トーキョー賛歌

私が小学2年生までを過ごした代々木上原という街がある。
その街は渋谷区にあり、近くには渋谷、原宿、代々木公園、明治神宮、東京大学などがあった。
いわゆる高級住宅街と呼ばれる街で、芸能人も近くにたくさん住んでいたし、億ションもたくさんあった。一軒家も都内にしては大きいものが多かった。

私は残念ながらそんな高級住宅に住んでいたわけではなくて、父親の会社の社宅に住んでいた。
築40年のボロボロの団地のような家で3DK。
そして、お風呂はバランス釜というものでガスを燃焼させてお湯を沸かすタイプのもので、一度点火させないといけないのが子どもながらにとても怖かった。また風呂の床は石なのですのこ必須だった……今考えるとすごいお風呂でした。
そんなお風呂を備えた3階建ての建物が4棟建っていた。
その4棟が周りを囲うように建っていて、その中心には駐車場と公園があった。

その公園にはブランコやジャングルジム、滑り台、鉄棒、砂場といった遊具が一通り揃っていて遊ぶ子どもも社宅の子だけだったのでとてもいい遊び場だった。
私たち姉妹は、みんな滑り台から落ちて病院行きになったのも今となってはいい思い出だ。

子供たちは自転車を乗り回したり、遊具で遊んだり、花の蜜を吸ったり、その花で色水を作ってみたり、オシロイバナのタネを潰してオシロイを作ったり、木登りをしたりと各々が思い思いに遊んだ。
ちなみに、この木登りをした木はビワの木で実がなるとたまに食べたりしていた。

こんな感じで渋谷区キッズとは思えないような遊びに興じていた。


バレバレの"秘密基地"
実は遠回りしてるけど"こっちの方が近道だよ"
日当たりの悪いところで育てたけど逞しく育った"自家栽培の野菜"

全部覚えている。
懐かしくて優しい記憶。

そんな街からは小学3年に上がる前に引っ越してしまった。
当時はまだ携帯を持っていなかったから、今となっては連絡を取っている友達は残念ながらいない。
母伝いに小学校の友達はほとんど中学受験をしたらしいと教えてもらった。
まあ確かに、友達にお金持ちとか帰国子女、プロ野球選手の子どもとかいたもんな……
後にアイドルになった友達もいたな……

友人関係もだが、学校環境も公立にしては、なかなかの環境で育った私は引っ越し先で初めて土のグラウンドを見たり、教室まで給食を自ら運ばないといけないことに衝撃を受けたのだった……(まあこの話はまたいつか)

数年前、10年ぶりくらいに代々木上原を訪れた。
住んでいた社宅は取り壊され、新しくマンションが建っていた。
代々木八幡まで足を伸ばしたし、通っていた小学校にも行った。幼稚園は閉園していた。
あんなに大きく見えていたものがそんなに大きくなかった。
広い道路が狭かった。

変わったものが多かったけど街の空気は変わっていなかった。
泣きそうになった。こらえたけど。

今となっては遠い場所ではないので、また足を運びたい。

#エッセイ #日記 #note #思い出の土地 #幼少期

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