見出し画像

シヴァ・ビンドゥ09. 破壊/創造

わたしはオウムという宗教に出合って、そこで生きることになりました。人生のある長い期間、とんでもないものに巻き込まれていたのだと思います。教団を脱会してからも、私は、あの光とエネルギーにあふれていたオウムの宗教世界と陰惨な一連の事件が、いったいどう結びつくのか考えてきました。

神の啓示にしたがってほふられる道を歩む――という麻原教祖の宗教的信念、あるいは妄想によって、一部の弟子たちは取り返しのつかない罪を犯し、多くの罪のない人たちを犠牲にしてしまいました。獄中の教祖は十年以上言葉かけにも反応せず、家族とも弁護士とも意思の疎通がなく、狂気のなかにいるようです。自分で用便を足すこともできず、人目をはばからず射精するという教祖の様子をどう考えたらいいのでしょうか。

オウムの神は、最後には麻原教祖の意識をも呑み込んでいったのではないでしょうか。シヴァはリンガ(男根)であり、ビンドゥは種子(精子)です。自由を失い、名誉を失い、多くの弟子の信頼を失い、正気をも失い、精神が破壊されてなお、麻原教祖の肉体はこの神の本質をあらわそうとしているようにも思えます。

最後に、オウムの主宰神である「シヴァ大神」について考えてみます。オウム真理教富士山総本部道場の祭壇は、全国各地の支部道場とは少し違っていました。支部では祭壇にグヤサマジャだけを掲げていましたが、総本部の祭壇には、中央のグヤサマジャは同じでしたが、向かって右側にシヴァ神、左側にビシュヌ神のかなり大きな二枚の絵が置かれていました。この配置については説法などで公式に説明されたことはありません。

総本部祭壇
<富士山総本部道場の祭壇の構図>

富士道場の祭壇の構図を、かつてのわたしは不思議に思って見ることがありました。

「グヤサマジャの隣に、なぜシヴァ神があるんだろう…グヤサマジャはシヴァ大神なのに…?」

創造・維持・破壊を司るブラフマン・ビシュヌ・シヴァの三神はひとつの神の三面をあらわしているといわれます。では、富士山総本部道場の祭壇では創造神ブラフマンはどこにいるのでしょうか? 

ビシュヌ神とシヴァ神の絵が左右におかれているなら、当然、祭壇中央のグヤサマジャ(シヴァ大神)が「創造」(ブラフマン)をあらわしていると考えられるのではないでしょうか。もしそうだとしたら、オウムの主宰神であるシヴァ大神は、破壊神シヴァの名前を持ち、同時に世界を創造するブラフマンが重ねられている――「破壊/創造」という対立原理を両立させる神を象徴していることになります。

麻原教祖はこのような神を内的なグルとしながら、いつしか徐々に同一化していったのではないでしょうか。左手で悪をなし同時に右手で善をなすような「破壊/創造」という対極の両面、大きな矛盾をはらんだ神と同化すれば、畏ろしい結果になることは言うまでもありません。

教祖を信じ、救済だと信じていた弟子たちは、たとえ「なにか、おかしい・・・?」という思いがよぎったとしても、歩みを止めることはありませんでした。実行犯の弟子の多くは厳しい取り調べを受けて、はじめて事件の重大さに気づき「はっ」と我にかえったことでしょう。そのときのショックはどれほどだったでしょうか。

オウムという宗教団体で実際になにがあったのかを知らない人びとは、「なんてひどいことをする奴らだ」「人間じゃない」「早く殺してしまえ」と糾弾しました。当然のことだと思います。

でも、彼らと同じ場所にいた私はよく知っています。ごく普通の社会人や学生だった私たちの意識を、入会してわずか数か月でこの現実から引き離し、高く舞い上げてしまうような圧倒的なエネルギーが、クンダリニーとも、無意識とも、とも呼ばれる神秘的な力が、あのときたしかにオウムには働いていました。

このような力にふれて、神のようなつもりになってしまったことが、オウムの、わたし自身の大きなあやまちでした。それを認めたうえでなお、あの光あふれるエネルギーのなかで、自分自身を見失わないでいられる人が、はたしてどれくらいいるのだろうか。正直それはとても難しいことではなかったか、とも思うのです。


*******

内的な経験は神の「啓示」なのか精神病的「妄想」なのか、という疑問をもたれた方のために以下補足します。
『情報時代のオウム真理教』(春秋社)では、神秘体験と心身症について西部邁氏の質問に教祖が答えていることにふれています。

「(『朝まで生テレビ』の宗教討論のなかで)パネリストとして最初に発言した西部が、修行における異体験と心身症がどう違うのかと問うと、麻原は、宗教者の修行体験も心身症も同じであるとあっさりと認めた。この発言に対し、栗本(慎一郎)は麻原が『現代社会の正常というもの自身について問い直しているということをおっしゃっている』と補足説明し、西部も私が言いたいことはそういうことだと応じた」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?