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創業者亡きあとも会社が成長し続けられたのは、父が遺した「言葉」のおかげだった

※この記事は「51歳、がんで亡くなった父の言葉が会社のピンチを救ってくれた」を改題し、再編集したものです。

創業者がいなくなると急に勢いを失ったり、時代に乗り遅れて衰退していってしまう会社も多くあります。

しかし、うちの会社は創業者がいなくなってからも成長し続けました。

途中で停滞する期間はあったものの、新たな事業を軌道に乗せ、2000年には東証一部(現プライム)への上場も果たしました。

現在、私たちの会社「オークネット」は創業37年、売上360億円、グループ社員数850人にまで成長しています。

なぜうちの会社は創業者が死して尚、成長し続けることができたのかーー?

その答えは『正見録』という1冊の本にあります。創業者である父は生前、経営の考え方をこの本にまとめていました。

叔父は言います。

「迷ったとき、答えはすべてこの本に書いてあった」

今回のnoteでは、この『正見録』の言葉を紹介しながら、うちの会社が創業者亡きあと、どのように成長していったのかを語っていきたいと思います。

「もう、どうしたらいいんだ……先が見えない……」

30年前、父の訃報を聞いた叔父は頭を抱えました。

父が始めた中古車のオークション事業は爆発的に伸び、念願の株式公開やアメリカ進出まで果たしました。しかし、これからというときに父は胃がんになり51歳という若さで亡くなってしまったのです。

(詳しくは前回のnoteに書きました。)

亡くなる直前に父が後継ぎに指名したのが、父と10歳離れたいちばん下の弟でした。叔父はもともと前に出るようなタイプではありません。いつも兄のサポート役として、つねに「黒子」に徹していた。

それが一転、表舞台に立つことになったのです。

「もう、どうしたらいいんだ……先が見えない……」

叔父は、どちらかというとシャイな性格です。他人をグイグイ引っ張るタイプのリーダーでもない。

突然兄貴がいなくなってしまって「どうすりゃいいんだろう」と相当悩んだはずです。そのときに頼ったのが父の遺した、この『正見録』でした。

父は、がんが再発したあと「もう長くない」と悟り、虎の門病院の一室で遺された人へ伝えたいことをノートに書きつけました。感謝の思い、仕事観、経営とはなにか、生きるとはなにか……それを1冊の本にまとめたのです。

巷ではよく「創業者の言葉を大切にしている」という話を聞きますが、叔父の場合はレベルが違います。

本当につねに本に答えを求めていた。本当にその本のとおりに経営の舵取りをしたのです。おそらく叔父が一線を退くときは「この本と一緒に焼いてくれ」と言うんじゃないかとすらひそかに思っています。

創業者である父が遺した『正見録』

本物主義を貫く

経営の指針となった1冊の本には何が書いてあるのか?

ここからは『正見録』の言葉を紹介していきます。

まずはこの言葉です。これは叔父がいちばん大切にしてきた言葉で、会社の根本にある「経営理念」でもあります。

叔父はこの言葉を胸に刻み、「何が本物なのか?」を考え続けました。

「本物のサービスとは何か」を常に追求し、業界の発展ならびに社会生活の向上に貢献するーー。

あたりまえと言えばあたりまえかもしれません。

しかしそうは言っても、ビジネスをやっていく中で悩む場面は多いものです。進むべきか、止まるべきか? このサービスをやるべきか、やらないほうがいいのか?

そのときに叔父はつねに問いかけるのです。

「これは本物なんですかね?」と。

当然現実はそんなに甘いものではありません。しかしこの問いをつねに頭に置いておいて判断する。そこが重要なのです。

自社に利益がもたらされるだけでなく、それは業界の発展や社会生活の向上につながるのか?

そこを考えて行動すると、一時はマイナスになったとしても最終的には「その判断をしてよかった」ということにつながります。

流通における「本物」とはなにか

私たちはBtoBのオークション事業をやっています。そのいちばん真ん中にあるのは「流通」です。

まず「在庫を売りたい会社」と「買いたい会社」がいる。その両者を「情報」を使ってマッチングさせる。

これが私たちの考える「流通」の基本です。

そして、この「情報」というものをいかに「信頼に足る、安心して取引ができるための情報」にできるかが重要だと考えています。

情報を信頼できるものにしていけば、売る人も買う人も余計なコストを払わなくてよくなります。

たとえば中古車の売買をするときも、きちんとした車両情報が見られれば、わざわざ会場まで現物の車を見にいく必要はなくなります。「故障した車を高く売りつけようとしてるんじゃないか」と疑心暗鬼になる必要もなくなります。

これが、創業の事業である「中古車のオークション」をやるなかで提供し続けた「本物」ということです。

叔父は父の教えに従って、この「信頼できる情報」を徹底していきました。

とにかく種をまけ

2つめに紹介したい言葉はこちらです。

父が亡くなったのは、1992年。

そのあともしばらくは、事業の中核である中古車の市場は伸び続けました。

しかし2000年代に入ると、ついに右肩上がりだったグラフが止まります。中古車市場が停滞し始めたのです。

そこで叔父は「とにかく種をまけ」という言葉に従って、中古車で培ったスキームを他の商材に横展開していきました。まずは中古車に近い市場として、中古バイク。それから、ブランド品、医療機器などに進出していったのです。

商材が変わっても、もちろん「本物主義」は貫きました。「信頼」「安心」という軸をブラさなかった。

中古の世界には「瑕疵(かし)情報」という言葉があります。これは「欠陥がないかどうかを示す情報」のこと。

欠陥があるのにそれを偽って流通させたら、信頼は一気に地に落ちます。だから、この瑕疵情報というものがとても重要なのです。

ただ商材が変わると、重要な情報というものは変わります。

中古車やバイクなどでは「瑕疵情報」を含めた「状態を示す情報」が大切でした。車に傷はついていないか? バイクのエンジンはおかしくないか? そういった情報が大切でした。

一方で、ブランド品の場合はどうだろう? 医療機器の場合はどうだろう?

新たな商材を扱うたびに考え続けたのはここです。「この商材にとって大切な情報ってなんだろう」ということを考え続けたのです。

ブランド品の場合は「状態」も大切ですが、なにより大切なのは「それがホンモノかどうか」です。医療機器の場合は「見た目」よりも「きちんと機能するかどうか」のほうが重要です。

そこでうちは商材ごとに「プロの検査員」を育てたり、グレードの仕組みも独自に作っていきました。さまざまな業界で「安心して買える」を実現していったのです。

苦戦した中古パソコン事業

さまざまな商材に横展開していきましたが、成果が出るまで時間がかかったものもあります。

たとえば「中古パソコン」です。

車やバイクなどは「瑕疵情報」が重要な情報でした。一方でパソコンは、傷や汚れなどの状態はそこまで重要ではありません。それよりも「中のデータがちゃんと綺麗になっているかどうか」「個人情報が残っていないか」という部分のほうが重要です。

パソコンは「ツール」なので、動けばいいわけです。車は「愛車」という言葉もあるように「愛する対象」だったりするので見た目が重要なのですが、パソコンに限ってはそういうことがあまりない。

何を気にするかといえば「データが綺麗かどうか?」。そこで私たちは、アメリカなどの政府機関も採用しているデータ消去システムの会社と資本提携して、データの消去を徹底しました。

そうやって「うちで取り引きするパソコンには個人情報も残っていないし、安心して売買していただけますよ」という状況を作り出したのです。

……ただ、中古パソコンの事業はなかなかうまくいきませんでした。

というのも、想定よりも低い単価でしか売れなかったのです。

パソコンというのは、新品のときは比較的高額でも3年くらいすると半額を大きく下回る金額になってしまう。国内だけだと量も少なく、ビジネスの柱にはならなかったのです。

それから10年ほど、パソコン事業はなかなか利益を生み出せず、苦しむことになります。

「本物主義✕種まき」が功を奏した

「そろそろパソコン事業はやめようか……」

そんな議論をしていたとき、当時の副社長がこんな情報を持ってきました。

「最近、海外では一部のスマホが高く売れてるらしいですよ」

「うーん、もしかしたらビジネスになるのかもしれない」。私たちは早速パソコン事業のときに提携したデータ消去会社に連絡して聞いてみました。

「スマホのデータは消去できますか?」 すると「もちろんできますよ」という回答。「そうか、これはうちの強みにできるかもしれないな……」。

今度は大手の携帯電話関連会社や通信会社などに連絡して、こんなやりとりをしました。

「私たちに中古スマホの流通をお手伝いさせていただけないでしょうか?」
「任せても大丈夫なんでしょうか?」
「私たちはデータをちゃんと消去しますのでご安心ください」

「じゃあ、御社におまかせしますよ」

私たちは急いで都内某所にでっかいスペースを借り、そこで200人ほどアルバイトさんを雇ってシステムを入れました。ダーッと流れ込んでくる中古スマホの状態を細かく検査して、データを全部消して……。

すごく手間のかかる作業でしたが、一台一台ていねいに進めていきました。

一方の買い手は日本よりも高く大量に買ってくれる海外事業者を見つけてきました。

無事、大量の中古スマホを買ってくれる会社を複数見つけることができ、なんとかオークションの開催にこぎつけられました。こうしてスマホの事業は中古車に続く大きなビジネスになったのです。

父はこんな言葉も遺していました。

正統派の経営をする人が結局は残っているーー。

私たちが信じたのは「データ流出の不安を消すことが付加価値だよね」ということでした。これはパソコンだけではなかなかうまくいかなかったのですが、それをずっとやり続けていたら、スマートフォンでうまくいきました。

もしパソコンの事業を早々にやめていたら、スマホでの成功はなかったかもしれません。遠回りはしましたが、公明正大に「信頼」や「安心」といった価値を提供し続けたことでビジネスはうまくいったのです。

中古車事業に起こしたイノベーション

4つめにご紹介したい言葉はこれです。

イノベーションが会社を救う。イノベーションが枯れたときが会社の寿命。

もう走り続けろ、という教えです。

あるものを作ったり、ひとつのサービスを提供して「これでいいんだ」とずーっと同じことをやっていたらおかしくなってしまう。やっぱりつねにイノベーションを意識することが大切、という教えです。

叔父は、バイク、ブランド品、医療機器、スマートフォンと新しい事業をどんどん立ち上げていきましたが、本丸の「中古車オークション」でもイノベーションと言える大きな決断をします。

この決断はまさに会社の歴史のなかでも「大転換」と言えるほど大きいものでした。

うちの中古車オークションのビジネスがスタートしたのは1985年。

オークションといえば、リアルの会場で行なうことが当たり前だった時代にレーザーディスクと電話回線を使って「リモートで取引」できるようにしたのです。

この「テレビオークション」というサービスが大ウケ。そこからガーッと右肩上がりで成長していきます。テレビオークションは2000年にピークを迎えます。1回に2万台も出品され、多すぎて2回に分けたこともありました。

しかし、その後業績は伸び悩むことになります。中古車市場が飽和状態になったことに加えて、ある存在がテレビオークション事業の壁として立ちはだかります。

そう、インターネットの登場です。

「うちの強みが生かせない……」

うちがサービスを開始した1985年は「インターネット」という言葉すら知られていませんでした。そんな時代に私たちは電話回線と衛星通信を組み合わせて「リモート取引」を実現していました。

テレビオークションの事業は、このシステム・技術自体がマネのできない価値になっていました。ただ、インターネットが普及してしまえば特別な技術はいらなくなります。

私たちのやり方を見て、いくつかの会社がインターネットを使ってリモートでのオークション取引を真似し始めました。

「このまま行くと、どう考えてもうちの強みは生かせなくなる……」

そこでうちはどうしたか?

ライバル会社と提携して、うちのサイトで「他社のオークション会場の競りの映像」をライブ配信して買えるようにしたのです。

従来の「テレビオークション」は、うちが開催するオークションに参加できるというサービスでした。取引できるのは当然うちが集めてきた車だけです。それを他社にも開放してしまおう、というぶっ飛んだアイデアを実現しました。

オークネットの会員になってもらえれば、うちのオークションに出品されている車だけでなく、他社のオークション会社からも買うことができる。日本には中古車オークション会場が100以上あるのですが、最終的にはそのほとんどすべてから買えるようにしたのです。

敵に塩を送るようなことをして大丈夫なのか?

「そんな敵に塩を送るようなことをして大丈夫なのか?」

当初は社内でもそういった議論が巻き起こりました。

他社のオークションに参加できるようになれば、自分たちの売上が減っていくのは目に見えています。それは「競合と手を組む」ようなもの。叔父もギリギリまでこのやり方でいいのか苦悩していました。

しかし最後の最後で背中を押した父の言葉がありました。

それがこの言葉です。

他社のオークションにも参加できるようにすることは、うちにとってはマイナスです。しかし、お客さんにとっては「全国の中古車売買に参加できる」という大きなメリットになります。

思い返してみれば、もともと「中古車をリモートで取引する」という父のアイデアは、当時の業界の有力者から「俺たちの場を荒らすな」と猛反発にあっていました。自宅に脅迫のような電話が来たこともあります。

それでも父は突き進んだのです。

「お客さんにとっていいものは絶対に広がる」と信じていたからです。

これをやったらよろこぶ人がちゃんといる。そういうサービスであれば、必ず世間の支持を得て、利益もついてくるはずだ。

このとき叔父は気付くのです。これがうちの会社のDNAなのだ、と。

よし、やろうーー。

こうして他社のオークション映像を流すことにゴーサインを出したのです。

新しい常識を打ち立てたとき、初めて大きな成果が得られる

6つめに紹介したいのは、この言葉です。

今までの常識を打破し、新しい常識を打ち立てたとき、初めて大きな成果が得られる。

悩んだ末にスタートした「他社のオークションにも参加できるサービス」は蓋を開けてみれば大好評でした。お客さんからは次々とうれしい声が上がります。

「飛躍的に便利になりましたよ」「世の中変わりましたね」

たしかに自社のオークションの売上は減っていきました。しかし「全国のオークションに参加できる」という大胆なサービスはお客さんの心をつかみ、会員は着実に増えていきました。自社オークションで減った分を、その会費や取引手数料が補うようになったのです。

いまでこそ「プラットフォーム戦略」という言葉もあり、「市場にはモノも情報も多ければ多いほどいい」というのがわりと常識になっています。

しかし当時は「開放しないで閉じてたほうがいいじゃん」というのが常識でした。その時代にバーッと広げてしまう判断をしたのは、やっぱりすごいことなのだと思います。

「現状維持の壺」から這い出せ

ビジネスをやっていると「現状を打破しなければ」という場面が出てきます。

人間というのは現状維持を選びがちです。「いいじゃん、このままで」「こっちのほうが楽でいいんじゃない?」。これは人間の性でしょう。

しかし現状を打破しなくては、待っているのは死です。

おかしくなる会社というのは、だいたいみんな「現状維持の壺」に入ってしまっています。同じことをやっているうちに「もうこれでいいんだ」と信じ込んでしまう。何か違うことをしようとしても「そんなことはしないほうがいいんじゃないの?」と足を引っ張る人もいっぱい出てくる。そうやって現状維持を続けているうちに、気がつけば手遅れになっている……。

では、どうやったら「現状維持の壺」から這い出せるのか?

叔父はこう語っています。

「それはもう徹底的に考えるしかないんです。考えて、ちょっとやってみる。だけど、やっぱりダメで、ダメで、ダメで。何回やってもダメで、またダメで。もうほんとうに悩んで苦しむしかないんです。

『あ、これだ』なんて、そんなにすぐに答えが出ることなんて普通ない。そこそこ大きい会社になると、もうなおさらです。

 だけどあるとき『これじゃないかな』とキラッと光るものが見つかる。閃きみたいなものを感じるわけです。そのときに『よしこれで一点突破しよう』と思ってガっとやると、壺の外に出られるんです」。

「正しい姿勢」を貫く

最後にご紹介したいのは、この言葉です。

2年前、私は叔父から会社を引き継いで社長になりました。

中古車のネットオークションで会社を成長させた父。そのスキームを横展開していき、さらにプラットフォーム戦略に舵を切った叔父。

私は二人が大切にしてきたことを継承しながら、さらにビジネスを発展させていきたいと思っています。

創業から37年ーー。

オークションの世界、流通の世界も激変しています。これまでと同じことをしていては成長は望めません。これまでとはちょっと違う種類のことをしていかなければならない。そこでいま新しいビジネスの種をいろいろと仕込んでいるところです。

これが大きなビジネスになるかはまだわかりません。

しかし、どんな苦境が来ても「正しい姿勢」さえ貫いていれば、きっと乗り越えられる。私はそう確信しています。なぜならうちは、そうやってつねに発展し続けてきたからです。

イノベーションの精神、現状打破の精神を持ちながら、公明正大で正しい姿勢を貫くこと。

まだまだ父や叔父には到底追いつける気がしません。もしかしたら、一生追いつかないのかもしれない。それでも二人の教えを胸に、新たなチャレンジをしていきたいと思っています。

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