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『オッペンハイマー』感想

実験のカウントダウンが始まった時、身体が震えていることに気づいた。

映像体験において、こんな体験なんか一度もなかった。
「広島」の単語が映画から出て来た瞬間、
フィクションからリアルに引きずり込まれて心臓がドクドク鳴り始める。
この爆炎と爆音で何万もの日本人が無差別に消し飛ばされ、
80年近く経ってなお続く苦しみがあると知っているからだ。

近所ではIMAXの劇場公開時間が合わず、ドルビーシネマにて鑑賞した。
今回の映画は前作のような時間・映像トリックより音響効果の注力が期待されたため、
こちらも問題ないと判断した。
※この点の感想については末尾にメモしておく。

クリストファー・ノーラン監督の作品は、
『メメント』『インセプション』『プレステージ』『インターステラー』に加え
劇場にて『TENET』を鑑賞済み。
(多分『ダンケルク』と『ダークナイト』のいずれかも一度見た気がするが、
記憶に残っていないためカウントしない。)
作品としては『TENET』が好きだが『プレステージ』と『インセプション』も
用意に順位づけられない程度には好きな作品だ。

はじめに鑑賞者の私は、修学旅行で広島・長崎を訪れていない平成生まれの道民である。
テレビや書籍、教育以上の被爆国教育を踏襲しておらず、
茨城の大正生まれの祖父から戦争の話を聞いたこともない。
ついでに言うと、映画にホラーやスリル演出でワクワクする以上の興奮を覚えたことはない。
お化け屋敷なんかで他人が怖がるのを見て楽しくなるタイプだ。
そういう無知で怖いもの見たがりの私が、
実験のボタンを押すカウントダウンが始まった時、
ドクドク逸る不快な心拍数の高まりを覚えながら、
震える手を両手を祈りの形に組み合わせて息を止めていた。
あの場面で耐えきれず劇場を出る観客が数人がいた。
その恐怖心は尊重される方がいいと思う。
少なくとも私はもう一度この映画を最後まで観られる自信がない。

ここでこの映画の戦争・原爆表現についてあえてネタバレしておくが、
この『オッペンハイマー』という映画に登場する直接的な原爆描写は
トリニティ実験の場面以外にほぼ登場しない。
他にオッペンハイマーのトラウマ描写として
閃光の後に皮膚が剥がれ落ちる少女や炭化して身を縮込めた死体が出て来るが
それらは白々しいほどリアリティを削いである。
戦争の描写は戦闘機のコックピットから過る閃光を見上げる場面が挟まる程度だ。
そこに賛否両論あったようだが、
グロテスクな描写によって『原爆』に興味を持った観客、
特に日本人の観客の大半を失うのは本末転倒だと私は思う。
綺麗ごとではないと言いたくなる人の意見も十分わかるが、
即座に逃げられない場所で自分のタイミングでない時に突き付けられても
トラウマだけが残ってその後受け止めたり考えたりできなくなってしまうからだ。

日本で核シェルターが普及しない要因は
被爆国として「核戦争が勃発した世界で生き残れる未来などない」という
諦念を義務教育の中で悟るためであると聞いたことがある。
それだけが要因とも思わないが、
原爆を落とした国と落とされた国、それ以外の国では
根幹が絶対に相容れないことは明らかだ。
日本人以外に被爆の現実を描くことはできないと思うし、
それを映像で齟齬なく説明するのは不可能に近いと思う。
ましてCG嫌いのノーランに被爆の光景をトラジックに描かせるなどナンセンスだ。

ノーランはこの映画を「オッペンハイマーというアメリカの科学者主観を貫く」ことで
観客の原爆に対するストレスを逃がしつつ同時に映画へ没入を成功させている。
これが本当に見事だと思った。
ノーラン作品の導入として見ても一番成功していると感じる。
日本での公開において懸念された点は、
恐らくあのトリニティ実験とその後のアメリカが突き進んだ傲慢の次第が、
日本人の嫌悪感を掻き立てると判断されたのかもしれない。
実際、そういう点で観ていられないほど憤りを感じる方もいらっしゃると思う。
しかし同時にこれまで当時のアメリカ、そして原爆投下の事実を
痛烈に批判した映画作品はなかったと思うし、
過度に悲劇的でも正義的でもない科学者という視点をぶれさせず、
剣呑な現代情勢に今一度核の警鐘を鳴らす設計になっていることは自然に読み取れる。
こうして無事に日本公開に漕ぎ着けてくれた配給会社のご尽力に感謝したい。

映画の中では直接的ではないながらも、当時の情勢がかなり説明されている。
ヒトラー統制下のドイツという脅威、
ドイツほどではないながら蔓延しているユダヤ人差別、
敗戦を受け入れられず死に突き進む日本の頑迷さ、
計算を実験せずにはいられない科学者の好奇心、
得た力を振るわずにいられない人の傲慢さ、
冒頭の聖書引用の通りである。

物理学者として原爆開発へ突き進んだオッペンハイマーは、
やがて政府から切り離されていった。
彼が原爆の実地使用を警告した時、見積もった死者はたった「2~3万人」だった。
自分が生みだした物が16時間前に広島へ投下されたこと知らせるラジオの声。
「止まれなかったこと」に対して突き付けられる現実。
もし原爆が投下されなかった世界線はどうなっていただろう。
日本は原爆の被害国ではあるが戦争の被害国とは言えない。
1945年8月に無理矢理に打たれたピリオドがなければ、
日本という国は滅んでいた気がしてならない。
だからこそ、原爆投下の事実に息が苦しくなる。

まだこの映画を頭の中が整理できていないが、
間違いなく観てよかったと言える。
人に「観て欲しい」「一緒に行こう」とは言えない映画だ。
キリアン・マーフィーやケネス・ブラナーの演技は素晴らしかったのだが、
普段のように細かな演技の印象を記憶するほど気を逸らす余裕がなかった。
原作小説や日本視点の書籍も読めればと思うが、
まずはパンフレットを読んでもう少し映画について考えをまとめられればと思う。

これから観に行く人へ
◆公式HPのキャラクターページにて、顔と下の名前だけは把握しておく
◆白黒の映像はストローズ視点、カラーは基本的にオッペンハイマー視点
◆爆音は突然は来ない、遅れてやって来るので気を抜かないで
◆セックスシーンは2回、両方かなり趣味が悪い
◆よほど映画好き同士でも恋人とはいかない方がいい
◆この映画は科学者オッペンハイマーの映画で、戦争映画ではない

※ドルビーシネマの立体音響について
劇中歌の金管楽器や弦楽器の高音の上ずった響きが耳障りに感じた。
ただし他の環境で鑑賞していないため、
これが映画的演出だったのか作品と環境の不協和音かは判断できない。

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