小さいお話だってしたい

こんにちは、くらげです。

今回は、小さなお話です。たくさん書けるほどのものではないけど、ただ残しておきたいという私のわがままです。

あと、目次を覚えたので使いたいというのもあります。最後は思い出話。

少しだけ、お付き合いください。

自己肯定感が欲しい

自己肯定感、私はきっと低い人間だと自覚してます。

私をきっとパズルにしたら上手くピースをはめることができないと思う。ところどころに隙間ができていて、ぱっとみは上手くできてるように見えるけど、近づくとところどころ隙間がある人間だ。

大人になっていくにつれて、気持ちのコントロールとか、感情の抑制とか、自己肯定感とか、容量の良さとかを多分拾い忘れてしまったんだと思う。

一方通行の道だからもう戻れないんだけど。見た目だけ一生懸命取り繕ったただの子供だ。周りの人たちにいつかばれてしまうんじゃないかと怖い。

そこら辺をすまして歩いている人たちもこんな劣等感があるのを隠して生きているのか、それとも、それができる人間が大人なのでしょうか。そんなことばかりを考えてしまいます。

そんななか、「自己肯定感が高い人間は自分ができることとできないことがわかっている人間だ」と言っていた好きなユーチューバーさん、あなたは天才だ。私もじぶんができることをゆっくり探していこう。

最近嬉しかったこと

元々文章を作ることが好きでしたが、なぜか作文が苦手でした。なんというか、ちゃんと型がある文章を書くことが苦手なのです。大学生になってもレポートとかプレゼンとか、なかなかうまく書くことができない。

私の書く文は、自分が思っていることをそのままの言葉で書くこと。心の中の独り言をそのまま文章にしているような文なのです。

元々書き始めたきっかけとしては、自分の気持ちを整理するために分にしてみるといいよ!という友達のアドバイスでした。そこからずっと書き続けて何年。自分の独り言の様なものなので、人に見せたことがありませんでした。

だけど、今回noteで初めて人に向けた文章を書くことを始めて。正直、自己満足というか、自分が思っていることを残していこうかなあ程度の気持ちで書いていますが、

自分が想像していたよりも読んでくれる人がいて、この記事読んで安心しましたというコメントもこの前初めてただいて。そのことが本当にとても嬉しくて。自分が書いたものを読んでくれたのだなと強く実感しました。

自分の世界が少し広くなったような気持ちになりました。本当にありがとうございます。

「普通」の定義がないから「普通」が難しい

「普通~だよ」「これが普通だよ」「普通みんなこうだよ」

ええ、普通は難しい。もちろん人それぞれの普通がある、というのは知ってるし、理解もしているけど、それでもやっぱり難しい。

自分がいわゆる「普通の人間」かと言われればわからない。正確にいうと、みんなのこうであるべきだという意識が多い方にいるのかわからない。

結構世の中の「普通」はあっけなく変わっていくものだけど、自分の中の「これが普通」というのはなかなか変えることができないなあと感じています。きっと私が思っている「普通」は自分の理想に近いものだと思っているので、きっと私は自分の思う「普通」には一生近づかない気がします。

人の目盛りの「普通」もなかなか難しいけど、自分が想像している「普通の状態」に近づく方がよっぽど難しい。まあ、普段そんなことを考えないでいる方がいいけど!就活しているとどうしても気持ちが後ろになってしまいます。

自分の強みもなかなか見つけられないけど、見つけられることが普通なのかなあ、と考えてしまいます。

「好きなことは好きなままがいいんですよ」

私は今年で大学3年生になりました。史学科です。理由は、歴史が好きだったから、ただそれだけです。

私は高校3年生の7月に途端に進路を変えました。大学や社会の仕組みがいまいちわかっていなかった私は、就職に有利そうだしどこかの大学の経済学部にでも入ろうかなと漠然と考えていました。でも、やっぱり行きたいところに行きたい!という気持ちが勝ってしまい、受験期真っただ中に進路を変えたのです。

急いで、史学科のある大学のオープンキャンパスに行って、ここの大学にしようと決め、進路の先生に報告し、遅い受験対策が始まりました。

そんな中、受ける予定の大学側から試験とはまた別の論文課題が送られて、その相談のために高校二年生の時、世界史担当の先生のところに行っていました。書いては見せて、また書いては見せて、の繰り返しの日々でした。

その時に、

「僕はお寺とか仏像がとても好きで、そこに関われるような職に就きたかったのですよ」

と先生は言いました。

私は高校生の時に考えていたことは、「好きなことを活かした仕事をしたい」ということでした。史学科を選んだ理由としても、史学関係の仕事に就こうと思ったからの選択。

『どうしてその関係の仕事に就かなかったのですか?』

「好きだからこそ、その仕事に就かなかったのですよ」

『好きだから、その仕事に就きたいものではないのですか?』

「好きなものを仕事の対象にして、嫌いになりたくなかったのです」

と言い、「論文、よくかけていると思います。頑張ってください」と。

先生、私は好きな仕事に就きたいです。好きなことだけをして生きていきたいと思っています。それは今も思っている節はあるけど。

「好きなものを選ばなかった先生」と、

『好きなものを選びたい私』は、きっとどちらも正しいのだと信じたい。

好きなものも、好きな人も一定の距離を越えてしまうと、少し嫌いになってしまうことなんてたくさんある。なら、好きなものと好きな距離を保っていたい。でも、好きなものをもっと知るために近づいていきたい。

大学生になっても忘れることができない会話でした。これから先、自分がどうしていきたいかはきっとわかっていくのでしょう。


最後までありがとうございました。目次、楽しいものです。

ではまた。







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