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棚からぼた娘


旅の準備もまた旅の1つ。

という言葉を見聞きすることがある。
身近で勝手な集計では、準備が楽しいという人より、面倒くさいという人が意外にも多い。

極端な話、準備といっても僕なら最悪パンツさえあればなんとかなるだろうくらい気持ちは軽いんだけど、人によっては好きな洋服や化粧品にパソコン等と、持参するモノが多い人もいるだろう。

面倒くさがったせいで不便は増えるし、面倒くさがった分だけ不便になるけど、一方では便利の代わりに荷物が多くなる不便が待っている。
そうして何度も経験を重ねていくうちに、自分なりの必須アイテムが決まっていく。

だから、持参するモノをミニマイズして旅が出来るというのは、ある程度面倒な経験が先に必要なんだと思っている。

ただ、どうしてもうっかりはある。
カメラを持参する為に三脚やレンズを用意したのにカメラの本体を忘れるとか、釣りをしに行くのに肝心の竿を忘れた等、過去に僕がやらかした事例は枚挙に暇がない。

つまり、不便の中には忘れ物が含まれる事も多いんだけど、僕がまだ小学生の頃のひどい事例では、キャンプサイトまで来て、テントを忘れた家族と遭遇したことがある。

せめてそこが現代の様な気の利いたキャンプ場であれば、テントのレンタルなどもあるのだろうけど、当時そのキャンプ場は、受付の親父が日中に入口の小屋にいるだけで、あとは人の気配すら感じないかなりの山奥。
当然ながら周辺には民家はおろか、宿すら見当たらない。

その一家は大荷物をワゴンに乗せ、昼間に到着した。
全国各地のキャンプ場のステッカーが貼られたゴツい四駆から、見るからにキャンプ慣れした雰囲気の家族だった。

一般的なファミリーキャンプだと、日中に着いたら先ずはすぐテントの設営を始めるのがセオリーだけど、その家族は夕方になる頃まで、近くの川で遊んでいた。

このキャンプ場はすぐ近くに小ぶりだが高低差のある滝があり、飛び込みも出来る。
川はキャンプエリアの一部に引き込まれていて、今でいう居心地の良さよりは、アクティビティ性の高い上級者向けのキャンプ場だった。

彼らは日没間際に帰ってくると、全員が素晴らしい連携で分担し、生活の場となる大きなタープを立て、調理器具、アウトドアチェアにランタンが車から引っ張り出され、次々に用意されていく。

陣頭指揮を取るその一家の主(親父)は、日焼けが似合うワイルドなアウトドアマンだった。

そしてテントの組立段階になり、その親父があっ!と大きな声を出した。冒頭の通りその時点で初めて、テントを忘れている事に気付いた様だった。

日は間もなく暮れる。
わが家は既に、夕食の準備が終わろうとしている頃だった。

そして僕らは暫く呆然として何かを話しているその家族を見ていた。
この日キャンプ場の宿泊客は、我が家と彼ら家族のみだった。

ワイルドな親父はしばらく考えた挙げ句、こちらに歩いてきた。

その時点で何となく嫌な予感がした気はしたんだけど、ワイルド親父は申し訳無さそうに我が親父に話しかけた。

すると、その家族は僕らが住んでいる街と同じ街に住んでいて、小学校でいえば歩ていけるような学区の家族だった。

キャンプ場はそこからずっと遠い他県だし、そんな偶然があるのかという驚きもあったが、同郷というだけですぐに打ち解けた。

ワイルド親父は、今朝あれだけ確認したはずなのに肝心なテントを忘れるなんてどうかしていると頭を搔き笑いながら、今夜は車中泊をしてなんとか凌ぐという話をしていた。

その家族は6人家族で子供は4人。一番下の子はうろ覚えだが3歳くらいで、真ん中2名が男の子で小学生低学年、一番上は僕と同じ歳の女の子だった。

長女の名前は、ゆかりちゃんと言った。
ショートヘアが似合う活発な子で、確か陸上をやっている様な事を言っていたと思う。
4人兄弟の長女という事もあって、僕よりも随分年上に見えたし、笑顔が可愛かった。

元々家族だけのキャンプのはずが予想外の展開に盛り上がり、夕飯も焚火も花火も、いつもよりずっと楽しかった。

普段より遅い時間まで起きていて、ボチボチ寝なさいと言われる頃、ポツッと1粒の雨が肩に落ちた。
夏の夜の雨は、濃い香りを発する。
一日中ムッとしていた地面が一気に冷えた時に湧き出る、あの香りだ。

ワイルド親父はそれを見て、いそいそと車中泊の用意をする為にクルマに戻り寝床を確保していたのだが、どうしても1名分スペースが足りない。

すると、ワイルド親父は自分だけ外で寝ると言い出した。
雨が避けられるタープの下で寝るとはいえ、山奥でシュラフのみで寝るというのは、わりと勇気が要る。

起きて野外で活動する分には何ら問題無くても、就寝時に意識が無い時に虫や動物が来たら……と考えると、そのハードルはグッと上がるのだ。

そうこうしているウチに、雨は本降りになった。

テントやタープの屋根から跳ね返る程の雨が、辺り一帯をあっという間に包み込む。

この状態では流石に外では寝られないので、親父がウチのテントに1名どうですか?と提案した。
それなら、車中泊は全員が入れる事になる。

ワイルド親父はその提案に即答はしなかった。
我が親父も、おっさんになった僕も受け継いでいるのだが、アウトドアマンは人に頼るという行為がとても申し訳なく感じてしまう所がある。

己が旅の準備を怠った為に不便になり、その不便を他人に押し付けるという事は、その美学に反する行為なのだろうなと、子供ながらに思った。

どんどん強くなってくる雨を前に暫く考えた後、ワイルド親父はすごく申し訳無さそうに、お言葉に甘えさせてくださいと言った。

我が家のテントは3名用のテントが2つ配置してあり、仮に2名増えても問題は無かったのだけど、年齢やスペースを考えた結果、その1名はゆかりちゃんになり、僕と同じテントに寝る事になった。

急に見知らぬ……いや知っているけど数時間前に知り合ったばかりの女の子と寝る事になるというのは、小学生の僕でもドキドキした。
しかし、ゆかりちゃんは全く意に介さない様子で、ヨロシクね!と笑顔で言った。

テントの中に入ると、ゆかりちゃんは家から持ってきたドラえもんの漫画を読もうと言ってきた。

小さな懐中電灯が天井に吊るされていてスポットライトの様になっているので、お互い結構近寄らないと読めなかったのだけど、ゆかりちゃんは背を合わせながら読もうと言い、恥ずかしさなど全く無いかの様な距離感の近さで、僕はドラえもんの内容が全く頭に入ってこなかった。

数時間前、交互に家族が行った無人の天然温泉に入ったからだと思うんだけど、短いゆかりちゃんの髪からは、嗅いだ事の無いようないい香りがした。

小一時間ほど読んだだろうか。
明日には彼女達が帰ってしまうかもしれないと思うと、何だか少し寂しくなり、家にも同じドラえもんの漫画はあるのに、家に帰ったら必ず返しに行くので、数冊貸して欲しいと言った。

彼女は何の迷いもなく、笑顔でいいよと言ってくれた。

その屈託のない笑顔に、すっかり彼女の事が好きになってしまった。

短い夏のキャンプが終わり、後日母とゆかりちゃんの家に漫画を返しに行ったが、ゆかりちゃんは塾で不在だった。

彼女とは雨の中山奥のテントで背中を合わせ、ドラえもんを読んで寝たという思い出だけが残った。

30年後。

残り少なくなったジャックダニエルのテネシーハニーを飲みながら、当時の淡い記憶を1500mの高地キャンプで思い出した。

いい夏の夜だ。

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