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写真と運命

魔がさした?

一九九〇年から九三年まで、私は麻原教祖の写真を撮るワーク(奉仕活動)をしていました。

写真学校で学んだことがあったので、普通の人より技術はありましたが写真のセンスはあまりありません。もともと写真が好きなわけでも、特別興味があったわけでもありませんでした。

実をいうと、写真を学ぼうと思った理由も自分ではよくわからないのです。

その頃、小さな出版社に勤めていた私は、好きだった児童文学の創作か、ジャーナリズムの文章術を学ぼうと思っていました。働きながら学べる学校の資料を見ているとき、ふと写真学校の募集に目がとまり、なにを血迷ったのかそっちの方にふらっと申し込んでしまったのです。学費も文章術を学ぶよりずいぶん高額だったのに、なんだかちょっと魔がさしたような感じでした。

やっぱり好きじゃない

写真学校の最初の実習は、新入生全員で近くの新宿御苑へ行って好きなものを自由に撮って、みんなで合評することでした。教室の大きなテーブルに四つ切サイズに伸ばした写真を広げて、まず先生が講評するのですが、私の写真を見た先生は「うーん…」と言ったきり言葉を失っていました。

私はなんの変哲もない木の枝をただ撮っていたのです。そこにあるものを撮れば写真になると思っていたのですが、どうやらそういうものではないようでした。一枚の写真を撮ることは一つの「作品」を創ることらしいとわかったとき、私は自分がまったく写真という表現に興味がないことに気がつき、「どうして写真学校に入っちゃったのかな…?」と後悔しました。

それでも一年間の授業料を払ってしまった以上はやるしかありません。
一眼レフカメラ二台とレンズを何本かそろえ、三脚にストロボに露出計、部屋に簡単な暗室も作り、モノクロ・フィルムをロールで買ってできるだけ多くシャッターを切り、撮った写真を自分で引き伸ばす等々…ずいぶんと機材にお金をかけたので、さらにもう一年、上の科に進学しました。

写真を学んだことは、仕事にも役立ったので後悔はなくなりましたが、自分に写真の才能がないこと、やっぱりそんなに好きではないことは変わらず、卒業すると自然に写真から遠ざかっていきました。

そして数年後、私はオウムと出会い、出家するときにはカメラ機材一式をお布施して、二度と写真を撮ることはないと思ったのです。

専属カメラマン

ところが、出家して一年もたつと編集と兼任して、私は再び写真を撮ることになりました。麻原教祖の写真を撮るという重要なワークでした。

私がオウムで撮った麻原教祖の写真は、たくさんの書籍・カセットレーベル・チラシ・パンフレット・ポスターなどに使われました。教祖の姿を見ることがなくなってからも、たった一枚の写真を見るだけで当時の麻原教祖がいきいきと記憶によみがえってくるのですから、私が撮った写真はオウムの宗教活動に貢献した――オウム流にいうなら、私は「写真を撮ることで功徳を積んだ」ということになります。

もし、あのとき写真学校へ行かなかったなら、オウムで写真を撮っていなかったら、撮影中の転落事故で死に直面しなければ、私はクンダリニー・ヨーガの成就を経験することはなかったでしょうし、海外に撮影で同行するという刺激がなかったら、そもそも出家生活さえ続かなかったでしょう。

振り返ってみると

私のオウム体験のなかで、写真を撮るということは私が思っている以上に重要だったのかもしれません。そんなことを考えていると、ふと気になることがありました。

「写真学校に入ったのは、いつ頃だったのだろう?」

調べてみると、教祖が「麻原彰晃」と名乗って宗教活動をはじめた1983年の春でした。オウムという宗教の胎動がはじまったちょうどそのとき、魔がさしたのか、あるいは神の導きなのか、なぜか私は写真を学びはじめていたのです。オウムを知るのはそれから六年後のことでした。

「じゃあ、教祖が『最終解脱した』と言った頃、私はどこでなにをしていたのだろう?」

思いついて振り返ってみると、その年、私は突然立って歩けないほどのめまいに襲われて、大学病院で検査してメニエール病と診断されたことがありました。会社を数日休んで、症状も一週間ほどでなくなりましたが、初期の「オウム神仙の会」に集まった人たちが強烈なクンダリニー覚醒体験をしていたとき、まったく別の場所で私は原因不明のひどいめまいに襲われていたということになるのです。めまいや耳鳴りはクンダリニーが覚醒すると起きることがあるので、もしかするとこれは同時に起きていた共通の現象だったのかもしれません。

麻原教祖の本を読んだだけで、入会金を送っただけで不思議な体験をするというのはオウムでよく聞いた話ですが、現実の接点がまったくないにもかかわらず、それぞれに共振するような出来事が同時に起こっていたなら、それを「運命」とか「縁」というでしょうか。

このような共時的現象は、きっとだれの人生にも起こっていることなのかもしれません。

※トップの写真はインド・ダラムサラでの食事風景。

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