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#181回 ミャンマーを覚える祈り会振り返り

今日は、福岡・ミャンマー友だちのの会の松本さえさんからのお話でした。
クーデター前は、ミャンマーで衛生活動をしてこられた夫と共に、ミャンマーに滞在されていました。
 クーデターの後は、ミャンマーに入国することができません。
 今日は、メーソートでの様子を話します。メーソートは、タイにある、ミャンマー人の集住地区です。タナカを塗って、ミャンマー語で話す人々がいっぱいです。

タイ側の入国管理局、国境に川が流れています。向こうがミャンマーです。カレンのミャワディが向こうに見えます。入国管理局のすぐそばに流れる川は、幅が10メートルぐらい。声も聞こえるぐらいです。
川の向こう側では、戦闘があって逃げてきたIDPが仮住まいをしています。子どもたちは、タイ側に学校がありそこへ通ってきています。
タイは難民を正式には受け入れていません。時々、非正規労働者であるミャンマーからの避難者を取り締まり、賄賂をもらっています。
メーソートをタイのATMと呼ぶ人もあります。ひどい話です。

タイには、このミャンマーからの難民の子どもたちが学校があります。学校というよりも、学習センターです。現在は1万4000人ぐらい生徒がいます。それは徴兵命令が出る前ですので、今はもっと多いでしょう。2月に行ったラーニングセンターでは、400人ぐらいの生徒がいました。6月に新学期が始まりますが、人が増えるので、移転すると言われていました。
メーソートから南へ移動したところには2月には100人ぐらいの生徒がいました。
教会が運営する学校もあります。120人ぐらいの生徒がいる学校へはアトゥトゥ福岡からの寄付が届けられています。
ラーニングセンターでは、ノングレイドになっていて、年齢の高い子が混じっています。ミャンマーでは学習機会がなかった子が混じって学んでいます。今はGED(高卒証明テスト)に挑戦する人がいます。これを受ければ、国外の大学への進学の道が開かれるので、皆頑張っています。

衛生指導をするときは歌を歌ったりして、楽しく過ごします。でも、目が合わない、歌わない、そういう反応をする子どももいます。子どものケアが必要です。命からがら逃げてきた人にもたくさん出会いました。公務員や、教員、芸術家、今では、慣れない農業をやったりタクシードライバーをしたりしています。この人たちがもっと大変な人たちを助けています。

以上のような報告を受け、祈りの時を持ちました。

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