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[デイリー薬膳] 他者を頼ることは大事なんだ

そろそろ二十四節気の立夏を5月5日に迎えます。
春の雨も多くなり、筍もニョキニョキと育ちみずみずしい春野菜たちで溢れる日々。
私といえば、大好きな薬膳料理で自分自身や家族の健康維持や、日々の養生を心掛けて10年近くが経ちました。
この1年はかなり更年期症状が顕著に出て、段々ひどくなったのは事実。認めたくない自分がどこかにいたようでしたが、薬膳料理や薬膳茶でもカバーできないアップダウンがある症状に限界を感じました。そして、あることを再開することにしました。漢方薬です。

誰かを頼ることがなかなかできない私

先日、徳島へ移住して初めて漢方内科にお世話になりました。保険治療可能な病院をネットで調べ、こちらの友人の口コミも確認した女医先生の医院。移住前の漢方店から取り寄せをしてもいいかなと思ったり、最近ではSNSを通じて診察、処方、フォローアップもできるお店もあるようでしたが、やはり直接の診察が重要だとそちらに決めました。

「よく頑張ったね」

初診で言われた先生のこの言葉に、抑えていたものが溢れ出ました。
進んで我慢をして、ちょっと思い詰めるような性格もある私。何かをブロックしていたのでしょうか、我慢をしなければいけない、母親として妻として嫁としての何か、でしょうか。体質、症状、今の環境や過去の不妊治療、出産の話を聞いた医師のこの一言に、私は心と身体を浄化された気持ちになりました。
頑張っているのは私だけではない、家族も息子も、世の女性たちやママたちみんな頑張っている。だけど、それは1人だとしんどいですよね。
他者を頼ることは大いに必要なのに、どうしても人に甘えることが苦手だったり頼ることの罪悪感を抱いたりしてしまう。受診時にも医師に言われました。

「40代で出産する女性は仕事もしっかりやってきて自立型が多いから、ママになると誰かに頼るのが中々できなくなるんだよね。今までできてたから、誰かに甘えたりせずやってきたから。だから産後にドカンとその影響が身体に来てしまうんだよ。」

もちろん上手に家族や他者を頼り、育児を楽しんでいるママたちも多いのは事実。実家に頼ることや里帰り出産、様々な選択肢は多い。
私自身、出産も産後も実家に頼らない事情もあり、初めての育児で心も体も頭の中もプレッシャーでガチガチな日々を過ごしていました。

(こちら↓で『産後の自分』を思い出し記載しています)

1人で頑張っている、なんて気負った日常ではないにしても、幼少の時から親に甘えたり誰かに「やって〜」「できない〜」なんて言えない子でした。
仕事でもチームで動いていても、つい自分の責任感で全て背負ってしまったり深夜や休日まで頑張ってやってしまう。
「大丈夫、大丈夫」を盾に自分自身の心と身体が悲鳴をあげるまで頑張ってしまう、「誰か助けて」って悲痛な叫びの前に「一緒にやってほしい」と冗談まじりで甘えればいいのに…. それができなかったんです。今でもちょっと難しいかもしれません。

漢方薬と私

幼少時に小児ぜんそくを患っていた私は、漢方薬を4年ほど飲み続けました。初潮を迎え身体が大いに変化する前の対処が大事ということで、朝昼晩の1日3回、毎日飲む。毎月通院した上野にある韓国人の漢方医で処方してもらった漢方薬を煎じてくれたのは母。大きな専用の土鍋というか土瓶で煎じるのですが、これがめちゃくちゃ臭い。人間が決して好きなカテゴリーに入らない臭いと味。苦くて苦くて。よく飲み続けたと思います、7歳の子が。
給食前にも飲むので、蓋付きのコップをこぼれないようビニール袋に入れてしっかり結ぶ。ランドセルにギリギリ入るサイズのコップをこぼさないように押し込んで毎日通学しました。

漢方薬を飲む前の私は、ゼエゼエ肩で息をしながら横になって眠れない、座って眠る夜が続く、季節の変わり目やちょっとした場所移動の環境の変化ですぐに喘息が出る、爪や唇がチアノーゼで紫色になる、食事が摂れず痩せ細っていました。小学1年生で、学童の帰りに通院して吸入器で喘息ケアをする日々。それも独りで。
その後、体質改善用の粉タイプの漢方薬を最後の1年ほど処方され、無事に私の漢方治療は終了しました。漢方医の先生のおっしゃる通り、薬の強さでブクブクと太っていきましたが、夜な夜な座って眠ることや急なぜんそく発作で苦しむことは、それから一度もありませんでした。今の今までぜんそくは発症していません。

漢方薬は20代の韓国留学中も日々の栄養ドリンク替わりに飲んだりしました。特段健康体というわけではないにしても、日々の生活や仕事をする上で体調不良で困ることもなかったので、30代は漢方薬とは無縁の日々を過ごしていました。
それが、40代での妊活キッカケで漢方薬を再開するのです。
仕事をしながらの妊活、それも40歳になってから。予算が無くならない限り、頼れるものは全て頼ろうと夫婦で決めました。漢方薬はその1つでした。(妊活・不妊治療話は長編ものなので別で記載します)

今回処方されたのは粉タイプの漢方薬「芎帰調血飲(きゅうきちょうけついん)」。この漢方薬の名前はよく覚えています。それは妊活中にお世話になったものだったからです。


妊活メモなるノートを作っていました
これは2016年5月のページ 今飲んでいる漢方薬も


「芎帰調血飲(きゅうきちょうけついん)」

これは「血の道症」といった、イライラや不安、鬱々なので精神的神経症状やほてりやのぼせ、頭痛やだるさ、月経異常など、月経・妊娠・出産・更年期の女性ホルモンバランスが大きく変化する状態の時に処方される代表的漢方薬。特に、産後メインで使われると記憶しています。(産前は当帰芍薬散だったかな)。

2015年の妊活スタート当時、薬膳料理と漢方薬の妊活・不妊にフォーカスしたあるノートを作っていました。せっせと書くことで、後で見直す、自分の症状や体調を知る大事なノートで、メモにも中医学効能が記載されていました。
当時の漢方薬は中国人の担当医による診断を2週間に1回、そして粉タイプではなく土鍋で煎じるものメインで2種類の漢方薬、それとは別にその時の状況に合わせて(例えば、生理中とか移植前とか)生薬を3種類ほど出されていました。それらを全て指定された量と水で1時間ほど煎じます。漢方薬を煎じている間に書いたのがこのノートでした。

「あの時、どんなこと書いてたのかな」と懐かしくなって妊活ノートを取り出してみたら、あら、今と変わりませんね。薬膳料理が面白くなり始めて、それと並行して妊活薬膳を学び、あーでもないこーでもないと先生や妊活仲間と話したり、メニューを考えたり。当時のことを思い出しました。
ノートも性格がらなのか事細かに色々メモしています。当時から書くのが好きだったんですね。所感や思いの記載は無いにしても、書くことで自分を見つめ直す、見続けることを無意識にやっていたのだろうと思いました。
辛いことも苦しいことも多かった日々なのに、メモの内容はなぜか充実していたような気もします。

五臓の絵はよく覚えています
1本1万円以上のエキスの紹介チラシにあったもの 
当時、半信半疑の内容は今見返すと納得できる、かも
妊活薬膳で大事なことがたくさん
食事メニューよりも食材効能が多く記載されています

妊活キッカケで再開した漢方薬は、臨月で一旦終了していました。つわりもなく、持病の腰痛も全くなく(これは今でも不思議)、健康妊婦そのものでお腹の中の息子も成長著しく大きくなり過ぎてしまい、急遽の入院&促進剤利用で2週間出産を早めたくらいでした。
が、その後産後の育児で不調続きに。産後8ヶ月くらいから、またまた漢方薬を再開します。

私にとっての「誰か」

私の人生で、漢方薬は大事なライフツールであるのは間違いありません。
独りで頑張る、耐えるのではなく他者(誰か)を頼ること。その1つが、私にとっては「漢方薬」でした。
「誰かを頼る」のは人でなくてもいいのです。もちろん、家族や友人を頼る方法もあるでしょうし、食事や生活リズム、仕事などを変える方法など、目的によっては手段は様々です。
自分ができること、今の自分が納得して選べるものや予算、それらを考えて「他者を頼る」こと。恥ずかしいことですが、私は妊活と出産でその大事さを初めて知りました。

漢方内科の先生が言っていた言葉は全て印象的でしたが、最後にものすごい眼力(睨まれているようでしたw)でこう言われました。

「40代で不妊治療の末、妊娠・出産。仕事と育児、コロナもあったし引っ越しの環境変化。あなたはずっとエネルギーを放出しっぱななしなんです。常に放電中。だから産後ケアがまだまだ必要です。それを十分意識してくださいね。「補う」ことが今のあなたには必要なの。私は漢方という専門分野であなたをサポートしていきますから、一緒に頑張っていきましょうね。」

徳島に来て、頼れる人がまたできたと感じてやまない瞬間でした。
独りで頑張っちゃう、頑張れちゃう私自身を私が癒し、ケアしていくこと。それと同時に「頼る」ことをもっと意識していくこと。日々の薬膳ケアは食事だけでなく生活スタイルや心の持ち方も含めているんだなと、改めて感じました。

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