「絶望」は人生のターニングポイント
小4の時に大阪に引っ越してきたとき、今まで当たったことのない壁にぶち当たった。
まず方言のこと。
転校先の小学校で男子たちに方言をいじられた。本人たちは冗談半分で言っているのだが、ノリとかギャグとかそんなもの一切知らないし、半分いじめ状態で、我慢できず学校で大号泣した。
担任の先生がいじった男子にぶちギレる自体にまで発展した。笑
今思えば「ギャグくらいかわせよ〜、自分。」と思うのだが、そのときは慣れるまで本当に苦労して、学校に行くのが嫌だった。
あと人間関係。
小4という男女の境ができるタイミングに引っ越したせいか、それとも大阪人ならではなのか、とにかく周りと(特に男子とは)上手くやっていけなかった。
水泳をやっていたのだが、同い年の子たちにはみご(仲間はずれ)にされた。しかも今までいい感じで伸びていたタイムもいきなり伸びなくなった。
おまけに学校ではいじめられる。
他に居場所がなかったから、そのときは本当に人生どん底に突き落とされた気分だった。
そんなこんなで頑張って、なんとか上手くやっていけるようになって今に至る。(だいぶ飛ばした笑)
決断をした
3年前に10年間選手として続けた水泳を辞め、2年前に入学して3ヶ月の高校を辞めた。
今思えば辞めるという決断に至ったのも、あの頃の絶望が根にあったからだと思う。
でもここで言いたいのは「絶望したから悪い悪い方向に進んだ」ということじゃない。
自分がした決断もグレたからしたとかそういうものでもない。
絶望があったからこそ本気で悩んだ。
本気で今の状況を自分の中で腑に落とそうと、どうにかできないかと悩んだ。
あの頃に本気で悩んでいたからこそ、今こうやって決断することができたんだと思う。
最近いろんな大人の話を聞いているが、何か(例えば大学や周りの環境など)に絶望して人生変わったという人が多い。
それくらい絶望にはパワーがあるのだと思う。
確かに絶望の渦中にいるときは、めちゃめちゃ苦しい。
「絶望は人生のターニングポイント」なんて言うけど、そうやって捉えられはしても、本気でそんなことは思えない。
でもそれでいいのだと思う。それくらい追い詰められるからこそ、人は考えて足掻いて答えを見つけようと動き出すし、決断する。
だから後々見れば、何かが変わっているのだと思う。
絶望は人生のターニングポイントになり得る。
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