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不妊治療と父の日を越えて

ウチの子が7歳なのだが、最近毎日夕飯の食卓で、僕にすっごい吠えてくる。
「ご飯食べてる場合じゃない!遊べ」と、言っている様。相変わらず自己主張の強い犬だ。

しかし先日出かけた際に、ペロペロペロっと3回舌を出して水を飲みたい仕草をした。成長というとおこがましいかもしれないが、僕に理解出来るアクションで彼が教えてくれるようになった。
一回だけなので、僕の思い込みかもしれないけれど。


話は変わるが、最近立て続けに友人に子供が産まれた。
ウチも一時期不妊治療を進めていたが、医者と折り合いがあわず、もう続けていない。また、正直不妊治療には夫婦揃ってそれほど真剣に向き合っていなかった。
親になった友人を見ていると、自分たち夫婦が実に子供っぽく感じる。子供っぽいから子供が来てくれないのか、でも子供が出来たから親になるんじゃないのか、なんてニワトリが先か卵が先か、みたいな会話は夫婦でよくしている。

でも僕は自分の子を持つことには強いこだわりがあったみたいで、むしろいないのがずっと不自然に感じていたが、不妊症自体は珍しくないらしい。
だから僕の気持ちの問題なんです。

そんな僕に気遣ってか天然なのか分からないが、妻は「子供産むのって大変じゃん。突然現れてくれないかな、17歳くらいの子供」とおちゃらけて言ってくれるのでとても救われる。…17歳くらいのところはよく分からないのだが。
色々と考えて、養子を迎えるとか、自分に子供居なくても子供好きだし、社会的な子育ての一助になるとか、或いは子育てに係る時間を作曲などに費やして、それこそ子供よりも先の代まで継がれるような作品を残すよう目指すとか。

今のクオリティではいつの話になるやら。

いずれにせよしっかり方向性を決めて動かないと、自分の子の可能性にはタイムリミットもあるので、どれもこれも中途半端で進んで身が入らない。
僕の一番の夢は、暖かい家庭を築くことだった。
でもそれは多分、そうじゃなかった自分の幼少期へのアンチテーゼであって、庭で駆け回る子供のイメージが、とぼとぼと歩く犬2匹に変わっていても、妻と過ごす時間に実際、充分過ぎるほど幸福を実感していて、少しずつマージされつつあることに気づいた。

だからこのフラストレーションは子供が出来ないことからではなく、いち社会人としての社会貢献度や、自分自身のキャリアの方向性の課題について向き合うタイミングだからかもしれない。

あと、
母が亡くなって2年以上が経って、死んでまで恨み続けることって人は出来ないみたいで、漸く確執から逃れられようとしているから意識が変化したのかもしれない。
だからもう人間の僕が人の親になる気持ちを、僕の人生で体験できなかったとしても、それはそれで構わない。たぶん親になったとしても、母個人の気持ちは理解出来ないだろうし、分かりたくもない(まだ引きずってんじゃん?)

まあでも、勝手に他人の子供の誕生を喜び、犬の成長を毎日実感することで(世の中のお父さんお母さん、子供と犬と一緒にしてごめんなさい🙏)ある程度の想像は出来たし、感動も出来た。
だからどっちに転んでもどう生きようとも、妻と一緒ならずっと楽しんでいられるような気がしてる。

「母のため」から「妻と共に」ライフシフトしたっていう話です。長文お疲れ様でした。

とりあえず父に、酒の肴になるモノでも贈ろうか。

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