雑記

先日、MOTHERのサントラレコードの記事をみた瞬間、本当にその瞬間に予約完了してしまった訳だけど、あまり大きな声では言えないのだが、僕はなんかこう、そこまで絶対的MOTHER信者という訳でもない。MOTHER2の内容は、まぁほぼ忘れてしまってるし、MOTHER3はたしか未クリアでやめてしまった。たぶんそれはタイミングの問題な気がしていて、MOTHER2が発売された夏、僕は16歳で初めてちゃんと恋愛をして付き合った彼女ができたタイミングだったし、MOTHER3が出た2006年は会社を設立した年で子どもも小さく、なによりファイナルファンタジー11の準廃人だったタイミングで他のゲームができる状況ではなかったように思う。

でも、小学6年生のときにプレイしたMOTHERは、ほんとうに特別で大切な体験だった。当時夢中だったドラゴンクエストやファイナルファンタジーと違って、ボーダーTシャツに野球帽、金属バットを手に、超能力を操る同い年の主人公は、お父さんに振り込んでもらったお金をATMで引き出し、ハンバーガーショップやデパートで買い物をして、敵キャラも凶暴化したカラスとか、オバケとか、UFOとか、宇宙人とか、アメリカっぽい雰囲気の少し不思議な世界なんだけど、そこは完全に僕の街と地続きだった。しかもAPEから出ていた攻略本が旅行ハンドブックの体裁を取っていてこれが今では考えられない予算(1989年は日経平均株価が史上最高値を記録した年)で作り込まれていて、そこに書かれたさまざまなメタ情報によって、世界に妙な、そして強いリアリティがあったのをよく覚えている。

MOTHERのストーリーは、主人公の曽祖父母のUFO的な失踪事件やポルターガイスト現象といったゴールデンタイムに特集が組まれていた(当時はオカルトブームでTVで大真面目にチャネリングしてUFO呼んでたりした)ような内容で、いわば日常に最も近い非日常、小学6年生の僕はまだまだ超能力のひとつやふたつ自分に備わってるかもって思ってるお年頃だし、彼らの街と僕の街はそれこそアメリカと日本ぐらいの距離感と感じていたように思う。このゲームをプレイするほどに、現実世界とゲームの世界の境界が曖昧になるような、主人公への感情移入ともちょっと違った不思議な気持ちでプレイしていたのをよく覚えていて、後にも先にもそんな経験はしていないと思う。それは小学6年生の僕の感受性に、MOTHERというゲームの世界観と1989年の日本の状況というタイミングで起こった、人生でたった1度きりのゲーム経験だったんだと思う。

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