僕、コックになる
コロナコロナで騒がしい日々。こんな夜は子供の頃の思い出を書くのも悪くないよね。無性にそんな気がして書き始めた。
コックになろう、そう思ったのは小学校5年生の頃だったのだろう、 将来の夢。そのテーマで学校で作文を書いた、今でも実家にあるはずだ。
おだてられて調子に乗ってただけかもだけど、思えば料理を作ること、誰かに食べてもらうこと、が好きな子供だった。
両親の離婚により母親の実家で暮らしていた。
おばあちゃん、母の弟さん、嫁、その娘、母、姉、僕。7人の家族。
休日のおやつの時間、 ある日は、僕作る!と言って、即席の袋ラーメンにキャベツと卵を入れた。 またある日は、ココア入れるよ!と言ってみんなの分を台所で作った。
「しんちゃんの作ってくれるものはおいしいね。」
その言葉がうれしかった。それが、おだてられてるんだとしてもね。 そのころ母は、お前は料理人になったらいい、と言うようになった。
それが多分小学校5年生くらいだったと記憶している。
高校に入ると真っ先に料理ができるバイトを探した。 駅前のまんぷく亭という弁当屋だ。でかい桶でニンニク生姜調味料を合わせる唐揚げはピカイチにうまかった!取っ手が上向きの鍋で初めて作る親子丼も、生姜たっぷりの揚げ出し茄子も。
かなり真面目に働いたんだけど一向に時給が上がらず辞めてしまったな。 その後は、やはり駅前にある喫茶店、パーラー杉に鞍替え。卒業までお世話になった。
次長が捏ねるホットケーキが絶品なんだ。真っ黒の分厚い専用の鉄板、油の浸み込んだ軍手をはめて、専用のセルクルに油をなじませ、生地を流す。ほどよくひっくり返して焼き上がりを待つ、しっかり厚みのあるホットケーキが焼きあがる、外はサクッと中はしっとりホカホカ、香りがたまらない。これで確か当時コーヒーとセットで500円だったはず。破格。
ネルで一度に大量に入れるコーヒー、サンドイッチのパンのスライサー、中華鍋で作るピラフ、ミートソースとじゃがいもと茄子のグラタン、などなどなど…初めて見るもの触るもの、思い出は尽きない喫茶店。高校生のバイトだけど一線で働かせてもらった。
当時5店舗くらいあったのかな、人が足らない店舗に助っ人に行くほど頼りにもされて、やりがいあってありがたかった。恋もした、青春の喫茶店。
その後調理師学校に行き、とあるクラシックホテルに入社するわけだが、それはまた今度。
現在自分には小学校6年生の息子がいる
周りのみんなからよく、せがれはあとを継がないの?とか、料理人になるんだろ?とか言われてるけど
答えはNO。
もっとまっとうな仕事があるでしょ~なんて言っときながら…本心は
気持ちがなきゃ無理なんだよ、、と。
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