雑記

上の娘も19歳とかになって、なんかやっぱなんつうかオトナ、色々とわからなくなってくるものやな〜と感じることが多くなった気がする。もちろん親への隠し事のひとつやふたつ、無いほうがおかしいってものなので、無駄な深読みを外しては、しかし未だ母親に「あんたのことはよくわからん」と言われる自分の10代を振り返っても、本当に良い子やな〜と思う。いや、ただの親ばかなんだけど。

ところでここ最近、小沢健二の新しいアルバムを仕事中にちょこちょこ聴いていて、僕は小沢健二に対して語ることばを持ち合わせていないけど、やっぱり僕ら世代には特別っていうかなんていうか、みたいな感じだ。アルバムに収録されている曲で、映画リバーズエッジの主題歌として昨年リリースされた”アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)”という楽曲があって、この作品に対してもやはり語ることばを持ち合わせていないけど、その歌詞はまるでリバーズエッジの原作者岡崎京子と小沢健二の若い友情を思い返しては指でなぞる赤裸々な私信のようで、それを彼のエバーグリーンな歌声で耳にすると、もう25年以上も前の思春期へのノスタルジーみたいなものが噴出してきて、胸のあたりがぎゅうとなる感じがどうしようもない。

僕には姉がいて、90年代はきょうだいそろってカルチャー的なものに傾倒していたので、ふたりとも、本や服やCDがえらく散らかった部屋で過ごしていた気がする。僕が生まれてからハタチぐらいまで過ごした実家の3階は、階段を上がると廊下でつながった僕と姉の部屋しかない間取りで、僕が高校生の頃にはふたりの部屋をつなぐ短い廊下は端から端まで本棚で、身体を斜にしないと通れないほどだったのも良い思い出だ。そんな姉がいたというのもあり、90年代前半のローティーン男子が触れないようなものが身近にあって、それは岡崎京子のマンガたちで、僕の厨二病の形成にはpinkや東京ガールズブラボーあたりが色濃く影響を与えていた可能性が高い。同じ頃、解散するかしたかのフリッパーズギターと出会い、すぐに犬は吠えるがキャラバンは進むがリリースされるようなタイミングだったような気がして、ヘタクソなギターでそのたくさんのリフのコピーを試みていたのをよく覚えている。

それはつまり、この”アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)”という楽曲は、僕にとってまさにその頃の僕、どうしようもなく退屈で、誰ともわかりあえないと勘違いして、誰にも本心を伝えず、何にも真面目にならず、ただ時間を消費して、それでも大きな自尊心を持て余し、自分が何者でもないことをずっと知っていて、でも意識的に無意識を操作して逃げていた、そんな誰しもが人生でいちどは踏み入れるだろう平坦な戦場の、ずっと何かを求めては探して、だけど何を探しているかわからないような、連続する瞬間そのもので、そこで僕はいま、「魔法のトンネルの先にはきっと、君や僕の心を愛する人がいる」と友愛に満ちた優しい歌声を聴いたのだった。
いつのまにか25年以上も経って、そのとき隣にいた女の子との間に娘ができたりして、その娘たちも成長し、僕たちの頃とはまったく様相が違う、だけどやはり平坦な戦場で、誰かと強くつながっては、またすぐにすれ違って、わんわん泣いたと思ったら、けらけらと笑って、バタリと倒れて、ガバリと起き上がって、手を強く握ったり、でもその手を離してしまったりってするのかなぁと思うと、もう少し、もう少しだけ離れたところから、だいじょうぶ、だいじょうぶだから、と、言ってあげればそれでいいよなっていう気がしたような気がする。

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