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小さな町の信念


その日を境に

” 絶対的な平和 ”

というフレーズが頭の中で浮かぶようになった。

世界は相変わらず誰かが人と人を争わせたり、遠ざけようとしているが、その反対側には絶対的な平和を維持しようと、その信念を曲げない人達がいる。

学生時代アメリカに住んでいた頃、テキサスの片田舎にフレックというおじさんがいた。

住んでいた家の2軒隣に夫婦だけで住んでいて、ツートンカラーの初代ダッジラム・ピックアップを大事に乗っていた。

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フレックを短く紹介すると、365日あれば350日くらい不機嫌そうにしている、体格のいいおじさんだ。

僕の好きな著書にカウボーイサマー(著:前田将多)という本があって、その中で登場する口の悪いハーブとケヴィン親子の話を読んだとき、すぐにフレックのことを思い出した。

ディスカバリーチャンネルで大ヒットしたアメリカンチョッパーというリアリティーショーを初めて見たとき、放送時間の約半分がピー音(自主規制/放送禁止用語)なのではないかと思うほど、特定の人々は日常会話からして口が悪い。

ただ、彼らを見ていると、そういう言葉遣いを見知らぬ他人に使うのはほとんど見たことが無く、使うのは主に自分自身や家族、職場などに限られ、文句を言うというより、クセで使っているような気がした。

ある日の晴れた午後、近所のスーパーへ歩いて買い物に出ようと、フレックの家の前を通り過ぎようとした時、彼に声を掛けられた。

「ちょっと手伝え」

白髪でヒゲモジャのフレックはいつも無愛想な顔をしているのだけど、僕がクルマや工具が好きなことを知っているので、今日も何かを教えてくれるのかと、内心ちょっと嬉しかった。

「なぁアツシ、オイルキャッチタンクってわかるか?今からそいつを交換するんで、ちょっと手伝ってくれ。どうせヒマなんだろ?」

そう訊かれて頷くと、彼は無表情のまま顎を後ろにクイッとやり、隣にあるガレージのシャッターの前へ向かった。
家の周囲は鮮やかに芝生の手入れがされていて、散歩をする度、バックヤードで芝刈り機に乗るフレックの姿をよく見かけた。

シャッターが開くと先ず目に入るのは小さなバーカウンターで、まるでお店のようなつくりになっている。
彼がいつここに客を招いて酒を飲んでいるのかはわからないけど、そこには未開封のウイスキーが数本並べてあった。

ガレージの床には透明なテープでグルグル巻きにされた大きな段ボールの荷物が転がっていて、つい先日届いたらしい。
その箱の中にクルマの部品が入っているから、交換の準備をする間に取り出しておいてくれと言われた。

簡単に開けられると思っていた箱は、マトリョーシカのように箱の中に箱が入っていて、その度いちいち留めてあるテープと格闘した。

ようやく開けると、部品の周りにぎっしりと緩衝材が詰まっていて、全てかきだすと、手のひらサイズの小さなクランクケースブリーザーとオイルキャッチタンクが出てきた。

今はアメリカから日本にやってきた通販会社の過剰な梱包がたまに話題になるけど、思えば本国アメリカは20年以上前からこんな調子だった。

入っていた部品を全てカウンターに乗せると、フレックはそれを見て、

フ●●●!!とかシ●●!!など、口の悪いスラングを連発した。

どうしたのかと尋ねると、買ったはずの部品が入っていないらしい。
彼はしばらく考えた後、町外れのパーツショップへ不足部品を調達しに行こうということになった。

少しだけオイルが漏れ始めている古いトラックは、とても面倒くさそうな音を出しながら、ゆっくりとエンジンがかかった。

車内の香りは、わかる人はわかると思うが「昔、爺ちゃんが乗っていたクルマの香り」のお手本のような香りが漂い、遠いアメリカも変わらないのかと思うと、なんだかそれだけで嬉しかった。

30分かけてパーツショップに着くと、店内には20代後半くらいの若い兄ちゃんがテレビを見ながら座っていた。
店の中はオイルとタイヤのゴムの香りがしていて、好きだった。

店主はどこにいるかとフレックは若いのに尋ねたが、裏にある整備工場にいると答えた。
どうやら若い兄ちゃんとフレックは面識が無いらしく、彼は最近アルバイトとして店番をしているらしい。

幾つかクルマのことを尋ねていたが、兄ちゃんは商品にあまり明るく無さそうなので、質問を諦めたフレックはいつものようにブツブツ言いながら、店の壁にある大量の棚から1つ1つパーツを探し始めた。

そんなフレックの横顔を見て、彼はいつもこんな調子で何かにつけて不機嫌なのだろうと思いながら、僕はアンちゃんが座るカウンター近くへ行った時だった。

「お前、アジア人か?なんで白人(フレック)とこんな所にいるんだよ。あっちにいけ」

そう言われ、僕はしばらく固まってしまった。
実際にはスラングも混じっていて、もう少し言葉は悪かった。
住んでいる地元や学校でもそんなことを言われたことが無かったので、どうリアクションしていいのか躊躇っていると、耳をつんざくような音量の声が真隣から聞こえた。

「おい、もう一度言ってみろ!!!」

声の主は、フレックだった。

「もう一度、その言葉を言えと言ってるんだ!!!」

いつも静かな彼からは想像できない声量で、僕は中腰のまま固まって立っていた。

兄ちゃんは小声で何かを呟くと、フレックは持っているクルマの部品で今にも殴りかかるような勢いで言った。

「お前が頭の中で何を考えようと自由だ。だが、それを口に出して彼に言ったのなら、俺は許さない」

兄ちゃんは僕と同じ中腰の姿勢で固まったまま小さな声で謝ると、裏口から店主が入ってきた。
驚いたのは、フレックと店主が兄弟のようにそっくりで、立派なヒゲモジャを貯えたおじさんだった。

店主とフレックは長い付き合いで、大声に驚いて隣の整備工場から店に来たらしい。

フレックが今起きたことを説明すると、今度は店主が大声で兄ちゃんに怒鳴った。

「お前が仕事を選ぶ権利はあるし、他所で働く自由もある。たが、今後同じことをしたら、この店で働く権利は無くなる。今日はもう帰れ。」

そう話すと、兄ちゃんはカウンターに置いてあったバッグを肩にかけ、そそくさと出ていってしまった。

それから少し間があって、店主は穏やかな表情で、気を悪くしたのなら申し訳無いと言った。

僕は2人のケンマクに驚き、軽く頷くだけだった。
フレックを見ると、いつの間にかさっきの棚の前に移動していて、またブツブツ言いながらパーツを探していた。

そして、さっきまでフレックのことを無愛想なおじさんだと思っていた自分を恥じた。

必要な部品は見つかったらしく、ショップから家に帰るまでの間、フレックはクルマのラジオをカントリーソングのチャンネルに合わせ、少し窓を開けたまま、小さく口ずさんでいた。

明るい日差しに照らされたガレージに戻り、僕はさきほど店で起きたことのお礼を言うと、

「オレはなにも知らないし、アツシは何も聞いてない。続きをやろう」

とだけ言い、普段笑わないフレックがほんの少し笑ったように見えた。

そして、手に取った大事な工具を床に落とした瞬間、いつもと変わらず口の悪いフ●●●を連呼した。

うまく言えないけど、世界が平和であるということは壮大な話ではなく、星の数ほどある小さな町にいる、信念を曲げない人達の集合体で成り立っているのかもしれない。

ただ、口の悪いおじさんと平和がどう関係あるのかと訊かれたら、きっと無い。


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