『蜚語』第15号 特集 「戦後民主主義」は誰の味方か?(1995.4.15)
【表紙は語る】
もの言わぬは腹ふくるるの業
『週刊金曜日』という雑誌が出ている。これについて「『蜚語』はどのような見解を持つのか」と、読者からの質問があった。
この週刊誌に関しては、創刊のずいぶん前に定期購読のお願いを含めた発行の主旨のような文書が郵送されてきていた。しかし、定期購読者が一定以上の人数に達しなければ発行は取り止めると、半ば脅しのようなことが書かれていたので、この姿勢はいただけないなと思った。
心ある人びとが、今日のマスコミのていたらくに、不愉快な思いをし、嘆き、なんとかならないものかと思いつつも、おいそれと何かができるわけでもなく、暗澹とした日々を送っていることは、私もその1人だけに、人の心につけこむようなやり方に、いやな感じを持った。《蜚語》とは相入れないものを見たように思った。
さすがに大新聞の記者などが手掛けることだけあって、その奢りは、皮肉にも今日のマスコミそのものと変わらない。だれに頼まれたわけでもなく、自らが今日のマスメディアの状況を憂い、新しいメディアを発行しようというのなら、あれやこれやを言わず、自分たちでやればいいじゃないかと思った。しかもこの週刊誌を発行しようとしている人は、大新聞社の社員や元社員で、高給のほかにも印税や講演料などけっこう収入もあって、資金力はあるだろうにとも思ってしまった。さらに編集委員には、マスコミや論壇などのいわゆる有名人が名を連ねている。この人たちがほんとうに今、発言する場がほしいと思うのなら、それぞれが収入のごく一部を負担するだけで、できるじゃないか。だがしかし、ほんとうにこの人たちが「編集」をやるのかしらとも思った。週刊誌ともなれば、その編集作業は忙しいだろうに……。案の定、いわゆる実際の編集長的な人は別にいて、某出版社の社長が兼任しているとの話が伝わってきたもちろん実際に取材をしたり、原稿を書いたり、編集をやる人は、その「編集長」以下、たくさんいるわけだ。はて、その現場がどんなふうに運営されているのか、言わずと知れた感じもするが、たまたま友人がその末端で仕事を頼まれ、しかし、仕事として成立しなかった過程を聞くに及んで、そこらへんの週刊誌や広告制作プロダクションと同じだと思ったしだい。
「一介の『ライター』というのは、使い捨てされるだけの存在でしかないのでしょうか?」と、友人とその仲間は訴える。
そのような実態は決して少なくないのだが、なかなか表に出てこない。マスコミで仕事をしたい人はけっこう多く、割りが悪くとも、少々馬鹿にされようとも、仕事を選べるような環境にないからだ。ましてや、有名人たちが編集委員だと名乗りを上げているメディアの仕事となれば、仕事がもらえただけでもありがたがってしまう人がいるから困る。
そこで働く人には労働者としての権利どころか、人権すら踏みにじられるという実態は、出版物の内容から「良心的」と言われている出版社には、よくあるケース。この週刊誌も例外ではなかったというわけだ。
『週刊金曜日』はその後、「『編集長』のあまりの横暴ゆえに、社員たちが労働組合を結成し、編梨委員の本多勝一に『直訴』した結果、『編集長』は首になった」というような話を元社員や「使い捨てされたライター」周辺から聞いた。結局「編集長」は本多勝一がやっているそうだが、体制は改善されたのだろうか。「週刊金曜日』の広告や表紙に名を連ねている著名な「編集委員」と実際に取材・執筆・編集作業をやる人々との関係は、どういうものなのか。おまけに《蜚語》第14号で批判した佐高信が石牟礼道子に替わって編集委員に加わった。さらに、椎名誠なんて人もいよいよ名を連ねて、偽善は偽善を呼び、欺眺は欺眺を呼ぶ。まったく世の中、うまくできている。
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特集 「戦後民主主義」は誰の味方か?
西洋の、今日では世界の中でも数少ない「王様のいる国」の、王立アカデミーの賞は受けても、戦後民主主義の〈象徴天皇〉の賞は辞退すると、かっこつけたつもりのはずかしい男がいる。その理由が「自分は戦後民主主義者だから」というので、話はちんぷんかんぷん。だって〈象徴天皇〉って、戦後民主主義そのものでしょう?
さて、その戦後民主主義とやらは、私たちに何をしたか。
公共の福祉の名の下に、あるときは脅し、あるときは札束で横っ面をひっぱたき、最終的には暴力によって……ありとあらゆる手段を用いて農民から農地を奪い、飛行場を建設した。ダムや高速道路も……。再開発なんていうのもある。公共の福祉との名の下に、多くの少数者が切り捨てられてきた。
1970年代初めに当時の美濃部東京都知事は、「たとえ橋ひとつ作るにしても、そこに住む人びとの合意が得られないならば、橋は建設されないほうがよい」と所信表明した。美濃部革新都政に批判がなかったわけではないが、さまざまな制約の中で、その信条に則って、彼がやったことと、あえてやらなかったことの意味を考えたい。
学生が大学経営の不正を告発した。あるいは、大学と企業との結び付きのなかで「学問の自由」はないと訴えた。自由な学問は、ほんとうに人びとの役に立つもの、社会の不平等や苦しみを取り除くためのものでなくてはならないと、学問と社会とのかかわりを問い直した。さらに、社会や政治のありかたに、大学が独自の見解を持たなくてよいのかと、大学側に迫った。それらをアピールする行動に出たとき、戦後民主主義下の文部省は大学管理法を成立させ、警察権力が大学構内に自由に出入りできるようにし、学生の行動を力で弾圧した。
「企業における労働者の権利」などという言葉はとんと聞かれなくなったが、こうなるまでの長い年月、労働現場でいかに人権が無視されてきたかは、沖電気の不当解罷と闘う田中哲朗さんが訴えている。(《蜚語》第11号参照)
会社がいうところの「余剰人員」を整理するときには、どれだけ会社に忠実かで人間は計られる。その忠実の中味たるや、有無をいわさず不合理なものにも従えというようなものだ。さらに怖いのは、企業社会にいる者は、企業がいかに自分たちの ことを人間扱いしていないかということを薄々感じているにもかかわらず、声を出すことができない境遇におかれていることだ。
沖電気と今も闘う田中哲朗さんが、「闘いの中でいちばんショックだったのは、職場の仲間が『変わっちゃった』ということだ」と語ったことは、まさに「戦後民主主義」を象徴しているできごとだ。会社は「今からの沖電気で生き残りたければ、生き方を変えろ、考え方を変えろ」「長いものに巻かれろバスには乗り遅れるな」と人びとを脅した。ある一定の流れに沿っている限りにおいて、私たちは「自由であり、ある程度の生活も「保証」されている。沖電気という日本の大企業の社員として、保証された生活がある。だがいったん自らの目で見、考え、「これはおかしい」と思ったことを外に向けたとたん、それらは失われるのである。
働けないのなら、面倒を見てあげましょう。贅沢はだめですよ。預金がある? では、それがなくなってから申請してください。
おや、おたくにはクーラーがありますね。なんてリッチな。生活保護は打ち切ですね。
今月は内職で少し収入があった? ではそのぶん生活保護費から引かせてもらいます。
母子家庭ですか、かわいそうにねえ。少々の手当てはあげますよ。ただし、あなたにはプライバシーというものを捨ててもらいます。「現況届」を毎年提出してください。今、誰と、どんな生活をしているかちゃんと書いてくださいね。
男がいるらしいですね? 民生委員から報告がありましたよ。男物の下着が干してあったって。なんでその人に養ってもらわないの。
いわゆる「福祉」の恩恵にあずかろうと思えば常に監視され、その困窮の程度を計られ、行政が作ったテーブルに乗らなければ、ほんのわずかの手当も手にすることはできない。
「障害者」といわれる人びとは、自らの体をさらけ出し、障害の程度を申告し、専門家といわれる人のお墨付がなければ、福祉の対象にはならない。
広島・長崎の被爆者が、水俣の患者が、炭鉱のガス爆発や落盤事故にあった労働者が、どんな悲惨な生活と死を強いられたか。戦後民主主義は彼らをそのような状態に置き去りにし、しかも、それらの事実さえ、広く人々に知らせようとはしなかった。
かつての植民地支配に対して謝罪するどころか、その結果「在日」を余儀なくされた人びとに対して、差別待遇を強いてきた。
戦後民主主義は、無謀な侵略戦争も、アメリカの原爆投下も、労働災害や公害をも、生産性の向上の前には人命など顧みない企業犯罪も、肝心なところではその責任を追及してこなかった。
戦後民主主義下の厚生省は、人びとを中心にではなく、製薬会社を中心に事をなし、多くの薬害を発生させ、しかも居直っている。さらに今なお、発癌性があるといわれている添加物などを、意識的な消費渚の反対を押し切って認可している。
このような事柄に関して、その危険を察知したり、その罪を告発しようとした者に対しては、「戦後民王主義」の「旗手」であると自らを標貌するマスコミが、反社会的だの、過激派だのと、あたかも特異な人間であるかのようなキャンペーンをはってきた。みんなとおんなじにしていないと、いじめの対象になる社会を、都合よく温存し、欝憤は金と物で晴らしてくださいと言わんばかりに、「消費は美徳」と宣伝する。
しかし現実は厳しい。テレビや週刊誌、はてはカタログ雑誌によって煽られた欲望に見合った、経済的保証はないのだから……。
おっとやりすぎとばかりに、それらを先取りして、働く青少年に向けて SMAPが歌う。まるで、文部省や青少年対策局といったお役所の要請で作られたような歌を……。
〽︎かっこわるい朝だってがんばりましょう
仕事だからとりあえずがんばりましょう
(「がんばりましょう」詞/小倉めぐみ)
まったくこの歌を聞いていると、涙が出てくる。若者向けの雑誌やトレンディードラマに出てくるような、かっこい、満足できるような、華麗なる日々なんてないのさと、ディスコリズムにのせて歌う。このやけに現実的な悲哀のこもった歌は、若者の心に、妥協やあきらめを、そっとしのびよらせるのに一役かっている。今年の「春のセンバツ」では入場行進にまで使うといった念の入れようだ。
〽︎かっこいいゴールなんてさ
あっとゆーまにおしまい
すごいリッパになって すげーいい服着ても
モロにころべば痛い そんなもんだよね
空は青い 僕らはみんな生きている
(「がんばりましょう」詞/小倉めぐみ)
自由平等なんて、社会的経済的格差の前には、手も足もでない。恋愛だってそうだと、このグループが少し前に歌っていた。
〽︎愛さえあれば何もいらないなんて
全部ウソさ
(「$10 」詞/林健司+森浩美)
これが日本の「戦後民主主義」だ。
そして、私はずっと、この本来の民主主義とは似て非なるもの、「戦後民主主義」と闘ってきた。これからも……闘うぞ……!
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情緒的なヒロイズムにひたるのは、もう許さない。
映画「月光の夏」に見る、「戦後民主主義」の平和運動。
太平洋戦争末期、特攻基地があっだ鹿児島県知覧町の「知覧特攻平和会館」。名前を聞いただけでもぞっとするようなものだが、パンフレットを取り寄せてみると、そのおぞましさがよく分かる。「特攻勇士が身を以って示された崇高至純の殉国精神を顕彰、ご英霊をお慰め……」といった文章がちりばめられたカラー刷りのパンフレットによれば、戦闘機の模型や戦闘服・遺品・遺書……が展示されているところらしい。1986年にできたものだが、当時、それを批判する内容のチラシが送られてきたように思う。調べたけれど分からなかったので、ご存じの方はご一報を。
その特攻基地の隊員が主人公の映画「月光の夏」が、1994年夏、「戦争を考える契機に」といったようなふれこみで人びとを動員した。
物語は実話をもとにしたもので、出撃を明日にひかえた音楽学校出身の特攻隊員が死ぬ前にピアノが弾きたいと基地から10キロ以上歩いて佐賀県の鳥栖国民学校へたどり着き、そこでベートーベンの「月光」を弾く。当時の鳥栖国民学校の音楽の教師が伝えた話だ。そのピアノは今も残っていて、保存運動が起こり、現在は特攻平和会館が預かっているという。
各地で上映運動がなされ、映画の製作資金自体、烏栖の市民が募金活動をしたり、鳥栖市が出資したということが話題となっていた。
「月光の夏」という映画が公開されるとの新聞記事を昨年の春ごろ見たとき、「何が「月光」だ、いまどきこんな映画を作るなんて……」と思った。そもそも学徒出陣にいたるまで、当時の日本の最高の知識や学問を身につける環境にあった人びとは、いったい何をしていたのだという思いがずっとあったからだ。当時の進学率や経済状態からいっても、大学生はそうとうのエリート、ましてや「月光」を弾くことができるということは、むしろ侵略戦争の恩恵をもっとも受け、いや、その出身階級は積極的に戦争を遂行していただろう。娘を売りに出さなければならなかった日本の貧しい農民——ピアノなんか聞いたこともない、見たこともない——は軍隊にかりだされ、戦地におもむき、侵略者として戦死していった。侵略戦争に反対したごく少数の人びとは、捕らえられ、拷問され、殺された。同じ時代に、この主人公は上野の音楽学校でピアノを弾いていたのだ。
日本軍がアジア各地で行なった、残虐な、非人間的な行為。この学生と同じ年ごろの、強制的に慰安所に送られていった女性たちの存在。それらが明らかになり、当事者から謝罪と補償要求までされている現在、特攻隊員を主人公にこんな映画を作るべきではない。
パンフレソトやチラシを見てうんざりだったが、それでも「観もしないで批判する」という人が必ずいるものだ。ぐうぜんにも上映会準怖のための試写会があるというので、見に行った。
想像以上のものだったので、愕然とした。そして後悔もした。これでしばらくは気分が悪いだろう。近ごろ珍しい特攻賛美の軍国映画だ。ずっと前公開された映画「連合艦隊」を思い出した。「連合艦隊」が封切られた当時、友人が批判するためにも見ておこうと、わざわざチケットまで用意してくれたのだった。しかし、あれは純粋に商業映画として作られたものだった。「月光の夏」は」さまざまな人びとが賛同人として名を連ねている。その中には、日頃の発言や行動に敬意を持っている人もいる。だからなおさら、暗澹とした気持ちだ。
劇場公開が終わった今、各地域や学校で自主上映されているのだ。しかもその賛同者たちは、この映画で戦争の悲惨さや平和の尊さを知ってほしいと思っているから、手に負えない。この映画には、侵略戦争そのものに対する批判、その責任についての言及がまったくない。
1960年代初頭には受験雑誌などにも特攻隊の遺書にまつわる物語などが掲載され、当時中学生だった私は、熱心に読んだことを覚えている。今回、学研編集部のYさんの好意で送っていただいたその当時の記事のコピーを読んで、私たちはすごいものを読まされていたのだと驚いた。
本土上陸を食い止めるための、少年飛行兵の国を守る犠牲的精神、命を賭けた行為は導いものだといい、「ふたたび生きて帰らぬ」行為を美談とし、彼らを悲劇の主人公として、絶賛しているのだ。彼らは「きれいな目をしている」だのなんのと、やたら情緒に訴える記述がその特徴だ。
「月光の夏」はその30年前の記事と同じレベルで、描かれている。これもあれも「戦後民主主義」、侵略戦争の最高責任者の存在を許してきたということは、こういうことなのかと、あらためて思う。
私たちは今、戦争をなぜ食い止めることができなかったのかということを徹底的にとらえかえさなければならない。それはこんな次元から考えられることもある。戦地において、若い兵隊が死ぬとき「天皇陛下万歳」ではなく「おかあーさん」と言って死んだということを引き合いに出して、天皇制もそこまでは支配できなかったというようなことが、天皇制に反対の立場から言われてきた。しかし、これでは天皇制を否定できない。当時、親と天皇は対立するものではなかった。「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ……」と締めくくられる「教育勅語」の徳目のひとつ、
「親に忠孝」の延長線上に天皇がいた。だから、東京の靖国神社にも、知覧特攻平和会館にもぞっとするような母の像があるではないか。
ところで、若者が死ぬときに「おかあさん」としか言えないということはいったいなんだろう。このように自分を血縁関係の中に依存させてきたことが、最後の所で批判精神を持てずに、体制に引きずられていったのではないだろうか。自己というものがない。だいたい幼い子どもじやあるまいし、10代後半から20歳にもなる者が、なにが「おかあさーん」だ、恥ず
かしい! その幼さが、自己の確立と批判精神を妨げていた。それは「教育勅語」による教育の「成果」でもある。
血縁関係は、血縁関係でしかないということを科学的に認識することが重要だ。どこからも、誰からも自由であるために。
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東京都職員の民主主義感覚!
国民年金のPRのために作ったらしいタブロイド版4ページの「国民年金瓦版」と称する印刷物が、新聞に折り込まれていた。表紙は江戸時代の力士雷電の錦絵で、国民年金に何の関係があるのかなと思いながらページをめくつて、思わず「なにこれっ!」。
「みんなが国民年金の加入者です」とタイトルのついたコーナーには、江戸時代の風俗を思わせるいでたちの、魚屋・刀を差した武士・たらいに洗濯板で洗濯をする和服にたすきをかけた女性が描かれ、それぞれ「被保険者」であることを説明している。この印刷物に使われているイラストはすべて同様のものだ。こんなふうに商人・侍と並べて、現在の職業の違いを現わしたつもりだろうが、これは間違っている。江戸時代の身分制度は、単に「職業の違い」などといったものでない。そもそも職業選択の自由などなかった時代である。イラストのふきだしで武士に「拙者はサラリーマンだから……」と言わせているが、武士はサラリーマンとは違う。
おまけに最後のページにはごていねいに、歌麿の描く花魁があしらってある。なにをどう繕おうと、花魁は売春が公然と行われた時代に、それを職業とさせられていた女性である。花魁のことについては東京都議会で、女性議員が都のはとバス都内観光コースに花魁ショーがあることを指摘した。「花魁ショーを文化と呼ぶな」と、女性たちが批判し、東京都に対して改善要求をしたこともある。
国民年金のPRにどうしてこのようなものを使わなければならないのか。
納得がいかないので、印刷物の発行先である目黒区国民年金課に電話した。
目黒区の担当者は、言われて見ればそのとおりだが、各区は東京都が作ったものに名を入れただけだとのこと。しかし、選択の自由はあるのではないかと言っておいた。
さらに東京都の担当連絡先を聞き、電話する。斉藤某という東京都福祉局国民年金指導課の男は、何が問題なのか分からないらしい。「身分制度」云々言えば、「いや、そういうことはまったく考えていないんで」だの、「デザインですから」だのと言っている。考えていないんじゃ困るんだ。挙句の果てに「そういうことを言われたのは、はじめてなので……」などというから、少々プッツンで、「あたりまえでしょ! 変だと思ったって、わざわざこんなことで電話する人はいませんよ。電話代かけて、この忙しいのに。ありがたいと思いなさい」と、きつく言ってやった。
「サラリーマンも武士も給料をもらっているということで……。たまたまサラリーマンがこういう格好をしていたと考えてもらえればいいんですけど」ときた。まったく、仮装行列じゃあるまいし。「サラリーマンが刀を持っているのか」と言うと、「いや、持っている人もいるかも分かりませんよ」とお話にならない。もしかしたら斉藤某は自分自身が刀を持っているのかしら……。
ともかく民王主義とは縁もユカリもない封建時代の身分制度を使って、
このような説明をするのは間違ってるから改めるようにと強く抗議した。
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「日本人女性、初の宇宙飛行士」、ばぁーんざい!
学校で「校長センセイのお話」でもあったのか、「向井さん、向井さん」と子どもが騒いでいる。ついでに「毛利さん」まで出てきた。学校からのプリントにも、「すばらしいのなんのかの」とある。だが、学校では「宇宙開発」なるものの、きちんとした事実を子どもに教えているのだろうか。
宇宙開発の目的の中心は軍事用であることは明白であるのに、その問題には触れることなく、人類が未知の世界に挑むといったような、マスコミの騒ぎに乗せられて、たいていの人びとはその気になっている。しかし、アメリカの宇宙開発計画は、そんな夢やロマンではなくて、もっと現実的な生々しいものだ。——『レーガンの宇宙戦略と軍事衛星』毎日新聞社外信部(築地書館)に詳しい。
向井千秋を取り上げるテレビニュースでは、地球の砂漠化が進行しているとか、宇宙から見た地球は美しかったとか、エコロジカルな話でごまかそうとしているけれども、そもそもスペースシャトルの打ち上げなんて、最大級の環境破壊だ。テレビのインタビュアーが向井千秋にメダカの孵化や無重力体験より聞かなければならなかったのは、「アメリカの安全保障の強化」を筆頭に挙げ、地球上のみならず、「宇宙でのアメリカのリーダーシップ維持」といった宇宙政策の基本目標に、参加することをどのように思うかだった。
アメリカの核ミサイル装置を管理するスタッフは、もし、早合点で核のボタンを押してしまったらとの心配のためか、「人間信頼プログラム」という心理テストをパスしなくてはならないという。
最近売り出されているカーナビゲーションも携帯電話も、地震の予知に使われはじめたという何とかという装置も、すべて通信衛星、つまり軍事用宇宙開発のおこぼれということを、テレビや新聞はもっと人びとに伝えるべきだ。そんなふうに私たちは〈核戦争〉と隣り合せだということを……。
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学校にまにあわなぁーい⑤
歌が嫌いにならなきゃいいけど
うちの娘が通う小学校(東京都区立)に合唱団ができた。歌の好きな5年生はさっそく入団した。他区の小学校から新しい音楽の教師がやってきたのだが、前任校でも合唱団の指導をしていたらしい。NHK合唱コンクールで、その小学校は全国2位になったとか。お陰で大騒ぎだ。この区にはすでに区立教育会館で、4年生から6年生を対象とした合唱教室があって、歌の好きな5年年生は、4年生のときから毎週土曜日の午後、歌をうたいに通っている。現在のいわゆる合唱教育は、裏声で歌わせるなど問題点もあるが、発表会の時の様子では、あまり厳しくなく、ほのぼのとした感じで、楽しそうにやっているので、まあいいかと思っていた。ところが、G小学校の合唱団はそうはいかない。何しろ「全国2位」である。毎朝、1時間早く学校に行き、練習をすることになった。練習が始まって1か月くらいすると、NHKの担当者が練習を見に来たそうだ。
「コンクールには全員が出られるわけではないんだって」と、歌の好きな5年生がいう。NHKのコンクールは出場人数が決まっているらしい。どうもこの合唱団は、楽しく歌うことが目的ではないようだ。しかし、一緒に練習してきて、出場できる子とそうでない子がでるのはよくないのではと、家庭訪問のときに担任に話したら、しばらくして音楽の教師は子どもたち全員に「野球だってレギュラーとそうでない選手がいる」とか「そもそも、そんなこと言われる筋合いはない」とか言ったそうな。
いずれにしても今年(1944年)はできたばかりなので出場はしないとのこと。
さて、はじめての発表会。ほんの数か月で、〈見事に〉合唱団ができあがった。区立教育会館の合唱教室とはまったく違う。体を前にのめり込ませるようにして、何かに取りつかれたような作り笑いで歌う合唱だ。そうしないと怒られるらしい。くだんの教師は時どき子どもたちに説教をするらしく、「ただで教えてやっているのだから」云々……と言ったらしい。はてさてこの先どうなることやら……。
三月はじめ、合唱団の児童の母親から電話があった。先生と世話係の親に何かを贈りたいからと、1人何100円かを誰それの母親に渡してほしいというものだった。一応あくまでも希望者ということだが……。ここの学校では、年度末になると、いつも誰かが似たようなことを言い出す。それは結婚予定の教師であったり、転勤で他へ行く教師であったり、そのときによって違うのだ。かつてはこのような教師への、いわば「付け届け」は厳しく戒められていたように思う。それがここへきて、出現したのだが、全国的な傾向なのだろうか。もちろん私は応じないでいるけれども……。
小学校の創立60周年……!?
「学校が60歳なんだって」と、大騒ぎの子ども。案の定、記念式典用に「君が代」を習ったという。私自身も記憶しているが、「君が代」というのは、小学生がそれまでに教わったり、聞いたりしてきた曲とちょっと違うメロディーなので、歌の好きな子どもにとっては、ちょっと面白い歌として受け入れられ、けっこう熱心に歌ってしまうのだ。歌詞の意味なんて分からないし、教師はあまり説明もしない。説明のしようがないものね。「君が代の君は、君たちの君だ」なんて、通用しないことは、教師自身が知っているわけだから……。「『天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年も続いて、お栄えになりますように」という意味で、国民が、心からお祝い申し上げる歌であります。
その扱いは年によって微妙に違ったりもしているらしいが、「君が代」の意味はこのようなものだ。最近は、文部省も「君が代」の君は象徴天皇のことだと教えなければならないと言っている。
大騒ぎの子どもには、歌詞のほんとうの内容を説明して、良くない歌だとうことはいちおう話してはみたものの、まあ理解するのは難しいかもしれない。それでも身近なおとなが、嫌っていることは分かっているだろう。
そもそも創立60周年なんていうものは祝えることなのだろうか。1945年8月15日を境にして、建前上はまったく違った国になったはずだし、教育内容だって180度違うわけだから、どんなに古い学校も今年がきて初めて50周年となるのではないだろうか。「歌も・旗も」変わっていないのだから、おそらく戦前にできた校歌をそのまま使っている学校はたくさんあって、日本全国とんでもない歌詞の校歌が子どもたちによって歌われているのだろう。それらの学校が、創立何10周年とやらで、「君が代」と校歌を歌う式典っていったい……。
子どもの歌の歌詞については、最近こんな変化がある。「灯近く衣縫う母は……」ではじまる歌をご存じだろうか。この2番は「囲炉裏の端で縄なう父は過ぎし昔の思い出語る」というのだが、戦前は「過ぎし戦の手柄を語る」だった。戦後、前者のように変えられたものが、この数年、戦前のような歌詞で歌われるのを、何度か耳にした。
戦前と見まごうばかりのことが多々起こっている。しかし怖いのは、「同じ」でないことだ。同じようだが「新しい」。したがって人びとはそのことに気が付かないのだ。「いくらなんだって、戦前のようなひどいことにはならないでしょう」と思っているうちは幸せだ。
学芸会がやってきた
学芸会と展覧会を1年おきにやっているこの小学校で、昨年は学芸会の年だった。どうして体育館には暖房がないのだ。数時間とはいえ、すっかり足腰が冷えてしまった。近所の老人ホームの招待者はどうしたかしら。学芸会の出し物には、いつもうんざりするのだが、案の定、今回もここに書かねばならない。この欄は『学校へ間にあわなぁーい」だが、〈ふりかけ通信〉向きの話を1つ。
2年生の劇、タイトルからして怪しげな「男はそんだ、女はそんだ」。女子が運動会の準備をしている。ゼッケンを修理している様子。1人の女の子が、女はいつもこんなことやらされてそんだと言う。そうだそうだとなって、仕事をほうり出す。しかし、そのまま続ける子たちもいる。ほうりだした子はその子たちに向かって「ぶりっこ!」という。そこへ男子が、マットや飛び箱を運んでくる。重たくてくたくた、男はそんだと言う。女子は楽でいいという。そこで、お互いに男女を交換しようと言うことになる。女は鉢巻きを絞めて男の印! 男は花を付けて女の印! とする。なぜか男子のほうには、「ぶりっこ」と呼ばれたような存在はいない。しかも、女のほうはあまり言葉が変わらないのに、男のほうは、普通の女の子は使わないようなおじょーさま言葉になる。ここで観客は笑う。男女を交換し、仕事も交換して男子がゼッケン、女子がマット運びとなる。ところが、いざやってみるとゼッケンの仕事は面側で、嫌になる。マット運びはそれほどでもないようで、いつもの男子のように威張って、張り切って仕事をする。しばらくすると女子の1人がマット運びで足をくじいたと助けを求めにくる。そこで大騒ぎ、男子は頭の花を捨てて元に戻り、救出に行く。結局、元に戻って1件落着といった劇だ。
性差は作られるものがほとんどで、しかも、ほとんどその差のない小学生を対象にこんな劇をやらせる男の教師って、最低の存在だ。いまどき、行政だって男女の役割分業を問題にしているというのに、学校がもっとも保守的で遅れているというが、まったくその通りだった。
その他の学年の劇も大筋は、唯嘩ばかりしている馬鹿な民衆とそれを仲裁にくる支配者、殿様だったり、大統領だったりといったパターンで、さすがに「戦後民主主義」。自分たちでどうにかするのでなく、上から与えられなければ、争いごとも解決できない人びとかしつかり「主人公」だ。
そんな劇の幕間に、次の準備ができるまで退屈しないようにと行なわれたクイズや歌を進行したり、次の出番を待ちながら談笑している子どもたちが、本番よりも生き生きとしていたのが印象的だった。
いつまで続ける気か、公立学校の宗教団体参加
《蜚語》第13号の特集「学校にまにあわなぁーい」で、公立小学校が明治神宮書道展へ子どもの作品をを奉納するという憲法違反行為を、公然とやっていることについて紹介した。このことをはじめて知ったときは、区の教育委員会へも、学校へも、おかしいではないかといったが、相変わらず毎年「奉納」されている。最近では新聞折り込みの広報紙「広報めぐろ」に、「街かどニュース」として、受賞の記事が掲載されているではないか。
区の広報課へ電話した。広報紙には、一般的な書道展に出品したのごとくかかれているが、主催・後援は明治神宮やその氏子の集まりで、明らかに宗教団体ではないか。しかも、広報紙には「出品」となっているが、募集要項には「奉納」と書かれているのだということを話した。
さらに後援団体の一つである「明治神宮崇敬会」が発行している広報誌の内容は、たとえば、第2次世界大戦を「大東亜戦争」と言い、侵略戦争謝罪の国会決議を「阻止しよう」といった主張が載っているのだと説明し、親切にもそのコピーまで送ってやった。
暴力シーンは、楽しいの?
アメリカ・オレゴン州の小学校で、2年生に出された宿題がある。それは、日ごろ見ているテレビ番組の中に、暴カシーンがどのくらい出てくるか、1週間記録してくるというものだった。その結果、暴カシーンのあまりの多さに当の子どもたちが驚いて、そのような番組を見るのをやめると言い出したという。さらに、番組を提供している企業をピックアップして、不買運動をよびかけはじめた。ある男の子は、お婆さんとスーパーで買い物をするのに企業のリストを持って行った。
この話で、昔、父が言ったことを思い出した。「自分が何10年も生きてきて、町中で人が殴られたり、殺されたりするのを1度も見たことがない。ところがテレビでは、年中そういうことが起こっている。子どものうちから、こういうものを見て育ったら、それがあたりまえのようになってしまうのではないか」
そのころは自分も子どもだったので、漠然とその話を聞いていたけれども、最近のテレビアニメの暴カのすさまじさには、こんなものを日々見ていて、大丈夫だろうかと心配になってくる。こんな宿題を、日本の小学校でもやって、もし子どもが「不買運動」など呼びかけたら、大騒ぎになるだろうね。商店街のおじさんが、学校に怒嗚り込むかもしれない。先生は処分されてしまうかもしれない……。
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数学と自由——湖畔数学セミナー⑦ 永島孝
いま各大学で「改革」がすすめられていて、一般教養に危機が迫っている。義務教育の63制などとならぶ敗戦後の学校制度改築の1つとして新制大学が発足し、大学には専門科目のほかにいわゆる一般教養科目が文部省の「大学設置基準」によって義務づけられてきたのだが、設置基準の改正で、一般教養にあたる科目を学生に学ばせるかどうか各大学の自由ということになった。これもまた「規制緩和」の政策に沿ったものであろうか。授業計画の定め方に各大学の自由が重んじられるのは好ましいことのように見えるかも知れない。しかし、自由化にともなって、多くの大学で専門科目ばかりが重視されることになると予想される。一般教養は軽視され縮小または廃止の方向に向かうことが懸念される。
さて、俗に「一般教養科目」とよばれているものは、制度上は一般教育科目・外国語科目・体育科目の3つからなり、一般教育科目はさらに人文科学系列・社会科学系列・自然科学系列の3系列に分けられる。一般教育科目の各系列と外国語科目・体育科目とから少なくともそれぞれ何科目何単位を履修させなければならないということが大学設置基準に定められていたのだが、その規定が廃止されたのである。
私の勤めている一橋大学でも、設置基準の改正にともなう組織改革の検討が進められている最中で、これからどうなるのか予想がつかないが、一橋大学に限らずどこの国立大学でも一般教養をもっぱら担当する組織を維持することはきわめて困難になっている。一般教育の数学を担当してきた私たちも所属がどこにかわるかわからない状況であり、今後の数学教育がどうなるのか見通しが立たない。商学部、経済学部、法学部、社会学部の四つの学部からなる社会科学系の大学である一橋大学では一般教育科目自然科学系列の中で数学の多様な科目が開講されてきた。そして数学のいずれの科目も学部別ではなく、どの学部の学生にも等しく開かれてきた。 経済学部や商学部の専門科目の中には数学的な手法をもちいるものも多く、一般教育の数学にはそれに備える基礎教育的な側面もある。しかしそのような道具としての数学だけに偏らず、幅広い教養という一般教育の理念が伝統的に重んじられてきたものと思われる。現に法学部や社会学部の学生で、数学に積極的な興味をもち、すぐれた成績をおさめた者が少なくない。
経済学や商学の専門科目を学ぶためにそこで使われる数学の技法を身に
つけさせるような基礎教育は、これからも専門科目担当者の側から要請され続けるであろう。それは一橋大学だけのことでなく、多くの大学の理工系の学部や経済学部などでも同様に、専門科目を学ぶ準備としての数学教育は求められるであろう。問題は、数学教育がそのような応用的な側面だけに偏ってしまうおそれである。道具として数学を学ぶのでなく、自分の専攻する学問分野とは違ったものの見方・考え方の1つを学び、それを通じて自分の専門を客観的に眺めてみることのできるようなひろい教養を目的とする、そういう数学教育は大学から消え失せてゆくのではないだろうか。
数学の応用ももちろん大切なことであって、それを軽視してはならない。複雑な経済の仕維みを理解するには数学的な手法が欠かせないし、コンピューターの原理も現代数学の理論に支えられている。身近なテレビやコンパクトディスクでさえその原理を理解するには高度な数学が必要なのである。ただ、応用だけに偏ることを懸念しているのである。そもそも、数学を純粋数学と応用数学とに分けることにはいくらか無理があろうと思う。物理学や経済学や工学に応用されて来た実績のある分野がひとまず応用数学とよばれているが、歴史の中で見れば純粋数学・応用数学という分類は固定されたものではあり得ない。たとえばコンピューターの原理に関係する「計算可能性の理論」は、応用を目的として研究されたものではなく、そもそも「純粋」数学として研究されていたのである。
今日は純粋数学と考えられている理論にも、明日はあらたな応用が開けるかも知れない、そういう歴史の流れの中で数学の学び方を考えたい。応用に携わる人には、既存の応用の技法を身につけるだけでなく、あらたな応用を切り開いてゆく力をもつことが望まれる。したがって、数学を応用しようとする人たちのためにも、応用数学に偏らず数学という学問の基本的な考え方を教えることが大切であろうと思われる。
ところで、新制大学の一般教養に対して批判も少なくなかった。高校の授業の繰り返しのようだとか、大教室に多人数を集めているとか、講義内容がおもしろくないとか、いろいろ言われてきた。それは一般教養のすべてに当てはまることではないけれども、一般教養の授業の一部にそういう問題もあったであろう。その原因は、私の考えでは、一般教養担当教官が専門科目の教官とくらべて研究費は少なく授業負担は重いという待遇の違いにある。とにかく、一般教養を廃止しても問題の解決にはなるまい。
大学の多くの学科で数学が学ばれなくなれば、高等学校の数学は受験だけが目標になり、いまでさえも入試対策に偏っているといわれる高校の数学教育はますます偏ったものになってゆくのではないかと懸念される。そして、その高校で1994年度から実施されている数学の学習指導要領は、史上最悪という評判である。高校で受験技術だけを学び、大学に入ってもほんとうの数学にふれる機会に恵まれず、数学のおもしろさを知らぬままに生涯を過ごす人が多くなって、21世紀に向けて日本の数学の水準は低下してゆくであろう。
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「ふりかけ通信」第15号
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【編集後記】
【2023年の編集後記】
▶︎「戦後民主主義」の真っ只中で、悪戦苦闘してきたなと、学生時代から子育ての過程での、さまざまな事柄を思い出している。それらすべてが、が今に至る為体のこの国を生み出したのだと、あらためて私はいったい、何をやってきたのだろうかと、ちょっと辛い気持ちになる。
▶︎「月光の夏」に関しては、YouTubeにはいくつもこのピアノに関するドキュメンタリーがアップされています。リンクは上げませんが。
▶︎「東京都職員の民主主義感覚」で思うことは、近頃の性自認至上主義に沿って、自治体が法制定を先取りして、おかしなことをやりはじめたこと。
アンケート調査の性別確認で、「辞任の性別で」との但書をつけているものああるようだ。だったら、年齢も、国籍も、職業も自認でいいんじゃない。アンケートの意味あるのかな。
▶︎私が子育て時代の学校の状況は、かなりひどかったのだけど、現在はどうなんだろう。よくなっているとは思えないけど、それを告発する声は? 現状、若い人々が、生活が大変でそれどころじゃなくなっているかも。
▶︎「学校で何を習ったの」を聞いたことがない方は、以下のリンクを。
よくよく見るとこのジャケットの写真は、タバコに火をつけているね。好ましいとは思えないけれど……。200年代初めのCDのようです。
▶︎「弥三郎節」を聞いたことがない方は以下のリンクを。
▶︎この頃はじめた「オーロラ自由会議」は、NPO法ができたときにNPOにして活動してきたけれど、一昨年、NPOとしては解散した。主に、毎年8月、広島での絵本『さだ子と千羽づる』の朗読を続けてきた。
▶︎コロナ禍で3年のブランクがあったけれども、今年はなんとかやりたいと考えている。
▶︎タイトルの写真は、2019年8月5日広島平和公園にて。
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