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忘れ去られる村


美味しいパン屋に行く。
新しい洋服を買う。
リリースされたばかりの家電製品を見に行く。

毎日の何気ない行動は動機があって、目的の場所へ向かう。
目的がある場所は、人がそこに色んな目的を増やしていく。
目的が増えた場所には人が集まり、街になる。

そんな当たり前の世界とは、無縁の場所もある。
特別な用事が無ければ赴かない場所。

そんな場所が、釣りを通じたくさんある事を知る。

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山に入る最後のコンビニで、メールや電話の用事を済ませるのが恒例だった。
長い県道のトンネルを抜けると、きっちりと携帯電話は圏外を表示した。

景色は一気に深い緑色に変わり、道路沿いに見える沢はどこも、暗く苔むしている。

山深い小さな村は、おそらく釣り人以外は外部から足を運ぶ事は無い。
街と街を繋ぐ幹線道路でも無ければ、買い物をする施設も無い。
中心部には村の集会所と除雪機用の倉庫があって、周辺で一番大きな建物と言えばそれくらいだろうか。

長いカーブ地帯を抜け、直線になったすぐ先にある目印。
色褪せた赤い旗に「日釣り券」と書いてある小さな家に向かう。

ガラスに懐かしい模様が付いた引き戸をガラガラと開けると、3回に1回は居間でテレビを見ている老婆が、漁券を売ってくれた。

「おや久しぶりだねぇ。」
と声を掛けてくれるが、毎年婆ちゃんは同じセリフを言うので、僕の事を覚えていてくれているのかはわからない。

野営する場所は毎年決まっていて、今回もそこにクルマを停め、準備をした。
街にいた時は半袖で十分だった気候は、少し標高が上がるだけで肌寒かった。

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野営地の上流側に小さな畑があり、そこに60手前くらいのオジサンが農作業をしていた。
畑の稲穂が強い逆光に輝いていて、こちら側からだととても眩しかった。

「こんにちは。」

そう声を掛けると、彼は一旦こちらを見て、何も言わずまた農作業を続けた。

無愛想というよりは、何か音がしたので反応したという感じで、こちらも特には気に留めなかった。

到着初日から釣果は上々で、このレベルの魚影がある河川はそう簡単には見つからなかった。

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その日の夜になり、日中婆ちゃんの家で三日分の日釣り券を買い忘れた事に気づいた僕は、翌日の朝に家を訪ねた。

婆ちゃんは居間にはおらず、裏手にある洗濯場に立っていた。
昨日買い忘れた事を伝え申し訳無いと謝ると、なんのなんの…とゆっくりした動作で明後日迄の日釣り券をくれた。

そこで、昨日畑で見たオジサンの事を訊いた。

「おめぇ、話したんけ?」

そう訊かれたので挨拶だけしたと伝えると、予想外の言葉が返ってきた。

「あんま話しかけんじゃねぇよぉ。難しい男だかんさぁ」

そんな風に言われ、笑って静かに頷いた。

三日目になる最終日は、今まで行った事の無い沢に入った。

行った人はわかると思うけど、日中とて深い沢に入れば視界はかなり暗く、独特の雰囲気があり、獣の匂いがする事がある。

この辺りは熊も出るので油断はならないが、慎重に沢を釣り上がっていく。

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暫く進むと、巨大な石が水の流れを変える程ドスンと居座り、僕は右手に高巻いたその時、その石の裏側に野猿がいた。

こちらとの距離は5メートルも無く、竿先で触れそうな距離だった。
突然現れた野生の猿に、かなり焦った。
猿の怖さはよく知っているつもりだったし、もし彼が興奮し尋常では無い腕力で掴まれたら、人間なんてひとたまりも無い。

僕は腰に装備したクマよけスプレーに右手を置き、目線を逸らさずに後ずさりする。
猿はずっとこっちを見ながら牙を剝いていたが、15メートル程離れると、もの凄いスピードで山奥へ消えていった。

当たり前だが、猿も人が怖いのだ。

僕は全身に冷や汗をかいていて、ゆっくりと沢を降りながら手で汗を拭った。
途中、細い山道に出ると、初日に挨拶をしたオジサンが、大きな籠を背負って山道から降りてきていた。

婆ちゃんに話しかけるなと言われてはいたが、こんな山奥で無視するのもかなりの勇気が要る。
暫く間があったがこんにちはと挨拶をして、立て続けにさっき出会った野猿の話を一方的にした。

彼は意外にも笑顔で、僕に話しかけてきた。

「どんな大きさだった?アダマ(頭)、白かったガ?」

僕はそこまでハッキリとは見ていなかったので、大体の大きさを手で表現すると、ハハーンという顔をした。

「きっとあの親子の母親だんな」

彼はその猿とずっと前からの友人の様な話し方をして、背負っていた籠を降ろした。

「まぁ、ちょっと休むべ」

そう手招きして山道にドカっと座ると、籠から手製の竹筒で出来た水筒を引っ張り出し、水を飲んだ。

「あの、ここに長く暮らしているんですか?」

そう訊くと、彼はなぜか少し寂しそうな顔をした。

「俺はこの村でチョウナン、なんだよ。それでな。」

「おめぇ、あの空き地んドコにクルマ停めてるヤツだっぺ?」

僕は頷き返事をすると、夕方頃に遊びに行くと言ってくれた。

その日の午後はいつも入渓する慣れた河川へ変更し、釣果もまずまずだったが、終始彼の顔が頭に浮かんでいた。

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日も暮れる直前にクルマに戻ると彼はまだいなかったが、淡々と夕飯の準備を始めた。
最終日は、クーラーボックスに残した予備の予備として保存していた食材全てを使える。

残っていた肉を全て焼き、もう20年は壊れずに信頼しているランタンに明かりを灯す頃、彼は一升瓶を持って遊びに来てくれた。

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彼の名は、ハルヤさんと言った。

今日出くわしたあの猿は最近子供を産み、神経がピリピリしている事。
彼には3人の年下兄弟がいて、全員街へ出て行った事。
チョウナンは代々村の墓守としての役目があり、自分だけが残された事。
生徒が4人しかいなかった小学校時代はマンツーマンで教師から勉強を教えてもらっていたので成績はオール5だったが、街の中学校では他の生徒とのコミュニケーションが取れず、いじめられてグレた事。
なんとか高校までは出たが、その後はずっとこの村にいる事。
大昔トーキョーに一泊旅行をしに行ったが、3時間で人の多さに眩暈がして帰ってしまった事。
この村には同級生や、友達は誰もいない事。
この村では60歳でも、未だ子ども扱いされる事。

孤独な日々はずっと、本を読んでいた事。

若い頃は孤独に耐えられず、気がふれそうになった事。

ハルヤさんは僕に色んな話をしてくれた。
中でも一番すごかったのは、

”山にいる動物達は、大体俺の事を覚えている事”

だった。
村の畑にもわりと猿や熊が出るそうだが、村人がそれを発見すると、皆ハルヤさんを呼ぶ。
彼は猟銃も持たずに近づいては、餌や声を掛けて手懐けてしまうらしい。

本当かどうかはわからないけど、僕は信じる。
若い頃に気が狂いそうになって暴れた事と、アイツは動物と話せるという噂が広まったので、村の住民は俺をヘンジンだと思ってるんだろうと言った。

家畜のニワトリが繫殖期で言う事をきかない時も、よく村人に呼ばれて小屋に入れるらしい。

奥さんや子供は作らないのかと尋ねると、また俺の様なチョウナンを作ってしまう事になるから、それはシンドイと話した。

そして俺が死ぬ頃には、この村は忘れ去られるだろうと言った。

一昨年くらいにハルヤさんのいる村に行こうと思ったが、面倒な疫病のせいで行けていない。

彼は今も元気だろうか。

これだから、僕は釣りが止められない。



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