『シン・仮面ライダー』感想 コスプレ集団の素人演劇+クレショフ効果?みたいな映画 

2023年3月21日追記、タイトルと内容も一部変更しました。知ったかしたらいかん。

いいところを先にあげておこうか。まず怪人、この映画では○○オーグと称されているが、そのデザインがよかった。序盤のクモオーグと西野七瀬が演ずるヤンデレハチオーグはよくて格好いい。おまけにモビルスーツのように目が光る。

格好いいといえば、後述するこの映画で何度も登場するモンタージュやキャラのブツブツ独り言シーンを除けば、その絵作りも然りである。具体的には背景とライダーがセットのショットだ。例えばどこかの工場とか操車場とか、あるいは海とか山を背景にした絵作りは、もはや庵野秀明の実写映画における重要な持ち味と言ってよかろう。シン・シリーズの中でも本作のそれは特にずば抜けたレイアウトで、見ているこちらが襟を正す思いになるほどだ。

何より良かったのは、序盤の戦闘である。モダンな装いのショッカー戦闘員たちが、文字通りライダーに血祭りにあげられる訳だが、「何かすごい映画がはじまったぞ」とこちらに思わせるほどの鬼気迫る演出である。このテンションと演出力が終盤まで保てばまだよかったのかもしれないのだが、そうはならず、残念ながら以降は何の見どころも無かった。

俳優陣の演技たるや皆そろいもそろって棒演技で、特にひどいのは主役の本郷猛を演ずる池松壮亮だ。断わっておくと池松やその他の俳優がひどい役者という訳ではないのだが、なにか演技指導の段階で重大な伝達ミスがあったのではないだろうか、と心配になってしまうほどひどい。ついでにライダー2号こと十文字隼人の柄本佑もひどい。これもあとで書くのだが、脚本のせいである。

庵野の絵作りと怪人のデザインなんかで映画はかろうじて映画としての形を保っているものの、実情はコスプレした集団の素人演劇を見せられているようで、正直辛い。特に終盤は何か前衛芸術を見せられているようだった。もちろん悪い意味で。

この映画をひどいものにしているのは、まず多様されるモンタージュ技法だろう。私は別にアンドレ・バザンではないので、モンタージュという手法が悪いとは言うつもりは毛頭ない。戦闘シーンではカットをつなぎ合わせることでスピード感が生み出されるのは既に過去のアクション映画が嫌というほど実証している訳で、本作のアクションでもその例にもれない。ただ、他のどうでもいいシーンでもモンタージュが多様される。俗にいるクレショフ効果的な、画面に役者の顔がいっぱいに写して次の場面との間に意味を持たせる例のアレだが、そういうものが連続すると、画面に抑揚がなく、見ているこちらが正直飽きてしまう。

恐らくだが、庵野監督はそうした技法を用いてある種のノスタルジアを演出したかったと考えられる。それ以外にも、映画は唐突に、いかにもな「昭和」なルックになる。

でもね、庵野監督。我々はサイレント映画期の無邪気な観客ではないのですよ。こんな子供だましに心動かされるほど初心じゃないですよ。ネットの反応がそれを如実に語っているのではないか。

アクションシーンも、CGをつかったチェイスシーンなど本当に中途半端で、こんなテレビゲームに毛の生えたていどの映像をお金を払って見せられるくらいなら、いっそCGなんかやめたらいいんじゃないのと思ってしまう。ワイスピシリーズの監督なんかを一度日本に招へいして一からアクションというものを勉強したらいいのではないか。この分野で明らかに本国は後れを取っている。まったく映画後進国になってしまった我が国の惨状をこのような形で目の当たりにさせられ、本当に鼻白む思いだ。

こういう汚点はあげればきりがないのだが、結局のところ監督・脚本の庵野秀明の指示、もっといえば脚本がひどいのである。

それを象徴するかのように、終盤の柄本佑がヘルメットにむかってブツブツつぶやくシーンもそうで、見せられている我々としては「いいから闘ってるシーンをもっと見せてくれろ」という訳である。その台詞だって別に心に残らないし。序盤の本作の本郷猛が改造される経緯もまじで適当そのもので、っていうか緑川博士の言い様にまるめ込まれてないか、本郷くんや・・・。というずさんさである。

全体的に低予算感を隠し切れない映画で、そもそも上記のモンタージュもCGも独り言シーンも、結局お金がないから故の回避策のかな、と色々勘ぐってしまう。日本の映画は未来は大丈夫だろうか。

という感じで本当につまらない映画ではあるものの、色々考える上では無駄ではなかったと、これを書きながら自分に言い聞かせている次第である。見るかどうかご自分の判断でお願いします。


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