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『竜とそばかすの姫』を観た感想と細田守監督について思う事


『竜とそばかすの姫』を観てきました。

正直、前作の『未来のミライ』で細田守監督の作品は自分の中で完全に見限っていたのですが、それでもまだ公開日に劇場へ足を運ぶだけの儚い期待はしていたのです。

しかし本作を観て、完全に自分の中での細田守監督への評価が決まってしまいました。細田監督の一つの到達点、限界を本作で見た気がしました。

今後、脚本を細田守監督が手掛ける限り、私は劇場にわざわざ足を運ぶことはないでしょう。

(2021/09/05追記:「やりたいことは分かるが感情が全く着いてこない作品」だなと、ふと思いました。それに、思い返してみるとそこまで悪い作品でもなかった気がしてきました。)



『竜とそばかすの姫』を観た感想


「うーん、何これ?」というのが率直な感想です。

けれども最後まで観れるという点で、前作の『未来のミライ』よりかは全然マシだと思いました。


全体的にあまり良い評価ではないので、良かった点だけを先に述べておくのですが、私は以下の3点を挙げます。

①デザイン、特にベル(Belle)周りのものが良かった

②背景部のCG、特に光の表現(テクスチャ)が良かった

③2時間で収めることを優先した


①について、特に「ベル(Belle)」のキャラクターデザインが素晴らしかったです。

調べてみると、『アナと雪の女王』のキャラクターデザインを手がけたジン・キム(Jin Kim)という方が担当したようなのですが、そのような人を引っ張ってきた(これた)というのは成功であったと思います。

本作が『美女と野獣』をモチーフとしているということもあって、確かにベルが出るシーンというのはどことなくディズニー感がありました。

(※意図してそういう演技もさせている。手の動きとか表情とか。)


そういう「お姫様」感は、ベルが本作のヒロインであり、世界中からの注目を集める歌姫であるという設定に説得力を与えるものでした。

ベルは特別感がないといけないのです。従って、設計も手を掛ける必要があります。

それで、ベルが纏う衣装・色彩なども、僅かなシーンしか出ないものでもかなりキチンと用意されていた印象です。

歌う音楽も良かったですよね。特にオープニングは良かったです。


あと、個人的な感性として純粋にベルのデザインを「可愛いな」と思ったということがあります。

ということは、あまり世間一般ではウケが良くないのでしょう(笑)

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ちょっとやり過ぎ気味なぐらい長い手足と首、そしてバサッとしたまつ毛に太い眉、厚い唇というのは私が好きなデザインでした。鼻を丸くデフォルメしていたのも良かったですね。

それで、サムネにもあるように描いてみたくなったのです。


また、サブキャラの「ルカ」のデザインも、個人的にはおーっと思いました。

前髪の梳き感と髪の巻き方でこういう印象になるんだと、華奢で長い手足も相まって、現実世界で目立つ感じでしたね。

細田監督作品は全てシンプルなキャラクターデザインなのですが、限界があると思いきやそういう部分があるんだと感動した次第でありました。


次に②について、背景の表現、特に光の表現が良かったです。

CGのライティングとレタッチの工程に当たる部分でしょうか、それとも加工なんですか?CGじゃない?詳しくないのでよく分かりませんが、ともかく光の表現に私は感動しました。

水の表現や床の反射、物の透け感。今の時代、予算がそれなりにあればここまで出来るの?とビックリしました。そのためか、CGスタッフも相当な数の名前が並んでいました。やっぱり時代はCGなんですねぇ。

ただ贅沢をいえば、ヒロインかつ人型のベルはアバターという設定があっても手描きにして欲しかったです。しかし、予算や手間を考えたら無理なんでしょうね。

それに、実際やってみると完成された背景に馴染まないかもしれません。


また、③について、2時間で完結させようとしたのは良かったです。

やはり、映画というのは2時間を超えだすとどうしても長く感じるものです。「ファスト映画」や切り抜き動画なんてものが流行る時代ですから、その傾向は尚更でしょう。

ただ、そのおかげで本作の話はダイジェストのように駆け足になってしまっているのは否めません。しかし、あと30分長かったからといってまとまっていた訳でもないでしょうから、この時間設定で良かったと思います。

2時間を超えていれば、恐らく鑑賞が苦痛になっていたことでしょう。



『竜とそばかすの姫』作品分析(ネタバレあり)


少しだけ作品の分析的なことも書いておきます。

これは作品を観ていることを前提で書いていきます。

従って、ネタバレを含みます。


ズバリ、本作における「シナリオのチグハグ感」の原因は何だったのかということです。

これは本作を観た多くの人が思ったことだと考えるのですが、「話の展開が唐突過ぎる」という印象を抱くのは何故だろうということです。


「何これ?」・「誰これ?」・「は?」・「一体何が起きてるの?」…………おそらく、私を含めて多くの観客が竜の正体に迫っていく辺りで思った事ではないでしょうか。

しかし私が考えるに、細田監督の立場、作者側に立った時には本作のプロットというのは一応キチンと筋が通っているものだと思うのです。

この齟齬こそが「チグハグ感」の原因だと指摘しておきます。


結論から言うと、本作の大きな問題点は2つあったと思います。

①「名前も正体も明かされていないキャラ」を主軸(竜の正体)にしたこと

②細田監督がシーン先行で話を進めたこと、『美女と野獣』ありきの展開


①について、「名前も正体も明かされていないキャラ」=「全く知らない人」を主軸(竜の正体)にしたこと、これがシナリオ面で一番大きな問題であったと思います。

というのは、観客側からしてみると「名前も正体も明かされていないキャラ」はその名の通り、全く作り手から情報を与えられていないキャラなのです。

それにも関わらず、ようやく新しい情報を与えられながら「これが竜の正体です!痣の秘密です!」と言われても「は?」なのです。

忍はミスリードにすらなっていません。


これは変な推理要素が要らなかったと言えます。

あそこ辺りから明らかに「ん?」みたいな空気が漂っています。


ノックスの十戒という推理小説の大まかな作法のようなものがありますが、見事にそれを本作は破っています。本作の展開は、殺人犯が推理の途中でいきなり登場するようなものでした。

それでは当然エンタメ作品として成り立ちません。推理要素は完全に死んでしまいました。

あの段階で観客が望んでいたことは、「はい、竜の正体は忍でした」というベタな展開だったでしょう。

まあ、「ルカでした・父でした」という大穴でもいいですが。


しかし、細田監督からしてみると、これは一応筋が通った展開なのです。

それは

・「知らない人」を助けて母が死んだことで現実で歌えなくなった鈴が
・「U」という仮想世界で歌姫となり、
・そこで出会った「知らない人」を母と同じように身を危険に晒して、歌を歌うことで救い、過去を乗り越えて現実世界を変える

というのが一つの全体的な構成だったからです。

ですから、この流れを忠実に再現するためには「竜」は観客すら知らない人である必要があった訳です。


そして、「誰もが秘密(知らない部分)を持っている」のがこの作品の前提、すなわち細田監督の思想ですから、作り手的には観客に教えていないことがあってもオカシイことではないのです。

ちなみに、この「秘密」というのは『おおかみこども』の小説でも使われていたワードです。細田監督は「秘密」が好きなようです。

しかし、そういう情報の隠ぺいによって現実に起こっているのは観客とのコミュニケーション不全であって、それは脚本のプロが居れば犯さなかったライン、もう少し慎重になる部分だろうと思うのです。


また②の通り、細田監督がシーン先行でシナリオを進めたというのもチグハグ感を強めた要因の一つだと思います。

この作品の最初のアイデアとして『美女と野獣』があったと思うのですが、それに引っ張られ過ぎてしまったと評価出来ます。

恐らく、細田監督は『美女と野獣』をテーマにすると決めた瞬間に、ダンスシーンやキスシーンなどは動かせないものとしてしまったのではないでしょうか。


それ故に、カットでもしたのかと思うぐらいシーンの繋ぎ目や展開が不自然になっています。

これは「竜の正体」という推理要素と『美女と野獣』からの恋愛要素が微妙に噛み合わないものになっていることが根本にあると思いました。


以上を踏まえると、本作は『美女と野獣』をオマージュするよりも、『シンデレラ』をオマージュした大筋にした方が良かったのではないかと私は思うのですが、どうでしょう?

ビジュアル面は『美女と野獣』であっても、ガラスの靴が誰にハマるのか、ということを考えた方が「Who are you?」という推理要素と恋愛物語には自然だったのではないかなと思った次第です。



細田守監督について思う事


細田守監督というのは、個人的にとても好きなアニメ監督でした。

それは細田監督の『おおかみこどもの雨と雪』が私の心に染みた作品だったという理由です。


『おおかみこども』は今までに5~6回程観るぐらいには指折りで好きな映画でした。

この作品について世間一般では結構評価が割れている印象ですが、私は細田作品の中では一番作家性が表現されている作品であり、良い映画だと思っています。

また、私が大学受験勉強で忙しかった時に劇場で観た唯一の作品であるという個人的事情も相まって、私にとっては数ある映画の中でも特別な作品であったことには間違いないのです。


それで私は、『バケモノの子』公開前に発売された特別なブルーレイボックスを買うまでに細田守監督作品が好きでした。

この監督は、きっとこれから良い作品を生み出していくのだろうと。楽しみだなと。


しかし、大層期待していた『バケモノの子』で「あれ?」と思い、その次の『未来のミライ』で完全にトドメを刺されました。

言い方は悪いですが、「この程度の監督なのか」と。細田監督に失望してしまったのです。

期待していた分、好きだった分、その反動も大きかったところはあります。


おかげで、お気に入りだった『おおかみこどもの雨と雪』までつまらないものに思えてきました。

それで、ブルーレイボックスや絵コンテ集は何の心残りも無く手放しました。

ついでに、あのような作品を世に出しても細田監督の擁護を続けるライムスター宇多丸まで嫌いになってしまいました。


『未来のミライ』はそれほどまでに残念な作品?いや、個人的なホームビデオでした。

劇場で映画を観ていて「もう勘弁してくれ」なんて思ったことは、あれが初めての経験でした。


そうした経緯があった中で本作『竜とそばかすの姫』を観て、私の中での細田守評は決まってしまいました。

細田監督は、少なくとも脚本は自分で手掛けない方が良いと思います。

残念ながら「演出の人」という域を遂に超えることが出来なかったのだと、そう短い言葉で言える気がします。


本作を観て気付いたのは、細田監督はシーンから全てを作る人なんだということです。

それで、演出家として綺麗なシーンを作ることができるのですが、脚本はどうしても取っ散らかってしまうなのだろうと腑に落ちました。

しかも、そのシーンは大体別の作品から引っ張り出してきたもので、そのストックはもう尽き欠けている気がします。


多くの評論家や業界人も言うように確かに映画などはよく見ていて、それをスッと引っ張ってくる独自の能力があるのですが、それ故にワンシーンやモチーフに気を取られて、一人では作品が纏まらないのです。

そして、その断片的なものを無理矢理まとめ込む作家性というか、ギトギトしたものもない。

だからこそ爽やかな演出・味付けは出来るけれども、それは作品として塊にまとまらない。

多分、根底にある「闇」みたいなものも弱いのだと思います。


ただ、それ以上に致命的だと私が思うのは、その弱い「闇」すらも見せようとしないことです。

自分を見せることを選ばない。これは表現者としては致命的です。

ただ唯一、自分の好きな(ケモ)ショタが割と自由・自然に描けた『おおかみこども』だけはその片鱗があったので皆期待してしまったのでしょう。


それに、細田監督は子供が生まれて『ミライ』などを作ってしまうような人ですから、その世間体への意識はより強くなっていることでしょう。

大抵の人間は結婚したり子供が生まれると、世間体を気にしだしてつまらなくなるのが常なのです。


ですので、細田監督はどこかで根本的に自分と向き合って「闇」との付き合い方を考えなければ、アニメ監督としてはもう駄目でしょう。

子供が憎たらしく成長すれば、その可能性があるかなというぐらいです。

そういう限界を『竜とそばかすの姫』では感じざるを得ませんでした。


細田監督については一度原点に戻って、『バケモノの子』以前のように少なくとも脚本は他の人間に渡してみた方がいいと思いました。

そして、他の人間と自分の作家性の折り合いをつけていく作業をもう一度すべきだと思います。まあ、こういうことはそれこそネットでも散々言われていることなのでしょうが。

思えば、そういうバランスが『おおかみこども』では上手くいっていたのですね。


シーンを作る能力があるのは間違いないのです。脚本が崩れているのがその証拠なのです。


ともかく、私個人としてはもう劇場に細田守脚本の作品を観に行くことはないでしょう。

まあ、気になる人は劇場へ。

そうでない人は何年か後の金曜ロードショウで観れば良いかと思います。多分、あと1回はテレビ局もプッシュしてくれるはずですから。





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