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アトピー治療を志したきっかけ

こんにちは。

アトピーのために自信を無くしていた肌悩みを
キレイになる為に活かす武器に変える
アトピー改善ナビゲーターの阿部です。


「アトピー治療を志したきっかけ」

本日は、私がアトピー治療をする意味
自分でよくできるように広めている理由
お伝えしていきます。

自己紹介


話は私の家族が大きく関係しております。

私の弟は生まれてからアトピー
布団やパジャマが血だらけで
耳切れになるくらい苦しんでいました。

そばを食べて痒くなれば
家族でそば禁止令が出て

食べるものから変えようと
畑を借りて無農薬の野菜を作りました

親は弟の肌を良くするために
とにかく調べては衣類や食まで変え
サプリメントなども飲ませていました

そんな努力の甲斐あって
弟の肌はみるみるよくなりました

私はアトピーは良くなるものだと
弟のアトピーが改善する様を通して
知ることとなりました


変えられなかった「宿命」


しかし、その一方で想いも届かなかった悲しい記憶もあります

当時の私は小学校五年生
工務店に勤めていた父親
朝早く夜も遅い生活でした

起きている時間に
顔を合わせることが少なかった幼い私は
父親をみて「誰このおじさん?」と言ったそうです

それを聞いた親はショックを受けて
なるべく早く帰るようになったと聞いてます

それ以降、親子工作教室で本棚を一緒に作ったり
夏休みの自由研究を一緒に考えてくれたりと
楽しい記憶があります

そんなモノづくりの楽しさは
両親から教えてもらった
宝物だと感じております

私の親は昼夜問わず働いていたのもあり
よく胃腸を壊していました

そんな無理もたたり
父親の体は気づいた頃には
胃腸に癌ができるまでになっていました。

【余命宣告】

母はそんな辛い言葉にもめげず
わらをもすがる想いで
体を良くしよう懸命に行動してました


そんな想いも届かず父は息を引き取りました

そして十数年後、私は治療家となりました

過去の歴史や治療法を調べ
もしかしたら、よくなったかもしれない
そう感じさせる治療法やサプリメントの存在に行き着きました

涙が出ました

調べれば調べるほど
視界がぼやけて、込み上げてくる想いを
抑えるのに必死でした

なぜ、届かなかったのか
無知な自分を悔やみました

【宿命】

それは、自分では選択する余地もなく
受け入れざる負えないこと

弟のアトピーの軌跡
父親の他界

この経験は、これから先の私の生き方に
意味づけがあると「縁」を感じます

この「縁」を形あるものにしなくてはと思い

今度は悔やまないように
自分で生き方を変えようと心に決めました

必要としている人へ
必要な情報や手段が
必要な時に届く

その架け橋になることが
私が治療家としての存在意義です

「選択肢に迷い、苦しむ想いをしてほしくない」

「自分の人生を謳歌していただきたい」

アトピーは正しい知識と手段を持つことで
改善できるものです

限られた時間の中で
その想いを実現できるようにするのが
私の想いです。


さて、いかがでしたでしょうか?

次回はアトピーの現状のシリーズで
「脱・依存治療で良くなる素肌」についてお伝えさせていただきます。
よろしくお願いいたします。


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