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現在の私に至るまでの話③

それでは、続きを書いていきたいと思う。
働いていた介護施設を終われ、求職者になった私は、ハローワークの求人にピンと来ないまま、焦りを感じ、近くのアルバイトと張り紙から応募したカフェ併設のパン屋にアルバイトとして入った。

ここでの仕事内容や、失敗談については、②の方に書いたので、ご興味のある方は、そちらをご覧ください。

給与が低かったが、食品関係という事もあって、クローズの時間まで残ると、店頭に出せなかった廃棄処分のパンを持って帰ってもいいことになっていたので、これで食費が少し浮いたのはありがたい事だった。

私がトータルで、この職場にいたのは1年半くらいの間であった。

それは、かなり久しぶりとなる私が体調を崩すまで働いていたホテルで、お世話になった人からの着信だった。

私はこの着信を見て、最初は、また仕事の誘いか、接客はもうやりたくないからと思い、暫くの間放置していた。

だが、安定した給与を貰えない状態であり、私の心は揺れ始めていた。配膳会の接客はもうこりごりだが、配膳会は接客だけでなく、洗い場などのバックスペースの仕事もあるのを知っていたし、そっちのほうがもしかしたら、いいのかも…などと思い始めていたのだった。

その着信を受けてから数ヶ月後の事になるが、私はその人の電話にかけてみる事にした。その人は男性なのだが、電話をかけてみると、電話口に女性の声が聞こえた。私は咄嗟にかけ間違えたのかと思い、「まちがえました」と言い終わらないうちに、ある事実を知らされるのだった。

その女性は、その人の奥さんで、その人は、病気で亡くなったのだという。私はとてもショックを受けてしまった。

それで、奥さんが、彼の携帯に登録してある人に片っ端から連絡していたというのだった。

とてもお世話になったので、お線香の1つも上げに行きたいと思い、その旨を伝えると、奥さんは、ある聞き覚えのある人の名前と電話番号を私に教えてきた。

私は、正直なところは、その人には、あまり連絡したくはなかった。だが、亡くなった人にお線香を上げにいくという名目なら仕方ないかと思い、連絡することにした。

その連絡したくなかった人とは、私が体調を崩して、辞めたホテルの時に、配膳会として一緒に働いていた人だったのだが、その時に独立して配膳会社を設立した人だったのだ。私の今の状況などを聞いたら、こっちに来いと言われそうな気がして、嫌な感じはしていたのだが…。

でも、お線香。。。

引き抜かれそうになったら断ればいいと思って、電話をした。

そうすると、その人(以下社長と呼ぶことにする)は、うちの事務所に来るように言ってきたのだった。

私はどちらかと言うと、話し方がゆっくりな方で、社長は結構、早口な感じだったので、「じゃあ、待ってるから!」と言われて、電話を切られてしまった。

行くしかないのか。。。

そして、私の嫌な予感は的中するのだった。
最初は、亡くなった〇〇さんにお線香を…と言っていたのだが、今の仕事などについて聞かれ、答えていると、「それだったら俺のとこで働いた方がいいじゃん!」と言われ、私はその場で、給与振込のための銀行口座の開設、連絡受け取りのための、スマートフォンの申し込みなどをしたのだった。

私は配膳会の経験があるので、これからどういう感じになるのかの大体の想像はついていた。

27歳の時に体調を崩して辞めたはずのホテルに、また35歳にして、戻るなんて思ってもみなかったのだが、社長から、ある外資系高級ホテルの仕事もあると言われ、心が揺れてしまった。

外資系高級ホテルの中を見てみたかったという思いもあったが、実際の仕事は、私にとってはかなり高度なのであった。

お世話になった人の訃報から、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかったが、社長の名前を聞いた瞬間から、そんな気はしていたのだった。

パン屋の方は、給与と生活の相談はずっと続いていたし、今回、そういう話になったので、退職する旨を伝えたのだった。

今日はこの辺で、終わるが、次回は、再び入った配膳会(スポット)について、詳細に書いていこうと思う。

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