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イリュージョン05. 人穴381

“ひとあな”というちょっと変わった地名がオウム真理教富士山総本部道場の住所だった。

総本部に居住して運転免許証を持っていたサマナ(出家者)なら「富士宮市人穴381」という住所に見覚えがあるだろう。1989年から1992年まで、私は人穴にあった富士山総本部道場に住んでいた。当時、私たちは「解脱・悟り」を目指していて、どうすれば修行が進むか、成就できるかだけを考えて生活していたので、住んでいる地域にどんな歴史や文化があるかなんて、だれも気にかけたりしなかった。

近くに「白糸の滝」という観光名所があることは聞いていたが、修行熱心でない“不良サマナ”が「白糸の滝に遊びに行ったらしい」という噂を耳にしても、ワークをさぼって観光名所へ遊びに行くサマナを気の毒に思っても、うらやましいとは思わなかった。いつも目の前に大きく見えている富士山くらいしか周辺のことは知らずに生活していた。

それが、オウムをやめてから、ある人に「人穴って変わった名前だよね」と言われたことをきっかけに、人穴や富士山の歴史と文化を詳しく調べてみたことがある。

「人穴」という地名は、総本部道場から1.4キロほど離れたところにある富士山の噴火によってできた溶岩洞窟「人穴」に由来する(洞窟は人穴富士講遺跡として整備され現在も残っている)。

富士に住んでいた頃、編集部があった富士の宮と印刷工場のあった旧上九一色村を、日に何度も行き来して人穴洞窟の近くも通過していたが、洞窟を見に行ったことは一度もなかった。調べていくと、人穴洞窟はかなり古くから神聖な場所として信仰の対象だったようだ。

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』のなかには、源頼家が家臣の仁田四郎忠常に命じて洞窟を探検させたと記録されている(1203年6月)。このとき忠常は家来五人と洞窟に入るのだが、四名が急死して、忠常も翌日になってようやく洞窟から出ることができたと伝えられている。この歴史・伝説について、ある研究者は、人穴が富士山の噴火によってできた溶岩洞窟であることから、奥行きが90メートルもあるといわれている洞窟に火山性の毒ガスが発生していて死者が出たのではないか、と推測していた。

「洞窟の地下深くで、毒ガスかぁ…」

人穴洞窟の伝説とオウムが地下鉄で毒ガスのサリンをまいたことはイメージ的にぼんやりと似ていると思った。もちろん、似ているだけだ。しかし、もう一つの事実を思い出した私は、奇妙な感覚にとらわれた。

オウムの信徒・サマナなら、オウムで最も重要で神聖なのは「サマディ」(三昧)だということに同意してくれるだろう。サマディはサンスクリット語で「死」を意味する言葉で、瞑想の究極状態といわれている。修行者は瞑想によってサマディに入り、死後の世界を経験し、再びこの世に戻って来ることができる。サマディに入ることは聖者の証明であり、サマディがおこなわれた場所は浄化・聖化されると考えられていた。

1988年、富士山総本部道場建立にあたって、麻原教祖は自らサマディをおこなうことで道場用地を浄化し、また、高い瞑想ステージにあることを証明すると宣言した。

当時、私はまだオウムに出合っていなかったので、この時のサマディの様子については後に教団の機関誌で読んだ。サマディの経緯の詳細は省くが、結果として教祖のサマディは成就しなかったのだ。

原因は、サマディに使われたチェンバーの建材(接着剤)から有毒ガスが発生し、なかで瞑想している麻原教祖に悪影響を与えたことだった。問題のチェンバーを修理して、サマディは何度かやり直されたが、そのたびに有毒ガスが発生して中止された。最終的には、同時にサマディを行っていたケイマ大師の十時間の呼吸停止を計測したことをもって、サマディは成功したとして決着させたのだった。

つまり、オウムで最も重要な麻原教祖のサマディ――それも富士山総本部道場を建てるためにおこなわれたサマディは、記録を読む限り、三度の有毒ガスの発生によって成就しなかったのだ。なんとなく、私にはこの出来事が毒ガス・サリンを三度まいたオウム真理教と教祖の行く末を、どこか暗示しているように思えた。(特定の人物池田大作・滝本太郎氏へのサリン襲撃未遂事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件)

「ただの偶然のイメージの一致…こんな話はオウムの人だって聞く耳を持たないかも…」

私自身そう思っていたのだが、社会学者の大澤真幸氏の著書のなかに、オウムの総本部道場建立のサマディでの毒ガス発生と、地下鉄サリン事件について指摘しているのを見つけて感心してしまった。

「そこに着目した人が他にもいたんだ…しかもオウムの人でもないのに!」

大澤真幸氏に勇気をもらって、オウムと人穴と毒ガスのイメージについて書いてみた。このようなイメージの重なりはなにをあらわしているのか。そこから読み取れるなにかがあるはずだ…そんな風に思って、私はずっとこのようなイリュージョンについて考えていた時期があった。

もちろん、このようなことはすべてイリュージョンでしかないが…。


※【富士宮市ホームページより】富士講の資料によると、江戸の富士講の開祖長谷川角行は、人穴に篭って修行し、仙元大日神の啓示を得たとされる。角行の教えは、江戸時代中期以降、江戸を中心に広まり、数多くの富士講が組まれた。また、角行は人穴で亡くなったとされ、人穴は富士講の浄土(浄土門)とされた。このため、人穴は角行の修業の地・入滅の地や仙元大日神のいる場所として信仰を集め、参詣や修行のために人穴を訪れる講員も多く、人穴は先達の供養碑や記念碑などの碑塔を建立することも多く行われた。


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