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イリュージョン01. 島原の乱とオウム

熊本を訪れて、麻原教祖が生まれ育った八代から対岸の天草諸島を間近に見てからというもの、私は天草四郎という救い主(キリスト)と、麻原教祖が生きた「世紀末のキリスト」には関連があるのではないか、「島原の乱」とオウム事件はどこか似ているように思えて仕方がなかった。四〇〇年前に起きたキリシタンの反乱について麻原教祖が語ったこともないのに、なにかに引っかかってしまって、私はこの二つの宗教的事件は、日本の歴史上同じ意味を持っているのではないかと想像した。

「島原の乱とオウム事件はどこか似ているんだよね。天草四郎はキリストと同一視されていたし、世の終わりに救世主があらわれるという予言も当時あったと伝えられている。天草四郎が神秘力をあらわして信仰を集めたところも麻原教祖と似ている。そして、島原の乱で殺された信者はおよそ三万人らしいけど、オウムの目標は三万人の成就者を出すことだったよね。成就ということは、ある意味で“死ぬ”っていうことだから…。そして、天草四郎の陣中旗には中央に大きく器が描かれているんだけど…麻原教祖が『私たちは器なんだ』と言っていたことに通じるような気がする…」(「06.不知火」参照)

こんなことを大真面目に言うと、元オウムの親しい友人にさえ露骨に「だいじょうぶかな、この人」という顔をされたが、私は天草四郎の陣中旗と麻原教祖の言葉を並べて、「すごくマッチするんだよね…」などと妄想した。

<天草四郎陣中旗>

イリュージョン1

「グルへの帰依というのは明け渡すってことなんだよ。
どういうことかというとね、私たちは器なんだ。わかるかな。
器のなかにいろんなものを持っているわけだ。
グルへの帰依というのは、それを空っぽにしようとすることなんだよ。
グルが透明なものを入れた段階でその人は成就するわけだね」
(麻原彰晃説法より)

ところで、オウム真理教の富士山総本部道場の跡地には、日本盲導犬協会の「盲導犬の里 富士ハーネス」が建設されている。2006年に開設されたモダンな建物の前に立ったとき、私は盲目の教祖が率いた宗教団体の跡地に「盲導犬の里」が建っていることに首をかしげてしまった。

「盲導犬の里? 盲目の教祖の教団跡地に?」

一緒に行った人も不思議な感じがしたようで、「たしかにそうだね…」と言った。

2イリュージョン
3イリュージョン

教団をやめてから、ちょっと不思議な静けさに包まれた盲導犬のためのこの施設を私は何度か訪ねているが、行くたびにぼんやりと「なんで、よりによってここに盲導犬の施設ができたのかなあ…」と思い、三度目に行ったときはっきりと疑問を抱いた。

「やっぱりおかしい。普通の感覚ならオウムの総本部の跡地に施設を建てようなんて思わない。この辺りに土地はいっぱいあるだろうに、なぜここに建てるんだ?」

あまりの偶然に、どういう経緯で盲導犬の施設が作られたのか気になってインターネットで調べてみると、「やっぱりな…」と思うことが見つかった。「盲導犬の里 富士ハーネス」を運営する日本盲導犬協会の理事長は元警視総監の井上幸彦氏だったのだ。

1994年9月第80代警視総監に任命された井上幸彦氏は、95年の地下鉄サリン事件で陣頭指揮を執った――つまりオウムと戦争をした警察の総大将だったわけだ。1997年、井上氏は警察庁長官狙撃事件の責任をとって警視総監を辞任し、その後山梨県知事に立候補したが落選、2004年に日本盲導犬協会の理事長に就任している。警察のなかで最もオウムと因縁があった人物といえるのかもしれない。

「元警視総監の天下り先が偶然日本盲導犬協会だったんだ…オウムの総本部道場の跡に盲導犬のための総合施設を建設することの決定にかかわったのも、きっとこの人だろう…」

麻原教祖の死刑が確定した2006年9月15日の一か月後、「盲導犬の里 富士ハーネス」はオープンした。そこに数奇な運命と漠然とではあるがオウムと井上幸彦氏の強い縁も感じた。

富士山総本部道場で生活したことのある私は、目の前の「盲導犬の里」の建物にかつての富士山総本部道場を容易に重ねることができた。「警察」と「オウム」という敵対するものが富士道場の跡地で一緒になっている――私はそこにオウム真理教の本尊「グヤサマジャ」のイメージを見るような気がした。

陰(女性性)と陽(男性性)とが合一するイメージであらわされるグヤサマジャはサマディ(三昧)の神でもある。サマディとは瞑想の究極で、そのとき主体と客体、対立するもの、敵対するものは統合されている。オウム真理教富士山総本部道場があった場所に、オウムを敵として戦った警視総監が盲導犬の総本部を建設したなんて…大いなる神の戯れのように思えた。

そうこう考えていると、ずっと引っかかっていた「島原の乱」とオウム事件が似ている感じがする理由もそこにあるのかもしれない…と、ひらめいた。

「そうか、麻原教祖と天草四郎が直接つながるわけじゃないんだ…」

天草四郎と戦った幕府軍の総大将松平信綱は徳川家光の側近中の側近といわれた人物…天草四郎が戦っていたのは徳川家光の幕府軍だったわけだ。麻原教祖が「過去世で徳川家光だったんだよ」と語っていたことは、オウム関係者にはよく知られている教祖の過去世譚の一つだった。真理の観点からすれば、敵対するものは対立しているように見えて実は協働しながらなにかを生み出している…とすれば、家光の治世に反乱を起こした天草四郎と徳川家光は深い縁で結ばれていることになる――やっと島原の乱とオウムをつなぐ線が見つかったような気がした。

もちろん、このようなことはすべてイリュージョンでしかないのだが…。


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