心の動きを信じて。
7月7日の黒ポン
遅れましたがちゃんと投稿します。
先日、知人が主催の「写真哲学カフェ~写真の話をしようの会~」に参加してきた。参加者はほぼ広島大学の在学生か卒業生で、大人の方も少し。
趣味で写真を撮っている人、仕事として撮っている人、カメラについて詳しくないのでもっと知りたい人など層は様々。
その会の中で主催者から投げられた質問が印象的であった。
撮りたい写真の良さをわかってくれる人が見つからないというものだった。
趣味は好きだからこそ、お金にならなくても、むしろお金をかけてでもするもの。でも、誰にも認められなかったら、良さをわかってくれる人がいなかったら、それでも続けられるだろうか。
「好き」の気持ちに理由なんていらない。
他に同じものを好きになる人がいなくても気にする必要はない。
それでも、自分以外の誰も共感してくれないことに孤独を感じてしまうのではないだろうか。
「好き」や「楽しい」という気持ちは人と共有して感じるところが多いのではないかと思う。はじめは1人で楽しいと感じていたことも「誰かにわかってほしい」という思いを持ち始めるとわかってもらえない悲しさとの板挟みになる。
この問いに対する私の答えはこう。
自分が「楽しい」と、「好き」と思うならば必ずどこかに共感してくれる人がいる。あるいははじめはわかってもらえなくても少しずつ魅力が伝わっていくと信じている。
人によって好みは様々。だからこそどこかには必ず魅力が伝わる人がいると思う。私自身は誰かと共有できた方がもっと楽しいし、知ってほしくなるのでどんどんと発信して広めていくタイプ。
表現の方法が何であれ、外に出さないと誰も気づけない。
良さが伝わることを、認められることを信じていれば趣味として続けられると思う。
それに、趣味は魅力を感じるから続けられるもので、自分自身が魅力を感じなくなったのであればやめればいい。気が向いたときに始めればいい。それだけのことだと思う。
これは仕事として写真を撮っている学生に「お金をもらって写真を撮ることはどういう感覚か」と聞いた時に出てきた言葉。
お金をもらっている以上、結果を出さなくてはいけない。
ビジネスというのは再現性が求められる。
この再現性というものが仕事と趣味を分ける言葉であると思う。
趣味に再現性はいらない。同じ成果が出なくとも誰にも怒られることはない。だから好きなようにできて楽しめるという部分がある。
一方、仕事は成果を確実に出すことができないと対価を得られなくなってしまう。
この差は私自身、"魅力発掘家"として悩んでいる部分でもある。
私の目指すものは「ワクワクする新しいものが生まれてくること」。
そのために人と人を繋げたいし、自分もアイデアをできるようになりたいと思っている。ただこれは目に見えない部分が多い。
再現性を確かめる前に指標にできるものがないに等しいと言える。
それでも目に見えない部分に誰も手を出していない可能性があると信じているので目に見える形へと出力する方法を探っている。
このnoteもその方法の1つであるので応援してくださると嬉しいです。
今日の黒ポンは3つでした。
【魅力発掘家】として、様々な"魅力"を発掘中です。 コトバにすることで発掘したものに磨きをかけ、記事を通してより広く届けることでさらなる魅力へとつながってほしいなと思っています。