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野に咲く花のように

生きていると心を裁かれるほどの辛い出来事に直面し、涙さえでてこない日もあります。

そんな日を…経験しました。

人の言動に対して責めるのは簡単ですが、心が揺さぶられてしまうのも、それに値する的を得た課題があるから…
結局は、自分の心は知っているもので。心を何かに奪われないよう、常に中庸に戻りながら、より磨いてゆこうとしていました。

遠方で、気持ち的に何もせず帰るつもりでありましたが、晴れずこのまま持ち帰るのはどうかと、寄り道することにしました。

ある場所に行った直後、見過ごしてしまうような古い看板の文字が目に入り…
ふっと懐かしさが甦り、引き寄せられるように向かいました。

『懐かしい…行ってみようか。』
いつものようにぽつっと呟き、行き着いた先


私が小さい時に毎夜、感動の涙を流して寝入ってしまうドラマが『裸の大将』でした。
ドラマを通じて、初めて『山下清』さんと言う存在を知りました。

山下清さんは、3歳の頃、命の危険に陥り、一命こそ取り留めたものの、言語障害と知的障害の後遺症を患います。そして、「八幡学園」へ預けられ、この学園生活で出会った「ちぎり紙細工」が大きくその後の人生を変えてゆきます。

ある日、戦争に伴う兵役検査を逃れるために全国を放浪するのですが…
この放浪こそが戦後話題となり、「裸の大将」と呼ばれ、ちぎり画から異才を放ち人を感動させ、「日本のゴッホ」とも呼ばれるほど有名になります。 

そして、熱田神宮でその人生の放浪の旅を強制的に終えさせられ、同じく人生をも終えてゆきます。

山下清さんのその才能に魅せられ、あらゆる人達が言動を投げかけ、我欲で都合よく山下さんを翻弄しようとします。

ただ、山下さんは、その人間性を観て、感じていて、日本中に自分の名が知れ渡る世間のなかででも、変わらず、心が喜ぶままに生き続けて…人生を終えられます。


山下清さんに触れ、人は、こんなに純粋で美しく、生きれるのかと、自分の人生にも大きく影響を与えてくれました。

何度、あのドラマを見て、心を震わせて感動したことか…
大人になり、当時のことを置いてきぼりにしていたことと同時に、あの頃の自分と一緒に目覚めた感覚になりました。


道中、記憶を懐かしみながらも、誰もいない駐車場に到着。

石のおにぎりに歓迎されながら、踏み入れるとその会館には、たった1人。

いつか画を見たいと言う夢がこんな形で叶うとはと想いを踊らせながら、山下清さんの作品の世界に入ると…
山下さんの人生が走馬燈のように流れ、しばらく嗚咽を漏らさずにはいられないほど涙が溢れ、自分の涙音を響かせていました。

一つ一つのちぎり画は、自分に語ります。
『真っ直ぐな心を持ったまま、傷ついたとしてもそのまま生きていいんだよ。
それでいいよ。
誰かが必ず自分の歪みのない世界を見守ってくれているよ。
心を震わせて感動を響かせれるんだ。』
…と。

あの頃の自分がもっていた澱みない心の蓋は、山下清さんの優しさで開かれ、そのまま自分の中で広がり、撫でられたようにも感じました。

数歩、歩いて私の目の前に飛び込んできたのがちぎり画

『怒るな笑へ』

涙交じりの驚きをなだめるように、小さな福笑いが表現されていました。

「自分のこと…ですよね」
と、涙をじんわり浮かばせ、笑顔を漏らしながら、語りかけました。

山下清さんはご他界されているので、放浪された本人だけが見た世界があったのだとも想像します。

見て、聴いて、嗅いで、触れて、感じて…
あるがままの世界を自分でコントロールしようとせずに、同じ目線で表現されているものばかりです。

そして、何より、山下清さんの世界観の中で素晴らしいのは、人を責めるような画が一つもないことでした。

唯一、望んだことそれは、
『戦争のない世界』

鉄砲の先に描かれているのは火種ではなく…

『花火』
しかも、これを戦具で用いるヘルメットに描写されています。

武器も扱いによっては、人を感動させるものに変わる願いを込めた表現力が今も生きていました。

山下清さんは、ちぎり画だけでなく、異質な才能も持たれていて、言葉等の記憶力が特化しており、時に難題な言語理解もある方だったそうです。

放浪の中で、たくさんの方々と出会われていて、手書きの手紙も遺っています。

『ご飯をありがとう
 おにぎりをありがとう
 お金をありがとう
 もらった大切なお金で汽車に乗れま す
 また大切に汽車に乗るためにお金を使います』

手紙のなかで、こうして繰り返し"大切に大切に"と文字を綴られていることに、じんと…魂が震えました。
放浪の中で、ご飯やお金を支援してくださったことの感謝がここから伝わってきました。

我欲でない、誰かのためにお金を投じるということは、こうして生きたお金になるんだと改めて教えてもらう機会になりました。

何より、こうして人に対する心の扱いを尊ぶことで、眞心が永遠に生きるのだ感じています。


また、作品のなかには、お金を貼り画にされてるものもありました。

"はり絵が好きなので手元にあったお金よりも張り絵が大事だったのか…"
…と、捉えていたのですが、事実は違って、ここで用いられていたのは、この時代の時点で弊紙自体が使えなくなったから。要するに、使えなくなったお金を捨てるのでなく、生かして貼り画にされていたのです。


生前、山下清さんと出会われた方もいますが、画をもっている人、捨ててしまった人…様々です。

捨ててしまわれた人は言います
「置いておけばよかった。」…と。

画をもらった後に、画伯である山下清さんと言う条件がつき、初めてその人、そのものの見方が180度変わってしまう…
それは、現代の人間関係間でも同じようにありがちなこと。

大切なのは、立場、地位や名誉、有名で有れど無けれど、
『変わらずにいただいた眞心を尊ぶ姿勢』
が、人としての生き様に反映されるのだと感じています。

様々な想いを巡らせながら、しばらくすると自分の心も落ち着き、お客様が入ってこられました。


『知的障害なんだよね。』
という言葉をまず最初に発して…

事実であれど、正直、自分にとっては、胸が痛くなりました。

世間とは、そういうもの。
そうゆう一面もある世界。
自分の理想通りにはいかない…それが世間。


ただ、注目するのは、そこでは無くて。

人は、あらゆる情報で容易に判断しがちですが、本当の人を知るためには、実際に出会い、世界に触れることで、初めてどうゆう人間かを我が身も踏まえて教えてもらうのだと感じています。

現代社会では、大人でも子供でも人への理解を共有するために区分がされています。そして、どうしてもつけなければならない判定となる文言が、病名としてつけられていたりもします。

病名をつけることで、本人が安心出来、人がその人を理解する際には役立つこともあります。

ただ、だからと言葉に括られない世界を誰もが秘めていることもあります。

言葉から判断する自分世界の色眼鏡を自ら外し、心に上下のない、争いのない、優劣のない世界でともに同じ目線で生きていく…それが、同じ人が人として生きあう在り方じゃないかと感じます。

しかしながら、今、こうして綴れるのも、自分自身に患いを持ってないからかもしれません。

ただ、明確に言えるのは、目に見えるものだけが全てでないこともあります。その人にしかわからないことが…実は、あります。

こうして今の自分は、この身の自分として生かされているので、どうしても、今の自分として表現するのであれば、このような言葉になります。

きっと、これから自分も人と出会う中で、様々な喜怒哀楽に出会うと思いますが、いかなる時も大切な心を誰かのものに奪われないよう、揺るがず、畏れず…正直な心を人と分かち合いながら、生きていきたいと感じています。

山下清さんのように…
自分なりに…
美しいものは美しいと言える人として…
生きていきます。


最後に器に映る蝶2匹が自分を見送りました。
また、『いつも見守っているからね…』と言われたようでした。

くまちゃんがいつも
『ご縁を大切に。人と繋がってごらん。』
と伝えてくださっているのは、この未知なる縁のなかには、互いの眞心を知り合える機会に繋がっているんだと言うことを諭してくれているのではないかと感じています。

そして、過去が今に生き、自分の本音というものは、きっと誰かのためになり、自分が生かされもする機会にもなるのだと…。

この世の素晴らしい世界がどういうものか、眞心ある人が遺したものに宿り続けていく。
だから、同じ世界を同じ目線でみて、遺された背景を読み解くことが大切なのだと…深く学び取りました。


今回、予想外でしたが、自分の中で忘れていた記憶が、行動したことで流れが出来、自分をここに導き、心を包み、救ってくれたこの出来事を忘れないよう今に遺し、綴っています。

また、この記事を、自分の心に響かせて、また誰かとのご縁を深め、待ち受ける未知の素晴らしい世界を"ともに"笑顔で向かっていきたいと感じています。




無心で無垢なあの頃のまま涙を流してもいい
君らしくていいじゃないか

今、君の心に大切なものはそのままあるじゃないか

何ももたなくても

そのままでいいじゃないか
君は…素晴らしいんだよ


そんな言葉が巡っています。

それでは…
今日も明日も明後日もサチアレ🌈✨



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