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シヴァ・ビンドゥ08. 反転

太極図を見てください。太極図は「陰極まって陽となる、陽極まって陰となる」という言葉が示すとおり、対立しているように見えるものは、その極まりにおいては正反対のものへと転換するという世界観です。古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、これを「エナンティオドロミア」と言いました。

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対立しているように見える「善」と「悪」、「最低」と「最高」などという対立物は、真実の世界(真理・全体性)では同じもの、あるいは同じように作用しているものだというのです。

これをオウムでは「苦と楽は表裏」と言いましたし、「カルマの法則」が真理だといわれるゆえんです。他人になしたことが自分に返ってくるということは、自分と他人は同じだという真理をあらわしています。光あるところには必ず影があるように、陰と陽は切り離すことのできないひとつの全体です。

しかし、最高のもの(善・光)が最低のもの(悪・闇)でもあるというパラドックスは、あまりにも矛盾しているために通常の意識では受けいれることができません。この真実は、とらえる側の分裂した意識が統合されたとき(サマディに入って)はじめて悟ることができるとされています。

太極図のなかに「陽中の陰」「陰中の陽」と呼ばれる点があります。これは陽が陰へと転換していく転換点であり、同様に陰が陽へと転換していく転換点です。

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すべての人に忌み嫌われ、憎まれ、蔑まれ、罵られ、最低、最悪の人間の烙印を押されることは、人びとの意識から拒絶され、追い出され、捨てられ、遠ざけられ、無意識の闇のなかへ沈むことに等しいといえるのではないでしょうか。「頭に油をぬられた者」「ほふられた子羊」としてのキリストは、このようにして世紀の変わり目に、私たちの内奥に転換点として埋め込まれようとするものだとしたら。

「シヴァ」はリンガ(男根)であり、世界を「創造する力」です。「頭に油をぬられた者」「ほふられた子羊」は、人びとの意識の内奥へと侵入するシヴァ・リンガのビンドゥ(種子)として埋められ、来たるべき新しい世界の創造のために犠牲となる。これが「頭に油をぬられた者」として聖別された「キリスト」という象徴の意味ではないでしょうか。

ほふられた子羊は、この世界にシヴァ大神の「最高の意識」、麻原教祖の言葉を使うなら最高の光である「慈悲」があらわれるために、「最低の者」「極悪人」としてさらし者になり、転換する時代のシヴァ点として犠牲(いけにえ)になる。

これがシヴァ大神の意思だと考えて、それを実践する僕(しもべ)として悪を犯したなら。絶対的な悪そのものとなり、さらし者になり、殺されることが世界を救済することになるという妄想を中核にして、あの数々の惨い事件が引き起こされていったなら。

これこそオウム事件の本当の恐ろしさであり、麻原彰晃の正真正銘の狂気性なのではないでしょうか。

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