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お世話になった人⑬

さて、幼少期場面緘黙で、理解のない親から散々な目に遭ってきた私ですが、「話さないとだめ」と完全に刷り込まれてしまっていて、本当に自己肯定感の低い、自分に自信のない状態が、高校卒業から、20代を経て、精神を病んで病院を受診するまで続きました。

思い切って飲食業に飛び込んでみた私ですが、私を雇ってくれた「お世話になった人⑥」でお話した人が、面接先のお店の総支配人だった時に、言葉や文章だけでは伝えきれないたくさんの事を学びました。

その中で、飲食業は楽しいものだと、私の中に印象づけられていったのでした。お店の売上が伸びず、会社の上層部が店長の交代の辞令を出すと、その人は⑦の人などを連れて、お店を去っていきました。

そして、あるホテルの配膳人(基本的に飲食業専門の派遣会社の人)として、ドアマンとして働いていたようですが、店長が交代してから、親交のあった数ヶ月先輩の高校生の女の子、私の6個下の女の子、⑦でお話した人などに個人的に連絡を取り、「俺のところに来い」と言っていたようです。よほど、店長が交代して悔しかったのかも知れません。

彼からの連絡も結構しつこく、オープン前の店にまで電話がかかってくる事もあり、みんな折れて、そちらの方で働く事になったのですが、残っていたのは、私と、新店長の連れてきた女の人と交際していた人くらいでした。しかし、その人も彼女と破局すると、向こうへ行ってしまい、最後の最後に私も折れて、そのホテルに行くことになりました。

ですが、ひとつ大きく異なる事は、その店で総支配人という立場で私たちの上司だった彼ですが、そのホテルでは、同じ配膳人であって立ち位置も同じですし、働いている部署も違うので、その店では、たしかにとてもお世話になったのですが、こちらでは、先輩であるかも知れませんが、上司という訳ではありませんでした。そこが、最初の頃の私にとって、今後どういう風に接していくべきかを考えるひとつの悩みの種のようになっていったのでした。

ただ、当時の彼は発言力や、影響力が強く、先程挙げた私の同僚たちは、彼の紹介というか口利きで、各部署に配属される事になったのは事実です。

当時、私は23歳で、一人暮らしという事で、お金を稼がないといけないと、彼は思ったのでしょうか。私には、ルームサービスのウェイターを紹介してきたのでした。

さて、前置きがかなり長くなってしまいましたが、ここからがお世話になった13人目の人の話になります。

そのホテルでルームサービスは24時間営業という事で、私は入植当初より、夜勤の人員になりました。

ホテルの制服は、勤続年数や仕事の技量などによっていくつかの制服があったのですが、その中でも、最も下っ端のバスボーイコートというのを着ることになりました。

そのホテルには、2社の配膳会社が入っており、当時は、私と同じ枠で、バスボーイコートを着ている先輩がもう1人いて、その人は、私より歳が5つくらいは上でしたが、入植時期も1ヶ月くらいしか変わらないという事でした。彼は、役者関係の仕事もしていて、掛け持ちのような感じで、配膳もしているということで、これまでも、飲食業も経験があると言っていたかと思います。

私が入った時は、まだ夜勤も社員が3人くらいいて、プラス配膳2人くらいの5人くらいでまわす感じでかなり余裕がありました。ちなみに、時間帯は、夕方の18時に入り、欲9時に上がる体制で、夜勤の人は、ディナータイムの業務もこなし、ディナータイムの時に、その彼が主に私について、食事提供(デリバリー)などの仕方や、各厨房に注文を入れたり、受け取ったりする手順をよく教えてくれたのでした。

まさか入って1ヶ月で人に教えるとは思ってなかったと、彼も言っていたのを覚えています。

そうなってくると、私の前の職場の前店長も日中ドアマンをしているので、会う事もほとんどなく、このルームサービスの夜勤帯の人達の方が濃い関係になっていくのでした。

そのホテルでは、まだ手書きの伝票で注文を入れるのが基本となっていて、ゲストから直接注文を受けた人(オーダーテイカー)から、伝票を受け取って、各厨房に渡しにいくのも、私たちの仕事になりました。

他の普通のレストランは、そこの厨房のみとだけ関わるのに対し、ルームサービスは、全レストランの料理を出すという事から、いろいろなところと関わりが出てきて、最初は覚えるのが大変でした。

和食、天ぷら、寿司、メインラウンジ、中華、欧風レストラン、メインキッチンなどなど、中には出来上がったらインターホンのような物で知らせてくれる所もあったのですが、ない所もあって、そのような時は、自分たちで進捗を見に行かなければならず、それもまた煽っているようで気まずいので、見つからないように見に行っていたのを覚えています。

同じ飲食関係でも規模が違うとこんなにやることが違うのかと、とまどってもいましたが、ルームサービスは忙しい時と暇な時の差がかなり極端で、暇な時は、本当に閑古鳥が鳴くくらい静かで、いる人たちでグラスを黙々と拭いたり、ナプキン折りをしたりして、世間話などをしていたのを覚えています。

ただ、どんなに暇でも、私のホテルでは、氷が無料ではなくて、ルームサービスに電話してアイスペールにルームサービスの部署にある製氷機の氷を満タンに入れ、トングをつけてもっていくシステムになっていて、その氷のオーダーだけは、よく入ってくるのでした。

また注文内容によって、キャスターのついたワゴンで行くか、大きめのトレイで行くか決まるのですが、トレイの時は、当時、料理の乗ったトレイを片手に持ち、肩の上に担ぐような形で運ぶというスタイルがあって、その先輩の彼もやっていたので、少し慣れた頃、私もやってみようと思い、軽いサンドイッチの乗ったのを慎重に真似をしてみたのですが、私にはとても無理だったので、その運び方は、私はやらないことになりました。

届ける部屋は、スイートからシングルなど全ての部屋が対象で、スイートで人数がたくさんいる場合は、ワゴン3台くらいで行ったり、朝も朝食は6時から始まるので、仮眠は一時間くらいだったかと思います。ただ、若かった私たちは寝なくて、ピンピンしていたのを覚えています。

その先輩は、面倒見がよくて、仲のいい他の部署の人たちとの飲み会に誘ってくれたり、夜勤明けで一緒に2人だけで飲みに行くということもありました。また、バスボーイ時代が終わり、ひとつ上の制服になった頃は、お互いの家に遊びに行ったりすることもあり、今ではよい思い出となっています。

私は、このホテルに4年間いましたが、建物自体、結構老朽化が、進んでいてその約1年後は、取り壊され、今では名前も建物も変わっています。

私は体調不良で辞めることになりましたが、彼は、建て替えによって閉館するまで在籍していたようです。

辞めた後、1度もだけ会ったことがありましたが、30代前半の頃だったかと記憶していますが、「おっさんになったな」と言われたのを覚えています。

それ以降は、なかなか連絡が取れず、そのままになってしまっています。また彼の事は、この後、書いていく人たちの話にも出てくると思います。

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