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漫画『波よ聞いてくれ』稀代のアジテーター伝説の始まりと睡眠不足の社畜の夢

二次創作小噺「ちっぽけな社畜の僕とDJ鼓田ミナレ伝説の始まり」

正午のオフィスで、いつものように藻岩山ラジオ「茅代まどかの『September Blue Moon』」が始まると、いつものように先輩にお昼を誘われ、いつものように断り、仕事を続ける。
溜まった仕事はどれから手をつけてもすでに締め切り待った無し。会社に泊まり込みを回避するには今、手を止められない。焦る。
でも茅代さんの優しい声は連日の終電帰りで殺伐とした心を鎮めてくれるし、トークの内容も身近な話題で、いつも側に寄り添ってくれる感じがする。お昼のFMの癒し効果ぱねぇ。
今日は茅代さんの、ゴールド免許剥奪の悲しい報告に、そういえば全く車に乗ってないな…… 無事故無違反だし俺もそのうちゴールドかな……車庫入れ下手だけど、などと思う。

ふと、ラジオの音声の雰囲気が変わった。

「真面目な話、私、恋愛における地方性って面倒くさいなって思うわけですよ、福岡県出身の人、前にしてこんなこと言うの何なんですけれども……九州男児で長男ってサイアクですよ、もォワガママでワガママでチヤホヤされすぎの典型ですよ」

?何か始まった。茅代さんの声じゃない。酒に酔ったその声は甲高くちょっと耳触りで、でも言葉が調子よく耳に入ってくる。
聞き取れたその内容は、詰まるところ、福岡県民の元彼に50万カモられ、ばっくれられたと。聞いたことのない声が、福岡県民をディスり、次に付き合うなら絶対道民、焼酎より地ビール!と言い切る。
……メチャクチャだ。福岡と詐欺師と、全く関係ないだろう。これは単に鬱憤を、隣に座っている麻藤さんとやらにぶつけているだけの、酔っ払いの戯言だ……でもこれ……何だろう、このぶっちゃけ具合、面白い!ひどい暴論なのに、もっと言え!と思う自分がいる。耳から侵入してきたこの女は、連日終電帰りでぼんやりしている僕の頭の中で、勝手に地ビールをあおり、お前も飲め!と誘ってくるようだ。クラクラしてくる。ところで茅代さんはどこいったんだよ……

ふと、空気が変わる。「あ、あの、皆さん!!」と唐突に割り込んできたこの声は……おんなじ女だ。酒が抜けた以外は全く同じように甲高い声でまくし立てつつ、前言を撤回する。

「人間をカテゴライズする事ほど理解から遠い作業はないと思います。『九州男児は亭主関白』『道産娘は気が強い』『東京もんは冷たい』『B型はクソ』それらの言葉のどこに個々の人格への興味があるでしょうか」

筋だった弁論を、滔々と語り始めた。思わず耳をそばだてる。

「私は二度と……次の恋人がどんな出自の人間だろうとつまらないカテゴライズを口実にその人への理解をなおざりにしたりはしません」

差別と偏見への決別宣言だ。さっきの酔っ払いと同一人物から出てきたとは思えない思慮深さと誠実さに驚く。

「そして最後に一言言わせてください」

何だよ……ごくり。

「光雄! お前は地の果てまでも追い詰めて殺す!」

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(画像は1巻34ページより)

ぶはっ!と思わず吹き出してしまい、遠くの席の部長がこちらを振り向く。慌ててPCのモニターに隠れる。戻ってきた茅代さんのつなぎトークからユーミンの曲に切り替わったラジオをぼんやり聴きながら、何だったんだろう、今の……と考えるより先に僕の手がPCのキーボードを叩く。
MRS藻岩山ラジオのタイムテーブルを見ても、茅代さんの番組名しか出てこない。
だが各種掲示板をたどっていくと、女性の素性がすでに少しずつバラされている。インターネッツ怖い。
●スープカレー屋「ボイジャー」店員
●鼓田さん
●ミナレさん
というところまで絞り込めた。
あと、店のブログの担当で、それがはっちゃけていること、初見の客に店のコンセプトをビジネスっぽく語ること、などなど、店の常連と思しき書き込みが散見される。
この「鼓田ミナレ」なる人物に、ちょっと興味が湧いてきた。

翌日、昼食に、オフィスからはちょっと遠いのだが、一人で「ボイジャー」に行ってみた。
「ミツオさん見つかりました?」と聞かれて
「せんだと相田どっちのみつおですか?」とあしらっている、甲高い声のちょっと美人な店員がいた。
この人だ!鼓田ミナレ。思わず吹きそうになる。
よくもまあスラスラと、そんな返しが出てくるものだと感心する。
オフィスに帰ったら藻岩山ラジオに、彼女と茅代さんの対決コーナーを要望してみようとか考えながら、かなりレベルの高いスープカレーを口に含んだ。

アジテーター・鼓田ミナレ伝説の始まり

『波よ聞いてくれ』というラジオ漫画の第一話をラジオのリスナー視点で小噺にすると、まあこんな感じだろうか。

後にディレクターの麻藤が

「飲み屋での外録りと8スタでの喋り……合計26分10秒お前の声を流した計算になるが、この26分間お前一度も噛んでねえんだよ」

とその凄さを語る時、後にこの収録が「伝説」と呼ばれることになる未来まで見えてくる。
この後も収録を重ねるごとに、鼓田ミナレは抜群の頭の回転と高いテンションで構成作家・久連木の台本=全編に渡る虫食いをアドリブで埋める試練を乗り越え、まるで放送事故のような番組を次々と制作していくことになる。

一方、制作の現場から離れてみれば、鼓田ミナレのだらしない人物像が見えてくる。
酒に酔って不法侵入で警察沙汰、大量のマトンを放置・腐敗させ死体遺棄騒ぎを起こして警察沙汰。カレー屋の仕事は常にクビ寸前で、ついには戻る家さえ失いAD南波の家に居候する。私生活を共にするのは非常に面倒臭そうだ。AD南波の器の大きさよ……。

だらしないという言い方が悪ければ、「破天荒」という言葉に置き換えてみてもいいだろう。
高級住宅街をディスり、茅代まどかの説教に「幣舞橋の銅像」呼ばわりで対抗し、全てのお悩みメールを琴欧洲のブログで解決しようとする。そしてその毒舌は半端なく鋭い。
(下の画像は4巻172ページより。「60過ぎて頭の中がバブルで止まっている母に向けて「長生きしてね」というメッセージをください」と頼まれて)。

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その破壊的な私生活も、当意即妙だが強烈な言動も、はたから見ればいちいち一級品のネタである鼓田ミナレ。もしそれを芸にして、電波に乗せてみたら、どうなるのか……ラジオという媒体に夢を見る業界人にとって、そんな素材を見つけることは、どれほどの喜びであろう。

ディレクター麻藤は言った、「俺は思いきり遊んでみてえんだよ お前の声を玩具にして」と。

因みに現実世界のFM放送を思い出してみると、もう私にとっては十数年前の思い出になるが、やまだひさし(TOKYO FM「ラジアンリミテッド」)やピストン西沢(J-WAVE「GROOVE LINE」)といった、強烈でギリギリなトークをするDJがいた(2019年においても健在)。やまだひさしは深夜の時間帯に下ネタを次々繰り出し、ピストン西沢は夕方から夜にかけて業界的に危うい感じの毒舌でアシスタントの秀島史香を困らせるスタイルで、世間の賛否はともかく私は大好きだった。
連日の終電との戦いにぼんやりした頭で曖昧ながらもはっきり記憶しているのは、これらの放送には「ギリギリを攻めている」という際どさと、「ズケズケとものを言う」小気味よさがあった。そしてそれが、とても心地よかったのだ。
彼らはアジテーターだった。常識を笑い飛ばし、つまらないしがらみなんか、大したもんじゃないんだぜ、と暴いて見せた。腐りながら仕事をしていた私という社畜の精神に「自分も常識の一歩先へ踏み出して、殻を破って先へ進めるのではないか」という微かな期待と、高揚感をもたらしてくれたのだ。
閉塞する環境を蹴破るような、強烈な一撃を、かつての私=冒頭の小噺のような社畜のリスナー達が求めている。

そして鼓田ミナレは公共の電波で「ババア」と罵り芸を発揮する時、すでにそこに踏み出している。
マシンガンのように気持ちいい、目が回るほど毒のある、アジテーターとしてのDJスタイルへ。
毒蝮三太夫や綾小路きみまろをアップデートするスタイルへ。
本人がいかに「ぬくぬく温かいタオル生地のような」放送を志向しようと、周りはすでにその気だ。
(下の画像は4巻67ページより)

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ディレクター麻藤は盛んに鼓田ミナレを煽る。
「ミナレェ、獲ろうぜ世界をよぉ」
AD南波は先を見据え、進もうとしている。自身がディレクターとなり、DJに鼓田ミナレを、構成作家に憧れの存在の久連木を起用する理想の番組を目指して。
鼓田ミナレのエネルギーに惹かれ、それを使った自分の番組を作ると決めた彼女は、カルト宗教団体の番組制作からでも貪欲に学ぼうとする逞しさを得た。

そして無数のかつての私=深夜の社畜リスナー達はこれからも、終わらない仕事にため息をつきながら、待ち続ける。
番組冒頭、鼓田ミナレがやけっぱちに叫ぶ

「みなさん ちくしょう こんにちは」

の先に続く、とびきりイカれた言葉達を。


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