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自分で思っている以上にTwitterに色々書き込んでいて、少しずつこちらにも移植していきます。
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少しずつまとめて行きます。 私は心の奥底でフツフツと湧き上がる思いを文章にまとめ上げるまで時間を要します。 それはきっと感情が先に動いてしまうのがわかってるから。 同じ思いなのに、熱を帯びている時とそうでない時の伝え方、伝わり方の違いを恐れているのだろうと思います。 最近自分が作ったモノが色んな立場の方の目線で役割というか存在理由というか、意味的なものを考える機会が増えてきました。 ただ、作って売って、届ける。という仕組みから少し複雑になったんだと思います。 「モノ
色んな媒体でいよいよ年末なんだなと感じる年の瀬。 今年はクリスマス気分も一週間くらい引きずっていて、多幸感が長続きしていたようにも思う。たぶん、自分の中の時間の感覚が例年以上に「間延び」したんだと思う。
今年もあっという間に師走がやってきた。今年は特に色んなことがあったけれど、こんな世界になっていなかったとしても、きっと同じことを言ってるんだろうな、と思う。 文章を書く時、書きだしの最初の一文でしっくりした試しがない。これは自分の未熟さもあると思うけれど、キーボードを打つ手のリズムを聞いてるとだんだん調子が出てくる気がする。だから最初の書き始めはなにか適当に打ち始めて、結果最後には消すことになる。 こういうのは色んな事に通じていると思っていて、何ごとも「やりはじめ」が一番
今日は最近ありがちなタイトル長め、ぱっとタイトルを見れば何を書いてあるのかなんとなくわかりそうな(でもわからない)感じでやってみた。 こういった、一見時事的で流行ってそうなものはすぐにダサくなるので、普段はあまり近づきたくはないのだけど、分かりやすさがもてはやされているのが今の空気っぽいので、世相を反映してみる試み。 この間こんなことを書いた。 分かりやすさの先には難しいものがたくさんあって、それを吟味して言葉を選べるようにならないと、安易には話せない。というのが自分の考
ここ最近、いつものように色んなものが燃え上がっていて、対岸の火事ではないけれど、自分もいつだってその渦中の中心人物になりえる可能性はある。もしくは明日は我が身。という言葉が浮かぶ。 以前、パブリックアートという行政の案件で仕事をしたことがある。その時に感じた事、考えた事をやっとこ言語化できた記事(2019年のもの)を改めて読んでみることにした。
小さな子どもを育てながらこういう活動をしていると、たまに心無い言葉をかけられることもあったりする。衝撃的だったのは「ちゃんとご飯とか作っているの?」がワースト1。 大変余計なお世話なのは間違いないのだけれど、やはり心のどこかで気にしていたのか、以来料理の写真も載せたりしていた時期もある。今はやめた。 幼稚園も小学校も地域の役員も何度もやっているし、「好きな事をやっているからにはそれなりの貢献を」といったプレッシャーもあったのだろう。なんだろう、中和作業みたいなものだろうか
少しずつリハビリ制作。 こうやってただ手を動かすこと、その行為そのものに救われるところはある。 進んでいないように見えて進んでいるんですよ。 今の私にはこのくらいのスピードがちょうど良い。 今日ふと、Instagramにも投稿してみたらこんなリプライが。 「私は関口さんの世界観、マインドがとても好きです。応援してます♪」 そうだった、私はこういう言葉に救われてもいたのだ。自分の作ったものとその先の人との関わり合い。 改めて気づかせていただいた。こちらでもありがとうと