり母親に説教されるという結末が多く、暴力をふるうと罰を受けるという教訓を伝えてくれる。

これらの役割はジャイアンのキャラクター性があってこそ担えるものである。

文化的遺産としての「ガキ大将」

ジャイアンについて公式が出している見解を参照すると、
「乱暴者だけど、いざというときは頼もしいガキ大将。」
と記述されている。

連載当時(昭和時代)はガキ大将という存在が一般的だったという。
平成生まれの私には馴染みのない存在なので、定義を調べてみた。

すると、
ガキ大将=喧嘩には強いが卑怯なことは嫌い。友情に厚い。
という共通イメージがあることがわかった。
暴力をふるう背景にはきちんと理由があるという。

この点、ジャイアンは特に理由なく暴行するため、厳密にはガキ大将というよりただの乱暴者ではないか?と思ったが…。

いずれにせよ、公式的にはジャイアン=ガキ大将であり、ガキ大将は現代には見られない昭和時代特有の子ども像だと言える。

この公式設定と時代背景を踏まえると、連載当時の読者はジャイアンのことを悪だと考えていなかったのかもしれない。
ガキ大将は馴染みのある存在で、彼が暴力をふるうことに違和感がなかったという可能性がある。

現代の潮流としては暴力=絶対悪という傾向があるため(私も良くないと思うが)、ジャイアンの暴力を咎める人もいるだろう。
しかし、昭和時代の「ガキ大将」概念を伝える文化的遺産としての価値もあると考える。

ジャイアン自身のストレス

ジャイアンの暴力には理由がないと述べたが、物語から推察できる動機・背景もある。
彼自身も気付いていない心理的ストレスの存在を指摘したい。

ストレスの所在は彼の家庭環境にある。

まず、ジャイアン自身も母親から暴力を受けて育っている
母親がジャイアンを説教する際、耳を引っ張ったり平手打ちを食らわしたりするシーンが見られる。

虐待を受けた子どもが親になってから自身も虐待をしてしまうように、彼も親の影響を受けてしまったのではないだろうか。
親が怒り感情を暴力に転換する様子を見て、無意識的に暴力の習慣がついてしまった、ということである。


また、原作を読むと、小学生ながら親の仕事を手伝っている様子も見られる。
店番を頼まれたり、自転車で商品の配達を行ったり。

時代や地域的にはそれが一般的だとも考えられるが、少なくとも、のび太・スネ夫・しずかと比べると家の手伝いを強制される描写が多い。

妹のジャイ子が店番を担う様子は記憶にないので、長男の彼が責任を負わされているのだろう。


このように、母親からの暴力や手伝いの強制により蓄積したストレスが、理由なき暴力へと発散されているのかもしれない。

だから暴力を容認できるわけではないが、子育てのあり方について考えさせられる。

ジャイアン否定派

次に、ジャイアンの暴力は規制すべきだという意見を述べる。主張は2つある。

子どもに悪影響

ドラえもんは国民的アニメ。東南アジアを中心に海外にも進出している。そのため、大きな影響力をもつ。

特に子どもは純粋なので、ジャイアンの暴力シーンを見て真似する可能性がある。そこまで明確でなくとも、無意識のうちに影響を受け、暴力的な人格が形成されるかもしれない。

冒頭で述べたように、昨今では体罰やパワハラなど、心身の苦痛を与える行為が厳しく咎められるようになった。そんな潮流とジャイアンのあり方は相反する。
時代にそぐわないガキ大将は規制すべき、ということである。

理由なき暴力

1つ目の主張は、暴力はどんな理由であれダメ!というものだが、2つ目の主張は暴力の動機について言及している。

暴力に厳しい現代社会でも、正義の理由があれば容認される傾向がある(ex. プリキュア、アンパンマン…)。

ジャイアンも例外ではない。映画ではいいヤツになることで有名な彼だが、劇中で急に出木杉のような優等生になるわけではない。
暴力の矛先が変わるのである。

暴力をふるう相手が絶対悪であり、「悪を倒すため」という正当な理由があるから「いいヤツ」だと認められる(本当に正当な理由なのか、という議論は度外視したい)。

しかし、コミックスでのジャイアンはただ自分の機嫌が悪いというだけで危害を加える。
上述したように、その原因はストレスフルな家庭環境にあるのかもしれないが、被害者からすればそんなことは理由にならない。

理由なく暴力をふるうジャイアンは、やはり容認しえない。

個人的見解

両者の意見を鑑みて、私自身はジャイアン容認派の立場をとる。

理由は上に挙げたものに準ずる。
私は子どもへの悪影響よりも、物語上の必要悪や文化的遺産としての役割の方が重要だと考える。

ジャイアンが称賛されるロールモデルでないとしても、そこから何を学び取るかは人それぞれである。
彼の暴力を見て真似するか、反面教師にするか、はたまた彼の行動原理に思いを馳せるか。作品の味わい方は鑑賞者に委ねられる。

もし子どもがジャイアンの影響で暴力的になったのなら、周りの大人が正せばよい。
作品よりも、身近な大人の方がよっぽど強い影響力をもつのだから。

終わりに

本稿では、ジャイアンの暴力の是非について論じました。

ドラえもんには、古典作品のように時代を超える面白さや教訓が含まれています。
昭和に生まれたこの作品が、令和になっても世界に広がり続けている理由の一つは、この「古典らしさ」なのかもしれません。

今後もF先生が描いた世界を尊重し、現代社会とのズレすらも魅力の一つにしてほしいです。


…一方で、最近の映画ではスマホが登場するなど、昔は存在しなかったものが描かれています。
私としては昭和らしさを貫いてほしいので、複雑な気持ちですが。

何を残し、何を変えていくのか。吟味しながら新しいドラえもんを作ってほしいです。
欲を言えば、私もその一助になりたい!

最後までお読みいただきありがとうございました。


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