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イリュージョン03.「松本」と「石井」

一九七八年、後の麻原教祖の妻松本知子さんは、予備校で知り合った松本智津夫氏と十九歳の若さで結婚した。そのときのエピソードが教団機関誌に載っている。

その頃、まだ修行に縁のなかったごく普通の人間である尊師に出会ったのでした。変わった人でした。一番びっくりしたのは、名前も知らない最初から、私と結婚すると決め込んでいたということでした。
尊師は、
「結婚は前生からの約束だった。」
と言われますが、私には前生のそんな記憶などあろうはずもなく、
「バカみたい!」
としか思えませんでした(ごめんなさい)。
(『マハーヤーナ』27号より)

「名前も知らない最初から」とあるが、当時松本知子さんの名前は「石井知子」だった。事件後、マスコミの報道で松本知子さんの旧姓が「石井」だということを知って、私は「あれ?」と思った。教祖の一番弟子であり、もう一人の妻といってもいい石井久子さん(ケイマ正大師)も「石井」だったからだ。

「二人とも、石井なんだ…」と思った。

二人の石井さんに親戚関係はないので、これは単なる偶然だ。

たしか九三年頃だったと思うが、出家した弟子全員を麻原教祖の養子にして「松本」姓にするという話が持ち上がったことがある。教祖はノストラダムスや出口王仁三郎の予言を検討して、世紀末に登場する救世主は「松本」という名、あるいは「松」に関連すると予言されていると言っていた。(*)そのような予言があったから、弟子を全員養子にして「松の系統」にしたかったようだ。さすがに千人ちかい養子縁組は実現しなかったので、私は戸籍を変えなくて済んだことにちょっとほっとした。

「松」という象徴についてシンボル辞典にはこう書かれている。

松は、高潔、直情径行、活力、豊穣、性格の強さ、沈黙、孤独をあらわし、男根象徴でもある。常緑樹として松は不死の象徴。松は死体を腐敗から守るとされ、棺桶に用いられたり、墓地に植えられたりする。松は厄除けにされる。松かさは、形が炎や男根と似ているので、男性的創造力、豊穣、幸運をあらわす。」
「一説によれば、松かさの円錐形と、回転するコマは、渦巻きや螺旋と同じ象徴的意味を持つ――つまり大いなる生成力・創造力をあらわす。

松はファルス、すなわち男根の象徴だ。松という樹木(柱)とその特徴的な松かさのイメージは、たしかに男根象徴なのだろう。そうすると…。
すぐに私はインターネットでインドの「シヴァリンガ」の写真を確認した。シヴァ神の象徴とされるシヴァリンガは、男根(リンガ)と女陰(ヨニ)が合一しているものだ。男根は石の柱、女陰は石の井戸のようなもので造られている。

これは「松本」と「石井」と同じなんだ…。

そして、この陰陽が合一するシヴァリンガは、もちろんオウムの本尊「グヤサマジャ」と同じイメージだ。

4イリュージョン

Blessed by a Linga / ebdohlei
シヴァリンガ

私は、ふと、「松本」という名前の街にサリンがまかれてしまったのも、このような「松」という象徴によるものなのかもしれないな…と。

また、教祖の弁護を担当した十二人の国選弁護団は一審終了後に全員が辞任して、控訴審を引き継いだのは、松井武と松下明夫という名字に「松」のつく二人の弁護士だった。松本麗華さんの『止まった時計』を読むと、教団を離れた麗華さんが誰よりも信頼を寄せている人物は松井弁護士のようだ。

松井は「松」と「石井」が統合したような名前、こんなところにも麻原教祖にまつわる「松」という象徴の神話的イメージを見るような気がした。

もちろん、このようなことはすべてイリュージョンでしかないが…。



(*)ノストラダムスの予言詩に、「救世主は、大乗の悟りに到達している松本を姓とする盲目の人である」と解釈できるものがあったこと。また、大本教の出口王仁三郎が言ったとされる「弥勒の神下生して三界の大改正を成就し、松の世を顕現するため」云々という、弥勒によって「松の世」があらわれる予言があったという。


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