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ヨーガ・スートラとハタヨーガ

ヨギーなら一冊は持っているであろうパタンジャリのヨーガ・スートラの解説本。 

パタンジャリ

だからと言って、自分のように4冊比較して読むなんてマニアは多くないだろう。 ヨーガ・スートラはヨギーのバイブルのように重宝されているが、現代のハタヨーガのバイブルはなんだろうか?

現在もっとも古いものは、12、3世紀ごろに、ハタヨーガの開祖と言われるナータ派のゴーラクシャ・ナータが書いたといわれるゴーラクシャ・シャタカ「ゴーラクシャ・シャタカ」。

それから、「ハタ・ヨーガ・プラディ―ピカ―」16世紀ごろに書かれたと言われる。「シヴァ・サンヒター」もう少しあとと言われるが、作者や成立年代は不明とある。

ヨーガスートラでは、アーサナについて書かれているのは2章の46節、47節、48節の3つ。

2-46「坐り方は、安定した、快適なものでなければならない。」

2-47「そのような坐り方は、緊張をゆるめ、心を無辺なものへ合一させることによって得られる。」

2-48「その時、行者はもはや寒熱、苦楽、毀誉、褒貶等の相対的状況によって悩まされることはない。」

ヨーガ・スートラのヨーガが古典ヨーガの一つラージャ・ヨーガと言われており、ヨーガスートラではアーサナとは坐法、瞑想の準備のための座り方だった。

ハタヨーガの様々なポーズのことをいうアーサナとは違うことがわかる。

ヨーガ・スートラはサンキーヤ哲学がベースにあり、プルシャとプラクリティの二元論で、ハタヨーガはアートマンとブラフマンの合一の一元論という哲学の違いがある。

一方で、ハタヨーガはラージャヨーガへの階段だって「ハタ・ヨーガ・プラディ―ピカ―」には書いてある。よくハタヨーガはラージャヨーガの一部だって言われているが、ここでいうラージャヨーガが、パタンジャリのヨーガスートラのラージャヨーガと同じなのかは、わからない。 パタンジャリのヨーガスートラにはラージャヨーガという言葉は出てこない。

「ハタ・ヨーガ・プラディ―ピカ―」が、ただハタヨーガの権威つけるために一方的に言っているだけなのではないだろうか? 

もっと古いゴーラクシャ・シャタカにはラージャ・ヨーガなんて言葉は出てこない。ゴーラクシャ・シャタカでは、ヨーガスートラの8支分ではなく、6支分でヤマ、ニヤマがない。 

哲学も違うし、修行法も違う。 目指すゴールが解脱だってことは同じ。

ヨガスートラで書かれている、有名な一説 

Yoga citta vrtti nirodah  ヨーガとは心の作用を止滅(制御)することである。

ラージャヨーガは、瞑想のヨガと言われるが、心の動きをどんどん小さくしていく。瞑想のためのアーサナ。坐法。 安定して、楽で、心を無に近づける。

その中で体、5つの鞘(コーシャ)の一番外側の粗雑なレイヤー(層)である体は、は本当の自分じゃないって気づくこと。 コーシャとは、まやかしの層であるという。

そこには体は不浄なものだっていう前提があるのではないかって思う。インド人じゃないし、インドを理解するのは難しいが、体があるから苦しみがある。 お腹空くし、トイレいくし、エロいことしたくなる、病気になる、老いる、体を自分だと思っているから苦しむ。 その体から離れること。 自分だと思っている心と体が自分ではないという気づきへ、瞑想のヨーガ、ラージャヨーガ。 それだけではないとも思うが、他のことは今回は置いておきたい。

そしてハタヨーガは、現代ではハタとは太陽と月とか言われるが、体に注目した。 その理由はわからないが、エロとか、いろんな欲って、すごいエネルギーじゃないか、だって子供を授かるような生命の根元のエネルギー。そのエネルギー使ったら、いいんじゃないかってことに気づいた人がいるのだろう。 アーサナもプラーナヤマも体に眠っているエネルギーを活性化させる。バンダをロックしたり体内のエネルギーラインであるナディを浄化したり、チャクラをクンダリーエネルギーを上昇させたりという、現代人から見ると超能力かっていうようなことが書かれているが、1000年?だか長い年月伝承されて修行されていた。

そして、この肉体も宇宙(ブラフマン)そのもので、ブラフマンとつながる、一つになることがハタヨーガだと思う。

少し乱暴な言葉だと幻想 マーヤである体や心、偽物の自分と二つに別れる二元論のラージャヨーガと、自分=宇宙、神、全てという一つになる一元論のハタヨーガって感じ。

体内のエネルギーをコントロールして、クンダリーエネルギーを上昇させたりとか、実際にそんなことが可能なのかどうかは、信じるも信じないも自由だが、ハタヨーガは、エネルギーを活性化して潜在力を引き出す。

ここまで書いたのは、あくまで自分の理解を言葉にしたのだが、ハタヨーガはラージャヨーガの一部だっていうことは、ラージャヨーガをどう定義するのか、アーサナの目的をどう捉えるのかによると思う。インターネット上などで、そう書いているヨガの先生もいるが、その言葉をそのまま信じずに自分で学んで調べることが大事だと思う。

瞑想のための準備としてアーサナを行うのか、体の潜在エネルギーを活性化させるのか。

ヨーガは深いし、広い。こう書いたことも、数年後か数ヶ月後か読み直したら、違う理解や気づきになっているだろう。











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