見出し画像

NVC その3 どんな世界観を生きるのか

人は本来、生まれ持った性質は思いやりがあって、他者へ与えるのが好きで、NVCを学ぶことは新しいことを学ぶことというより、ありのままの自分を思い出すことにある。

その時、人と人は自然と与え合い、分け合う関係性になる

これがNVCの核となる世界観だって自分は理解している。

この世界観を感じて、理解して、腑に落ちて、信じて、共有していくこと、世界観の前提が他者との関係、社会との関係、様々な関係性のなかでとても重要になってくるのではないだろうか。

社会では様々な問題と言われていることがある。戦争、環境問題、差別、貧困、ジェンダー、食料危機。 今日の食べ物さえ手にするのが困難な人たちがいる一方で、少数の人が富を独占しているという状況がある。

自由や平等、平和、民主主義という言葉が使われてはいるが、苦しみや争いで世界はとてもアンバランスな歪みがあるようにも見えないだろうか。

この社会は当たり前のように、競争という世界観から生まれていないだろうか?

より多くを持った人が勝者。お金、土地、物。 

より高い地位を得ること。 出生、学歴。 他人より偉く。個人だけでなく、企業なら、より利益を得る会社になることだったり、国家であっても同じように。

数千年という長い年月を人は競争、争いのなかで生きて繋いできた。このパラダイムには、とても鍵となるのが、「分離」という認識、概念ではないか。 

「私」と「あなた」。「自分」と「自分以外」。 自分の物とかの所有という概念も自分と他人という分離した概念がなければないだろう。

私の物、私のお金、私の土地、私の経験、私の名前、私の身体、私の心、私の何かという物に、常に何かと自分が別れている分離した世界がある。

この分離した世界観を二元論と言う。 分離していない全てが一つであるということを不二一元論とかアドヴァイタ、最近の言葉では非二元と言ったりする。スピリチュアルな言葉だとワンネスなどと言われる。

非二元の気づきの話などは、またそのうち書きたいと思うが、NVCの世界観は分離した世界観から、つながりや統合した世界観への気づきであり、パラダイムシフトへとつながっていくのではないか。

世界観を今すぐチェンジしようって言ってるわけはなく、私とか自分とかの個人的な体験から見ていた世界から、ちょっと揺らいで見てみると何かが少し見え方が変わってくる。

今、あなたが嫌いだと思っている人も、誰かのために与えたいという強い気持ちが心の奥から見えてくるかも?

NVCをテーマに書いていたはずが、どんどんスピリチュアルな話になってきてる。 テーマは変わるかもですが、まだ書いていくつもりなので、質問やこんなこと書いて欲しいなどあればコメントをお願いします。

NVC その1 人はなぜ対立するのだろうか?

NVC その2 人は誰かのために与えるのが好き?


学んだことをよろこびからシェアしたいという思いでnoteを書いています。 記事を読んで、よろこびからサポートをしたいと思ってくれたら、嬉しいです。