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お世話になった人⑰

今日お話するのは、21歳から27歳までお世話になったあるホテルのルームサービスで働いていた時の話である。

普通のレストランと違い、各部署や厨房とのやり取りをする中で、緊密な関係を築いていた所。今日は和食キッチンの板前さんたちの話をする。

前に⑮で、特に個人的な付き合いにまで発展した人についてお話したが、今回は、和食キッチン全体について、お話する。

まず、和食の料理長。料理長は、とても厳格な人で、いつも怒号を飛ばしていて、仕事中はいつもピリピリしていたイメージがあり、私も仕事中話しかけるのにオドオドしていた記憶がある。しかし、食事など従業員食堂などで、見かけた時は、笑顔でいろいろ話しかけてくれたのだった。

また記憶が濃いのは、煮方という煮物関連を担当していた板前さん2人である。ルームサービスで出す和食メニューのほとんどは、汁物が付き、この汁物はこの煮方さんの所から出ていたので、ほとんど毎日関わっていた。ひとりは、お喋りが好きで、いつも気さくに話しかけてくれて、すぐ仲良くなれた。電車で片道2時間くらいはかかる所から通っていると聞いた時は、びっくりした。
もう1人は寡黙な感じだが、打ち解けるととても温厚な人で、あるエピソードを上げるなら、このホテルでは、ナイトタイム(夜食)に、出来合いというと表現が安っぽくなってしまうのだが、前もって厨房で作った材料などを夕方にもらっておき、それを注文が入ったら盛り付けて提供していて、その材料のひとつに、うどんのつゆがあった。その頃の私の体調は、結構よくない状態にあって、寸胴に入ったうどんのつゆをバックスペースの廊下にぶちまけてしまった。ということは、覆水盆に返らずということで、事情を説明して、作り直して頂かないといけない。だが、大っぴらに厨房に伝えれば、料理長の罵声を浴びるのは目に見えていた。そんな時、この煮方さんに、申し訳なさそうに目で合図をしたら、気がついてくれて、うどんのつゆを全部ダメにしてしまった事を謝罪し、内密に再度作り直してくれたのだった。

また、⑮でお話したポジションにも、もうひとり若い男性の板前さんがいて、その人にもよくして頂いたのを覚えている。一緒に飲みに行ったり、一時期は、彼も帰り道が同じ方向だったので、彼の家に行って、泊まらせて頂いたこともあった。だが、彼も私が在籍中に結婚をして、その後は、距離が開いてしまったのだった。

和食の板前さんたちは、お酒を飲むのが好きで、また別の少し言葉遣いが悪い板前さんがいた。ある日、私がディナータイムのシフトで仕事が終わったら飲もうと誘われて、快く了解した。私はてっきり、どこか店に言って飲むのかと思っていたのだが、彼は、紙パックに入った焼酎を見せると、グラス2個持ってこいというのだった。どんな話をしたかまでは覚えてはいないが、その紙パックの焼酎開けてないのを2人で、飲み干すとぐでんぐでんになって、私は仮眠室まで行って寝てしまったと記憶している。またその先輩も仮眠室に向かおうとしていたようなのだが、1度仮眠室に着いてからトイレに立った時、トイレの前にの廊下に彼がうつ伏せで寝ていた。私も、依然として、お酒がまわっていたので、何の言葉がけもせずに、そのまま私は仮眠室へ戻ってしまったのだった。それがよくなかったか、声をかけたところでどうなっていたかは分からないが、その後巡回の警備員に見つかり、2人がかりで、仮眠室まで運んだということで、翌朝和食キッチンがザワついていた。。私はは、一応事の顛末を話したのだった。

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