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「母親」という役割が嫌だった

小さい頃から「女性の、母親という役割は損だ」と思って生きてきたんだなあ…と、心に浮かんだのは突然だった。その前に何を考えていたのかすら思い出せず、自分が一番驚いた。ただこのフレーズが、浮かんだ直後に文字通り、腑に落ちてゆくのは感じた。高校を卒業して地元を離れたこと、就職して仕事に打ち込んだこと、結婚や出産に対する憧れや願望のなさ。これまでわたしが選んできたことが、すべてこの一言で説明できる気すらした。

誰かに話したり、こうして文章に書いたりしたことはない。そもそも、個人的な感情や思考を誰かに向けて話したり書いたりすることを、わたしはどこかで避けてきた。知人や友人でも知らない誰かでも、内面を覗かれて「こんなこと考えるやつなのか」と思われるのが怖かった。それでも、このことは書いてみたくなっている。

「母親という役割を、損だと思って生きてきた」ことに気づいてから、幼い頃のことをたびたび思い出すようになった。言葉として少し浮かび上がっただけで、記憶の引き出しの隅にあった些細な記憶まで芋づる式に蘇る。掘り返された記憶のひとつひとつを拾い上げていると、小さい頃に損と感じた現場の様子も、そのきっかけも思い出した。正直まだ戸惑っているけれど、今なら言葉にできるかもしれない、書くことができるかもしれないという思いもある。

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