【マレー半島縦断記⑤】コーヨー島の奇跡
朝起きてベッドのカーテンを開けると、ちょうど同じタイミングで用意をしだしたLAおじと眼が合った。おはよう、と小さな声で挨拶をし、チェックアウトの準備を進める。
下階に降りて、聞きたいことがあるんだけど、と持ちかけたら、スタッフさんが親身になって色々教えてくれた。まずSIMカード。携帯会社の店員さんかのように、手際よくいろいろ見てくれて、どうやらプリペイドの分を使い切ってしまっていただけらしいことが判明した。たまたまタイに入ったあたりでなくなったので、勘違いしてしまっていたのだ。「SIMならセブンイレブンで簡単に買えるよ」と、朝ごはんを買って帰ってきたLAおじも助けてくれる。多分1週間で50バーツ(214円)くらいだと。そんなに安いのか。
そして、今日行くつもりのコーヨー島という場所への行き方も聞いてみた。Googleマップで調べたくらいでは、全く情報が出なかったのだ。最初は、タクシーで300バーツくらいじゃない?と投げやりに言われた。ちょっと高くないか?と思って、LAおじにも聞いてみたら、行ったことあるよ、とのこと。
「300バーツ!?冗談じゃない。他に行き方があるだろう?」とスタッフさんに声を向ける。
「まあ、あるっちゃあるんだけど…随分難しいでしょう?」と彼女が言葉を濁す。
そこからは、タイ語で議論を始めてしまったので、よく分からなかったけれど、結論はこう。特定のバスに乗ると、ちゃんと乗り換えられれば一回30バーツ×2回で行けるらしい。バスの見た目と、乗り換える場所を教えてもらった。ちゃんと聞いて良かった。タイフリークすぎてタイ語までできてしまうLAおじに感謝。それに、付近の朝ご飯屋の情報まで教えてくれた。「まあ行ってみれば分かるよ、冒険だね!」と笑顔で送り出してくれた。
旅の必勝法:おばちゃんを探せ
美味しいタイティーを飲みながら歩いて、時計台の麓のタクシー乗り場までやってきた。マーケットとタクシー乗り場が同じ場所にあって、多くの人で賑わっている。言われた通り、赤いタクシーを探して声をかける。写真付きリストを見せられるが、この中に僕の行きたい場所はなかった。値段を知るために試しに選んでみると、900バーツとのこと。いやいや、高すぎて話にならない。しかも、ツアーのようにここまで帰ってくる前提らしい。多分、観光客向けにパッケージとして売り出しているのだろうが、僕には必要ない。ちょっと検討しますと言いながら去ったら、素直に離してくれた。
今度は、道端に停まっているミニバスの中で待機していた女の子二人組に、どこにいくんですか?と声をかけてみる。利益を求める運転手より、利用者に聞いたほうが適当な情報が得られそうだと思ったのだ。答えが聞き取れないので、僕はここに行きたいんだけど、と聞くも、私たちはそこじゃない、という反応。あっちにいる運転手に聞いたほうが良い、と言われてしまった。やっぱりそうですよね。
向かった先には、タバコをふかしながらダラダラしているおっさんたちがいる。あまり近寄りたくない。あと、ここで聞いても多分結果は同じだ。どうしたもんかと思案していると、先に話しかけた女の子のうちの一人が、わざわざミニバスを降りてきて話しかけてくれた。さっきまで屋根の下にいたので暗くてよく見えなかったけれど、日の光の下で見た彼女はちょっとびっくりするくらい美人だった。芸能人の誰か似ている、と喩えを出せた方が良いんだろうけど、思いつかない。
「コーヨー島に行きたいんですよね?ちょっと聞いてみます。」とマーケットにいるおばちゃんの元まで案内してくれて、タイ語で聞いてくれている様子。するとおばちゃんが「ついてきな」という感じで、また道端の違うミニバスに案内される。20秒ほどで手早く運転手と話をつけてくれた。どうやら30バーツ×2回=60バーツでいけるようだ。おお、宿での情報通りだ。LAおじはこれのことを言っていたのだ。旅先で味方につけるべきはおばちゃんだ、という教訓をここで学んだ。おばちゃんさえ味方にしてしまえば、あとはどうにでもなる。
念願のコーヨー島
窓ガラスの嵌っていないミニバスは風がとても気持ちよくて、ああ旅をしているなあという実感が湧いてとてもワクワクした。道中でも写真を撮りながら、1時間ちょっと揺られた。人を1時間以上乗せても、一人当たり30バーツしか稼げないのか。彼らの生活に、烏滸がましくも少し同情が湧いた。でも、50バーツを渡した時にそのままバイバーイと言ってきたので、しっかり20バーツのお釣りはいただいた。
道中何箇所かで、人を乗せたり降ろしたりしているところをみると、どうやら乗り合いバスの一種のようだ。みんな、降りる時に運転手にお金を渡していく。値段がどこにも書いていないのだけれど、固定料金なのだろうか?なるほど、このローカルな手段は、Googleマップ如きでは見つからないわけである。現地まで来ないと行き方が分からない場所まで来られたことに、少し嬉しくなる。
乗り換えも無事成功して、合計60バーツの消費に抑えて、コーヨー島に辿り着く。ジリジリとした日差しが、この日に限っては僕のテンションを底上げする。うおおおお!とひとりでに叫びながら、島を歩く。完全に変態だ。
なぜこんな場所に来たのか?というのを説明しようと思う。昨日、マレーシア端っこのパダン・ブサールに向かったのも、タイのハートヤイに泊まったのも、全てこの、コーヨー島に来たいがためだったのだ。
旅のひと月ほど前に、どこに行こうかなと、Googleマップを彷徨っていたら、どうしようもなく惹きつけられる土地があった。湖に浮かぶ島があり、島から沢山の垂直線が伸びて、またそこに家が浮かんでいる。ここに暮らすのはどんな人なのだろう、どんな生活をしているのだろう?と興味が湧いてきた。どんなに行くのが難しくても、どんなに田舎でも、必ずこの旅の日程に組み込むことに決めていたのだ。
そんな念願の場所だったので、島を西に渡って広い湖が見えたあたりで、本当に嬉しさが最高潮に達した。生きるってこういうことだよな。想像通りの、不思議な村が見えてくる。湖の中に木造の柱を建てて、平屋の家を浮かべている。トンレサップ湖と違って、浮いているわけではないので、水面の上下は少ないのだろう。空き家やレストランに入って行くと、緩い波がチャプチャプと柱に当たる音とともに、うっすら潮の薫りを感じる。屋根の下に椅子をおいて寛ぐおばあちゃんが手を振ってくれる。なんと気持ちの良さそうな光景だろう。
興奮もそのままに、よさげなカフェに入った。今朝飲んだタイティーの味が忘れられなくて、ここでも注文。台湾のミルクティーとはまた違った美味しさがある。1階の席が素敵すぎて、こんな場所であの飲み物を飲めることにとても幸せを感じたけれど、「2階の方が景色がいいですよ」と店員さん。確かに2階は素晴らい景色だった。真っ白な入道雲、水中に立つ浮家、向こうに見える水平線、天国はここにあった。
民俗学博物館のインターン生たち
コーヨー島での唯一の目的地、民俗学博物館に向かった。チケットを100バーツで買って入り口まで行くと、潑剌とした女の子二人が迎えてくれた。綺麗な英語による質問が、矢継ぎ早に飛んでくる。こんな田舎に、こんなに英語ができる人がいるんだと感動していたら、どうやらインターンとして働きに来ているらしい。二人ともマレーシア人で、タイ語こそあまりできないものの、方やインド系でタミル語(?)ができるみたいだし、方やイスラム教徒でマレー語ができる、うら若き優秀な女子大生だ。日本から人が来ることなんてないのだろう、すごく歓迎してもらった。
「私たちの無料ガイドもありますけど、どうしますか?それとも、お一人でゆっくりご覧になりたいですか?」とイスラマ少女。
この質問を聞いてふと、シンガポール初日のことがよぎって、「そうですね、一人でみようかな。」と答えてしまった。一人で来るくらいだから、一人でゆっくり見たいのかもしれない、ということまで想像力を働かせてくれたことに、すごく感動したのだ。だいたいの美術館では、ツアーあるよ、無料だよ、聞かなきゃ損だよ!という押し付けがましい感じがあるものだから。
展示を見てスケッチを始めたのだけれど、あまりにも、さっきのハイスピードな会話が楽しくて、彼女達と話したい、彼女らのことを知りたい、という気持ちが出てきて、一人で静かにスケッチしていることが少し寂しくなってしまったので、エントランスに戻ってもう一度お願いした。
「展示を見ていたら、やっぱり解説を聴きたくなりました。」という、少し遠回しな言い方をしたけれど、二人とも快く応じてくれた。もちろんよ!と、この仕事にとてもやり甲斐を感じていそうな顔に、こちらまで嬉しくなる。インド系の子がスネハ、イスラム系の子がアマという名前らしい。
彼女らの解説が本当に素晴らしかった。まるで、先に解説する場所をお互いに話し合ってでもいたかのように息のあった解説で、とても聴き心地が良かった。こちらで先史時代の解説をスネハがしたかと思うと、あちらでアマの、タイにおける剣の装飾モチーフと役割についての解説が始まる。とてもよく訓練された、素晴らしく教育が行き届いたいるインターンだ。と思ったけれど、多分、彼女たち自身がとても勉強家であるからこそなんだろうな、と思う。だって、僕がどんな質問をしても、大体サッと答えてくれたからだ。それも、ユーモアを交えてだ。また、分からなかったら、「実は私も知らないのよ」とか、「考えたことも無かったわ」と、これもすぐさま答えてくれる。僕一人のためにしては、あまりにも贅沢な時間だった。
その中でも、Noraという伝統芸能の展示がとても印象に残った。全身に金色の華やかな装飾をつけ、王冠を被り、長いつけ爪をつけ、尻尾までついている。孔雀を擬人化したような豪華絢爛さだ。「Noraは男性でもなければ、女性でもない、そしてまた鳥でもない、それらの中間の存在なのよ」とスネハが解説してくれる。僕は曖昧な存在に惹かれる節がある。
「今でもタイでその芸能を見られるの?」
「今でももちろん続いているわ。」
「是非見てみたいな。」
「相当難しいと思うわ。だって、私たちでさえまだ見たことがないのよ。一度美術館の演目としてやったことはあるのだけれど、地域に根付いたものでなく、あくまでショーとしてのものだったから。」
いつか絶対に見てみたい、その思いが何かを引き寄せてくれたのか、なんと、数時間後に目撃することとなった。
途中で、来たばかりだというインターンの男の子(この子はタイ人)が、どこからか噂を聞きつけたのか参戦し、幾つか解説を任されていた。やっぱりまだ拙くて、展示のルートや出口さえ分からなかったり、解説も辿々しかったけれど、彼がいてくれてとてもバランスが良くなった。「ほら、頑張んなさいよ!」とか、「タイ語はあんたしか読めないんだから」みたいな感じで、お姉さん二人が彼に機会を沢山与えていて、かつ要所ではしっかりフォローしてあげていた。「もう既に上司としての能力もあるのか…」と少し嫉妬してしまったくらいだ。この調子なら彼もすぐに、彼女達のようになるのだろう。理想の関係すぎて羨ましい。僕がもしここに彼らと共にインターンに来ていたら、と無かった世界線を想像した。
途中でメンバー構成が変わったりもしたが、20近くもある展示室をたっぷり2時間半くらいかけて解説してもらった。解説のことばかりを書いたけれど、他にも、建築空間、展示構成、展示品、そこから見える景色など、美術館体験にとって必要なものが全て高水準で、とてもとても、お勧めしたい。この美術館だけでも、ここまで来た価値があるくらいだ。
なんと解説終わりには、展示室により立体的に囲まれてできた、半屋外の開放感が素晴らしいカフェに案内してくれて、そこでアイスコーヒーをいただいた。ガイドのお礼にと、一杯奢ろうと思ったのだけれど、丁重に断られてしまった。しっかりしすぎだろう。
宿探しRPG
その後、彼女達のスタッフルームに入れてもらって、いろいろと話し込んだ。中国語ができる中華系の血が混じっているであろうタイ人、パリからインターンに来ている子などとも知り合い、しばらくそこで楽しく歓談していた。青春すぎる時間が流れた。
今夜はどこに泊まるの?という話になって、「実はまだ決まっていないんだよね、この島に泊まりたいとは思っているんだけれど…」と言ったら、 「ここにあるホテルはどれもホームステイというタイプで、家族や大人数向けに一棟貸しするものばかりだよ。多分一人で借りようと思ったら、すごく高いんじゃないかな…」と教えてもらった。さらに、16:00以降は公共交通機関が激減するらしく、今のうちに島から出て街に戻って、そこでホテルを探したほうが懸命じゃないかしら?というアドバイスをもらった。それに、ソンクラ(街の名前)にも歴史的な建物が沢山あるのよ!建築好きなら是非おススメしたいわ!みたいな感じで激推しされた。
頭では、彼らインターン生の言葉を理解できる。その方が賢明な判断だっただろう。しかし僕はどうしても、あの湖に浮かぶ家の中で寝泊まりしてみたかった。なので、いろいろ提案してもらってありがたいけれど、やっぱり島の中のホテルを探しに行こうと思う、と伝えたら、みんな口を揃えて「It’s up to you.」と応援してくれた。
とは言っても、実はいまだに、旅行予約サイトを利用する以外の方法で宿を取ったことがない。直接行って値段の交渉などができるだろうか。ましてや英語が通じない田舎の島である。歩いていて、目が合った人に声をかけていく。「今晩の宿を探していて…」と眠るジェスチャーをすると、みんな優しくて、必ず誰かを紹介してくれた。
「ちょっとお父さん誰か知らない?」→「あそこの看板まで歩いて聞いてみろ」→「僕らは宿泊客なんだ、オーナーはあそこにいるよ」→「今日は満室なのよ、隣のホテルはどうかしら?」→「オーナーを呼んでくるから待っててね」→「一晩900バーツだけど、部屋見る?」という具合に、あれよあれよと流されるまま宿に辿り着いた。ここに来るまで、一つも自分の意思が介在しておらず、前もって決められていたかのようだ。ロールプレイングゲームをプレイしている感覚に近い。
でもしかし、900バーツは、僕にとっては高額すぎる。しかも、湖に浮かぶ小屋でなく、陸に立つコテージだ。もう少し考えます、と言いながら離れたら、「900バーツはここらじゃ“安い”わよ」と嫌味のように言われた。流石にこの人に、もっと安いところはありますか?と聞くほどの厚かましさは持ち合わせていない。
さてまた振り出しに戻った。まあそう簡単に行くわけないか、ととぼとぼ歩いていると、何やら楽しげな音楽が聞こえてくる。大きな木の立つ空き地に、それを避けるように大きな仮設屋根がかけられていて、沢山のテーブルと椅子が置かれ、みんなでご飯を食べている。そしてその向こうには、何やら踊っている人が見える。地元のお祭りみたいな感じなのか、舞台に立つ人々のことを楽しそうに見守っていた。
地元の祭りに出会う
写真を撮りたかったけれど、勝手に撮ったら悪いと思って、遠くから首を伸ばしてしばらく見ていた。すると、一人のおばさんに手招きされていることに気づいた。その人に恐る恐る近づいていくと、配膳台の方を指さされる。タイ語で何か言って、顔はニコニコしている。これは、食べろという意味だろう。
そこからはあっという間だった。水も飲みなさい、こっちに座りなさい、この祭りいいでしょう、と、言葉が分からなくても、彼女たちの言いたいことが分かる。気づいたら4人くらいのおばちゃんに取り囲まれて、英語が少しだけできるおばちゃんを中心に、質問攻めにあっていた。僕もスケッチブックを見せながら、自分の出自と目的を伝えて、文筆を駆使して応戦する。大学生だという若い娘がのちに通訳に呼ばれて、おばさまたちのタイ語を訳してくれた。
「彼女(英語が少しできるおばさん)は私のお母さんのお姉さんで、デューという名前、英語だとRedという意味です。私は、ビューと言います。英語のBeatifulの意味です。」と名前の由来まで教えてくれた彼女ら二人が、特に良くしてくれた二人だ。
デューおばさんが説明してくれる。「あそこに座ってるあの人、あの赤い服の人は、私のお母さんなのよ。そんで、ここが(同じテーブルに座っていた3人)が7人姉妹の内の3人で、この子(通訳の子)はその内の一人の娘で…」と家族構成を聞いていくと、ここにいる大半の人(50人くらい集まっていた)は親族らしかった。
そうか僕は、この場にいる唯一の外国人であるだけでなく、唯一の島外の人間、もっと言うと、唯一血が繋がっていない人間だったのだ。そんな人間に、なぜここまで優しく、なぜここまでオープンになれるのだろう?ほんとうに、みんなして家族のように接してくれて、嫌がるような素振りを誰からも感じなかった。その優しさに思わず泣きそうになってしまい、それを隠すために、温かいご飯をかき込んだ。「そんなにお腹が空いていたのかい?」とみんなしてゲラゲラ笑っている。
今度は男衆の集まりにぶち込まれた。「ウイスキーは飲めるか?」と誘われ、みんなでウイスキーを飲み交わす。その内の一人のお父さん(この人はデューのお姉さんの旦那さん)と仲良くなって、「明日の朝コーヒーでも飲みましょうよ」と誘われた。
「ところで、今夜はどこに泊まるのか?」来た!そうなんです、決まってないんです!と元気よく言ったら、まあここら辺でどっか空いてるでしょう、みたいな感じで、さらっと流された。何処か知り合いの安めのホテルとかないですか?と聞くも、思いつかない風だ。(内心では彼らの家に転がりこみたかった)。
怒涛の会話が一旦落ち着いたので、改めて舞台の方を見ると、なんと、Noraが踊っていた!びっくりして立ち上がってしまった。これは、Noraの祭りだったのだ。興奮しないわけがない。だって、さっきまでマネキンに取り付けられていた装身具を身につけて、生身の人間が踊っているのだから。しかも、ベースとキーボードとパーカッションの演奏つき。音楽も、踊りも、みんなの表情もずーっと良くて、すごく気分が高揚した。
撮っても良いですか?、と同じテーブルのおばさんたちに聞くと、もちろん!とみんな好意的だ。しかも、カメラを構えだすと、なんと最前列を開けてくれるではないか。最高齢らしきおばあちゃんが座る長椅子に通されて、その隣で、間近で撮影させてもらった。大おばあちゃんは、ゆっくり首を回してこちらをみて、満面の笑み。演者はみんな演奏に集中していて、6人組くらいのNoraたちも、観客とコミュニケーションを取りながら、音楽に合わせて踊っている。後ろを振り返ってみると、誰もスマホを構えずに見守っている。手を叩いて楽しそうにするおばあちゃん、後ろで旧友と喋っているお父さんたち、おばさんたちの高らかな笑い声、無邪気に走り回る子供たち、離れてタバコを吸っているお兄さん。全てが、最高の空間だった。なんだこれ、なんでこんなに泣けるんだ。魂の震えを感じた。レンズを覗いたまま、誰にもバレないように泣いた。この場所に自分がいる奇跡、この場面を観測できている幸運、祭というものの価値。全てに感激した。こんなに主人公みたいな幸運があって良いのか?
(上の動画は、帰ってからからビューに、youtubeに上げていい?と聞いたら、快諾してくれたので上げたもの。どこまでもオープンだ。)
これがこの旅のハイライトだ。と、Noraの踊りを見ながら直感的に思った。これより楽しいことなんて、これより幸せなことなんて、この先にあってたまるか。コーヨー島に響く音楽と笑い声は、いつまでも鳴り止まない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?