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イリュージョン06. ピラミッド

オウムという宗教が活動したのは十年ほどの短い期間だった。
教団の活動はいつも突然はじまり、猛スピードで展開して、極限まで走って行って、また突然終わった。そんなことの連続だったうえに、秘密裏に凶悪な事件も起こしているのだから、ひとつの宗教として全体像をとらえることは、宗教研究者であっても、オウムのなかにいた者であっても、だれであっても難しいことだと思う。

私がオウム真理教全体のイメージとして抱いているのは、ピラミッドと、ピラミッドに投影したプロジェクションマッピングだ。

古代エジプト時代に建造されたといわれるピラミッドは、人類の歴史のなかで圧倒的な存在感をもっていながら、だれが、なんのために、どのようにして建造したのか、なにひとつとしてはっきりとはわかっていない(ピラミッドを王墓だとする見方も疑問視されているという)。

現在のピラミッドは、正四角錐の先端部分が失われた不完全な形で残っている。数千年前のピラミッドの頂には、“ベンベン石”と呼ばれるキャップストーンがあった(ベンベンとは「原初の丘」「種子」などという意味だ)。そしてピラミッドの表面は、磨き上げられた化粧石に覆われて、太陽光を反射して全体が輝いていたというから、本来のピラミッドは、黄金で鍍金されたベンベン石を頂いた状態で、巨大な完全な正四角錐の形をして輝いていたのだ。

かつて輝いていた正四角錐のピラミッド――

これが、私がオウム真理教に重ねているイメージだ。
ピラミッド本体は、教義と修行体系、その階梯を導くグルと弟子たちの集団をあらわし、オウムで語られたさまざまな「物語」(ファンタジー/方便)は、ピラミッドに投影するプロジェクションマッピングのようなものだったと思っている。

初期のオウムには、『ムー』や『トワイライトゾーン』のようなオカルト雑誌の特集に掲げられるような物語が映されていた。
神仙民族、ヒヒイロカネ、超能力、古代エジプト文明、予言…etc.
このような初期の頃の映像は短く、画像はすぐに切り替わっていった。(末期にはハルマゲドンと破滅が投影された)

プロジェクターの物語の映像を切り替えていたのは、麻原教祖の「内なる神」である“シヴァ神”だった。たとえば、「1987年7月シヴァ神にエジプトへ飛ぶよう指示された」と言って、突然弟子を連れてエジプトへ行く。
あるいは、シヴァ神の指示があって、「オウム神仙の会」から「オウム真理教」という宗教団体に変わる。そういった教団の大きな動きは、いつも教祖の内的な神の示唆からはじまっていた。

オウムの物語のなかで、エジプトのピラミッドは初期に一度出てきたきり、それ以降はまったく出てこない。しかし、シヴァ神の「富士に道場を造れ」という示唆を実現して富士山総本部道場が建立されたときから、オウム真理教は日本のピラミッドともいえる「富士山」の麓で最後まで活動をくり広げることになる。

もちろん、私がここでいう「富士山」「ピラミッド」とは、古代インドの世界観の中心にそびえるスメール山のような、太陽(大日如来)、中心(柱)、セルフ真我――そういった世界の中心をあらわす象徴だ。

オウム真理教という宗教は、「真我の実現」すなわち「解脱・悟り」(*)、エンライトメントとセルフ・リアライゼーションを目的としていたから、「太陽(光)」「中心」「真我」に結びつく「ピラミッド」「富士山」というイメージは、ぴったり当てはまっていると思う。

ピラミッドは光を失った今も存在している。ピラミッドの頂にあったベンベン石が失われてしまったように、オウム真理教は教祖と高位の成就者の一団を失った。表面の化粧石は崩れ落ち、プロジェクションマッピングはもう上映されなくなり、光に没入する成就修行は途絶えたが、本体のピラミッドを構成する教義と修行体系は堅牢だから、教団はアレフ(ベンベンと同じ、はじまりという意味)と名前を変えて、今現在のピラミッドのようにあり続ける。

「ベンベン」の意味は、原初の丘、はじまり、再生と復活、種子。
それは、「昇る朝日が最初に照らす場所」だとされる。
私には「あさはら彰晃」という名前に似ているように感じられる。

もちろん、このようなことはすべてイリュージョンでしかないが…。


*「真我」を説くヨーガと「無我」を説く仏教をミックスしているということで、オウムは仏教ではないとする学者の論述を読んだことがあるが、このようなことはオウムでは問題にならなかった。それをどう呼ぶかではなく、それを実現することが目的だったから。


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