「朝鮮半島」と「韓半島」という単語を巡る、個人的な体験

日韓演劇交流のおもしろみってなんだろうか?

例えば、言葉に対して、デリケートになれる。
言葉が持つ意味の複雑さに敏感になれる。
それは、私にとって、海外との交流のおもしろみの一つだ。

韓国のソウルで、韓国人の友人たちと飲んでいた時のことである。何かの話題で、「朝鮮半島」の話が出た時だ。韓国人たちが、「朝鮮半島」のことを、「韓半島」と呼んでいることに気づいた。

当初、私はその話題の中でも、「朝鮮半島」という単語を使っていて、友人たちのほうも特に私を訂正しなかった。が、何度も「韓半島」という単語が繰り返される中、私も自然と、周りに合わせて、「朝鮮半島」ではなく「韓半島」という単語を使うようになっていった。

そう、「朝鮮半島」は、日本及び北朝鮮の人が呼ぶ呼称で、韓国の人は「韓半島」と呼ぶのだ。その当たり前の事実に、とても驚かされた出来事だった。

ある単語の選択は、その人の思想的・政治的立場を表す。

それからというもの、私は、日本人同士でのコミュニケーションでは、「朝鮮半島」のことを「朝鮮半島」と言うが、韓国人がいる場では、「韓半島」を使うようにしている。この単語は、どうしても思想的・政治的立場を表してしまうからだ。つまり、韓国と北朝鮮の歴史に関して、私は無自覚ではない、ということを表明するコミュニケーションをしている。

日常の中にふっと顔を出す歴史(の物語)に驚く。
そして、言葉の複雑さに敏感になる。

そのことは、海外との交流のおもしろさの一つだ。
私は、それをおもしろいと思う。皆さんはどうですか?

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